最新更新日:2019/08/20
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7.15 郷土の偉人 〜岩田惣三郎翁〜 《校長室》

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本校の北舎西と奥町東保育園の間に石碑があります。

この石碑の存在については4月当初から気になっていましたが、最近になってようやく調べることができました。

石碑には、「岩田惣三郎翁 頌徳 碑」と書かれてあります。つまり岩田惣三郎氏の頌徳(しょうとく、つまり徳をたたえること)の碑であるということです。

では、岩田惣三郎さんとはどんな人だったのでしょうか。少なくともこの奥町か奥中に深く関わられた人だということは想像できましたが、では一体何をされた方なのか、ますます謎や不思議さは募るばかりでした。

偶然にも今朝、地域の方々が来校されて、この岩田惣三郎さんについてお尋ねすることができました。やはりこの奥町(当時は奥村)にゆかりがあり、しかもこの奥町を中心に尾張地方全体に大きく貢献をされた方だということがわかったのです。

早速インターネットでも調べましたところ、『【偉人録】郷土の偉人』というブログから岩田惣三郎さんについての偉人伝が掲載されていましたので、ここに紹介させていただきます。

偉大な方の石碑が校内にあることは、これまでもあまり気が付かれていなかったようですが、奥町で活躍された歴史上の偉大な人物、奥町の誇れる人物として、これからも語り継がれることを願っています。

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岩田惣三郎(いわた・そうざぶろう)・愛知の偉人

明治・大正期の実業家。

尾張国中島郡奥村(愛知県一宮市奥町)生まれ。

天保14年(1843)3月15日 〜 昭和8年(1933)8月24日 91歳

綿糸商、相場師。
尾州銀行(昭和18年三和銀行と東海銀行に分割買収され、現三菱東京UFJ銀行)創立者。
信仰心が厚く「岩田本願寺」の異名がある。


幼い頃から綿糸布の販売に従事し、明治7年(1874)大阪船場で兄岩田常右衛門と綿糸商をはじめ、明治14年(1881)東久太郎町で岩惣商店を創業。

明治22年(1889)摂津紡績(のちの大日本紡績・現ユニチカ)の設立に参画し、取締役に就任。

明治26年(1893)商品取引所法が公布され、全国に取引所設立の機運が高まる中、大阪でも綿糸・綿布・綿花の先物取引をめざした大阪絲・綿・木綿取引所が創設された(明治34年に大阪三品取引所と改称)。

惣三郎は五人の理事の一人として取引所運営にあたり、以来、昭和5年(1930)の引退まで30年間、三品取引所の発展に尽くした。

大阪三品取引所の相場は、戦前戦後を通じて世界の綿糸価格の指標として認められ、現物取引の参考価格となっていた。

明治29年(1896)尾州銀行を創立して、頭取に就任した。



〜 日本相場師列伝―栄光と挫折を分けた大勝負 (日経ビジネス人文庫より)〜

日本の綿紡績が奔馬の勢いで英国ランカシャーを追い上げていたころの話である。
田附将軍こと田附政次郎を総大将とする江州勢と、本願寺・岩田惣三郎を旗頭と仰ぐ尾州勢が繊維市場で激しいつば競り合いを繰り広げていた。

当時のマスコミが書いている。
「尾州系の人間も商売上の駆け引き熱心な点で江州人に比して決して遜色ない。本願時の活躍は最近も三品市場で華々しいものがった」
岩田のことを本願寺と呼ぶのは、真宗大谷派本願寺の本山総講頭という重い地位についていたからだ。

岩田が買って出れば田附が売り、田附が買って出れば岩田が売るというように、二人は三品市場で横綱相撲を行っていた。
二人の登場で三品市場は、非常に活気づいた。

大正9年(1920)、商売の采配を三男宗次郎に譲り、京都の別荘で趣味の生活に入り、昭和8年(1933)91歳の長寿を全うした。


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