最新更新日:2024/03/28 |
3月24日(金) 平成28年度修了式 校長式辞1・2年生ともにしっかりとした姿勢で修了式に臨み、1年の修了にふさわしく引き締まった式となりました。 【校長式辞】 今日は今年度最後の「頭」と「心」と「体」の話をしますが、今回の話は、私自身が修了式のたびに繰り返して話すつもりです。 まず、「頭」です。 勉強しても、目に見える形で成果が出るとは限りません。勉強した人がすべて希望の進路へ進める訳ではありません。ただ、勉強することで、その可能性は確実に広がっていきます。 中学校の学習内容を学びきれなかったらどうなるでしょうか。生活していくことには問題はありません。ただ、いろいろな可能性は少なくなります。では、それによって幸せになれないのかと問われれば、決してそうではありません。いわゆる学校での勉強ができなくても、不幸になるわけではありません。 では、何のために勉強するのでしょうか。理由のひとつは、自分がやるべきことに全力を尽くす姿勢を身につけることではないかと考えています。ただ、その姿勢が身に付いても、すべてがうまくいくわけではありません。しかし、少なくとも、自分の生き方を支える一生の財産になります。そして、その財産があるからこそ、幸せになれると信じています。 次に「心」です。 人と人がいっしょに生活するためには、自分とともに相手を思いやる必要があります。世の中は自分が知っている人ばかりではありません。初めて会う人もいれば、ただ単にすれ違うだけの人もいます。そして、そうした人ができるだけ上手に生活していくために「マナー」「モラル」「ルール」というものがあります。頭文字をとって「マモル」です。 バスや電車内で電話しないということは「マナー」です。優先席付近で電源を切るのは「モラル」です。車を運転しながら電話しないということは「ルール」です。 「マモル」を守るためには、ある意味、我慢しなければならないことがあります。しかし、みんなが「マモル」を守ることで、実は快適に生活できるのです。別の言葉で「お互い様」です。 しかし、世の中には我慢できず、「やったもの勝ち」「言ったもの勝ち」という考えの人もいます。さらに、それを正当化する人もいます。「どこに書いてあるんだ」と開き直る人もいます。そんな人に出会った時、あなたはどうしますか。馬鹿らしいから自分もそうしますか。また、将来、みなさんが親になり、自分の子どもにもそう教えますか。少し我慢することで、安心して、楽しく生活できる社会にしますか。少しの我慢もせず、生き辛い、不満ばかりをもって生活していく社会にしますか。 最後に「体」です。 実はこれが一番大切です。人はいつか命がつきます。それは「体」がつきることです。それまで、自分の体の管理、健康であることはすべて自分の責任です。 以上ですが、今回は「おまけ」ということでお詫びがあります。 先回の放送集会でお雛様の話をしました。その中で最後に「お内裏様」と「お雛様」という言葉を使いました。家に帰って奥さんに話をしたところ、お内裏様は男雛と女雛の両方のことであり、男雛のことをお内裏様というのは間違っていると叱られました。間違ったことを話して本当にごめんなさい。 3月6日(月) 校内放送による校長先生の話
本日は、インフルエンザやかぜの流行のため、いつものようなアリーナにおける集会は中止にしました。よって、各学級において校内放送による校長先生の話を聞きました。
【校長先生の話】 卒業式後の初日である「今日」という日は大きな節目となる日だと私は考えますが、皆さんはどうですか。 さて、今年度は3月3日の桃の節句に卒業式でした。新暦での桃の節句が終わりましたが、地方によっては旧暦で桃の節句をするところもあるので、しばしお雛様が飾られている地域もあります。そこで、今日は「心」の話をします。 僕は男でしたので、自分の娘をもつまで、お雛様には関心がありませんでした。我が家にお雛様が来てから毎年3月3日の夜はあわただしい日でした。その日の間にお雛様を片づけなければならないからです。そうしないと、娘が「お嫁にいくのが遅れる」という理由からでした。 娘をもった父親にとっては、娘を早くお嫁に行かせるために、お雛様を片づけるのは複雑な思いですが、奥さんにすれば母親としてやるべきことであり、奥さんにはそれが受け継がれていました。 では、本当にお嫁に行くことが遅れるのでしょうか。正直わかりません。では何の為にそんなことが受け継がれるのでしょうか。 奥さんが言う別の理由は、「めんどくさいな、まあいいや、明日やろう!」というような誰もがもつ怠け心を戒めるためということでした。そして、娘とともに片づけることで、その心を母親から娘に身をもって伝えるためというこことでした。 ただ、子どもの成長とともに仕事が忙しくなり、どうしても片づけられない時(時間的にも精神的にも・・・)もがありました。そんな時、実はおまけのような方法がありました。「忘れてませんよ」という気持ちとともに、お雛様を裏向けて、一日目をつむってもらうという方法です。 お雛様ついでに、「頭」の話もします。 男雛様は女雛様の右側でしょうか左側でしょうか。 3月3日(金) 第70回卒業式 校長式辞校長先生より卒業生一人一人に卒業証書が手渡された後、校長先生からの式辞がありました。続いて、教育委員会告辞、一宮市長祝辞では、お祝いと励ましの温かいお言葉を頂きました。 卒業生の皆さん、保護者の皆さま、ご卒業おめでとうございます。 ご来賓の皆さま、本日はお忙しい中ご臨席賜りまして、誠にありがとうございました。 以下に、校長式辞を記載します。 [卒業式 式辞] 前文(略) 「自分とは何だろう」「なぜ生まれてきたのだろう」そして、「どこへ行くのだろう」 人生では、自分の存在意義についての問いをもちます。その意味から「自分探しの旅」にたとえられます。私も旅の途中ですが、皆さんとの違いは少しだけ立ち寄ったところが多いことです。そこで、立ち寄った場所での出会いを紹介します。 この二学期に「午後には陽のあたる場所」という本に出会いました。心理学者ユングの考えをベースに、「午後」の説明がありました。人生を八十年とし、それを一日にたとえると四十歳が正午です。私は今、午後の陽のあたる場所で生活をしています。皆さんはどうでしょうか。まだ夜明け前の薄明かりの中で、夢と希望を抱きつつ、独り立ちへの不安と闘いながら、「頭」と「心」と「体」を鍛えているはずです。 その本では「キャリア」という言葉にもふれています。日本語では「轍」という意味です。イメージとしては足跡で結構です。自分が歩んできたところには足跡が残ります。後ろを振り返れば、足跡が一本の線として見えるはずです。ただ、それは真っ直ぐではないでしょう。曲がりくねっていたり、時には輪を描いていたりもします。しかし、必ずつながっています。一方、前を見れば、そこには足跡は絶対にありません。あるのはすべての可能性です。 私は、足跡をドミノにたとえ、人生はドミノを並べ続けることとも考えています。 人より早く並べていたドミノが、ちょっとした気のゆるみで倒れた時、自分だけが上手に並べられず、焦りや苛立ちから周りの人を責めた時、人は自分の立ち位置を見失います。自分と他の人を比較して、優越感や劣等感に振り回されるからです。 一方、これまでの自分とこれからの自分を比較するということであれば、冷静に自分の立ち位置をみつめることができます。並べたドミノにストッパーを置き、ゆっくり深呼吸でもしながら、「この調子でがんばろう」とか「少し気を引き締めよう」ということができます。そうしたきっかけは身の回りにあふれています。何気ない言葉が心に寄り添い、スイッチを入れてくれます。自分の心に寄り添い、支えてくれる言葉に出会うことも「自分探しの旅」では必要です。 数年前、次のような新聞記事に出会いました。 冒険の旅に出ようという人たちに、読んでほしい一文がある。物理学者で夏目漱石の門下で、文筆家でもある寺田寅彦の随筆「科学者とあたま」の中にある。それは、 「いわゆる頭のいい人は、言わば足の早い旅人のようなものである。人より先に人のまだ行かない所へ行き着くこともできる代わりに、途中の道ばたあるいはちょっとしたわき道にある肝心なものを見落とす恐れがある。」 「頭のいい人は足早な旅人であり、先へ先へと早く進めるが、道端や脇道にあるものを見落としがちである。見通しがきくから無難な道を選びたがる。だが頭の悪い人はゆっくり進むので、道端の宝物も目に入りやすい。前途の見通しがきかない分、難題も恐れず進める。」という意味で、科学者には『あたまの悪さ』が大切だ」と寺田は説いたのです。 この言葉は今の仕事に取り組む私に寄り添ってくれています。皆さんにはどうでしょうか。 いずれせよ、誰にも代わってもらえない皆さん自身の「自分探しの旅」は続きます。その旅に寄り添えればと、青桃会で三年生の先生方も思いを歌詞に託しました。心に届きましたね。 「いくつもの日々を越えて 辿り着いた今がある だからもう 迷わずに進めばいい 栄光の架橋へと 終わらないその旅へと 君の心へ続く架橋へと」 結び(略) 平成二十九年三月三日 一宮市立中部中学校長 小川 正彦 2月13日(月) 全校集会 校長先生の話【校長先生の話】 先回の話題では、「非日常」という言葉を使いました。3年生には「非日常」が続くので、とにかく「心のゆとり」を願いました。私立高校や専門学校等の入学試験が終わり、「非日常」から離れられた人もいますし、小休止の人もいます。 「非日常」という言葉を使った直後に「日常の一部」という言葉を見つけました。めったにないことだからドキドキする。めったにないことだから他の人の目が気になる。めったにないことだから「珍しいね。今日はどうしたの?」なんて声を掛けられる。 さて、自分にとっては「非日常」でも、他の人にとっては「日常の一部」になっていることがあります。登校時に「走る」ということが「非日常」の人もいれば、「日常の一部」になっている人もいます。いずれにしても、私が心配なことは、荷物を持ち、しかも心のゆとりをもたずに「走ること」で、別の「非日常」の生活にならないかということです。 1月23日(月) 校内放送による校長先生の話【校長先生の話】 今日は「心」の話をします。 小学校の高学年から中学校にかけては、独特の言葉を耳にします。「10分前行動、5分前集合」とか「3学期は次の学年の0学期」などです。大人になるにつれてというか、中学校を卒業するとまず聞かない言葉です。不思議な言葉ですが、口にする以上理由があります。 先週は、朝、昼、帰りの放送をやめていました。そのことによって、それまでみられなかった光景があります。登校完了時刻間際、“一人が走り出すと、その周りの人が走り出す。そして、連鎖のようにその後ろの集団が走りだす”という光景です。しかも多くは同じ顔触れであった気もします。 音楽があることで、登校状況を判断していたのでしょうか。そういう意味では迷惑をかけました。 でも、この機会だからこそ、考えてほしいことがあります。 家を出て、普通に歩いてくれば、どのくらいに学校に着くかは経験で分かっているはずです。登校途中、いつもの場所でいつもの人を見かけるとか、いつもの車とすれ違うということもあるでしょう。それは一定の生活リズムです。でも、その生活リズムをかえなければならないことがあります。先週であれば、「雪」という非日常です。「非日常の予測があれば、人は必ず「ゆとり」を考えます。雪の場合は家を出る時刻を早めます。そして、その結果を後で分析し、次に備えます。 そう考えると、「昇降口まで走った」という経験は、次に備えないのかなということです。 「10分前行動、5分前集合」というような言葉は、それを守ることが目的ではありません。人が多くなればなるほど、時間はかかります。全員が間に合うためには「ゆとり」が必要です。「7分前行動、3分前集合」でも、「3分前行動、1分前集合」でも構いません。大切なことは、他の場面でも、「時間的なゆとり」をもつことが、実は「心のゆとり」につながること、そして、その人の信用にもつながるということを学ぶことです。 3年生の皆さん、出願、入試というように非日常が続きます。大切なことは「心のゆとり」ですよ。 1月6日(金) 第3学期始業式 校長式辞【校長先生の話】 改めまして、あけましておめでどうございます。 さて2学期の終業式の「ドミノ並べ」という言葉を思い出しましょう。 人生とは「ドミノ並べ」のような気がしています。未知の世界に進んでいく自分の足跡としてドミノを並べる。複雑な並べ方ではなく、ひとつの線上に並べ続ける。並んだ状況を一度に確認できなくなるほど長く並べていくのです。 「自分探しの旅」では、他の人と競争することはありますが、勘違いをして他の人と比較してしまうことがあります。「ドミノ並べ」を例にとれば、早ければ優越感に浸り、遅ければ劣等感を抱くことがあります。ただ、優越感に浸りすぎると思わぬところでミスをし、一瞬ですべてを失い、やり直さなければならないこともあります。また、劣等感を抱きすぎても、辛くなった自分に耐え切れず作業をやめてしまうこともあります。 でも、人生という「ドミノ並べ」は、命がある限りは続けていくものです。そして、変な言い方ですが、命が召されたとき、自分が並べたドミノの様子を「上」から見られるようにも思います。 「ドミノ並べ」ではストッパーが有効です。ストッパーで区切りができます。 平成29年が始まりました。もっと成長を目指す自分にチェンジするためのチャンスとする1年です。自分と他の人の「ドミノ並べ」を比較する必要はありません。大切なのは「今までの自分」と「これからの自分」との比較です。 では、良い年にしましょう。 12月22日(木) 2学期終業式 校長式辞全校生徒が、健康で充実したを冬休み過ごすとともに、来年1月には元気に登校できることを願っています。 【校長式辞】 2学期の始業式で「引き出し」という言葉を伝えましたが、終業式では「ドミノ並べ」という言葉を伝えます。キーワードとして覚えておいてほしいと思います。 平成28年度という区切りはまだ3か月続きますが、平成28年という名前の区切りが数日後に迫っています。日付という区切りを毎日経験していますが、人はそれを365個集めて少し大きな区切りをつけるようになりました。新しい区切りの名前は「平成29年」です。 この区切りをどのように生かすかは、その人次第です。ただ、個人的には、ドミノを並べていく時のストッパーになればとも思います。ドミノを並べる時、ストッパーという安心によって、少し落ち着いてそれまでの並べ方を振り返ることができます。 自分を振り返ることは、「比較ができる」ということです。「それまで自分」と「これからの自分」の比較ができます。「ちょっとダメだったかな」ということであれば、「もう少しがんばろう」でよいです。「けっこう頑張ってきたな」ということであれば、「自分にご褒美を」ということでよいです。とにかく、一区切りをつけて、自分を見つめ、自分を変えるチャンスにするのです。もっともっと成長を目指す自分にチェンジするチャンスにするのです。ほんの少しの勇気で可能ですよ。チェンジとチャンスの違いも、たった一文字なのですから。 では、良い区切りを。 12月5日(月) 全校集会 校長先生の話【校長先生の話】 今日も「頭」の話をします。「引き出し」についての最終話です。 引き出しがたくさんある棚をイメージしましょう。引き出しは誰もが無限にあるという前提で話を聞いてもらえればと思います。 「最初の勉強」は、「引き出しの中に知識を入れる」いうことです。そして、入れることは誰でもできることです。人は一度でも見たり聞いたりしたことは記憶している、人にはそれくらいの能力があるといわれています。だから、たくさん見たり、聞いたりした方が引き出しの中に多くの知識が入ることになります。 質問されたり、聞かれたりした場合、引き出しの中から、該当する知識を正確に取り出せばよいのです。だから、どこの引き出しにどんな知識があるかが分かれば簡単なことです。 知識の量が少ないうちは、どこの引き出しに何の知識があるかを覚えることは簡単です。しかし、知識が増えるにしたがって、容易ではなくなります。そんなときにできることはたくさんあります。引き出しにラベルを貼る。関連する引き出しをグループにして色分けをする。よく使う引き出しを見やすいところに集めるなどです。 学校で学ぶことはたくさんあります。毎日、多くの引き出しにその証としての知識がしまわれます。これについては誰もが同じです。ただ、引き出しにしまう時に、すでに整理してある引き出しと関連づけられれば、その近くにしまうことができ、理解しやすくなります。そうでないと、とにかく空いている引き出しに入れることになり、その内容が理解しにくくなると考えてみましょう。 では、何が必要でしょうか? それは、家庭での引き出しの整理整頓です。ラベルを貼る、入れ替える、グループ化するなどです。それを別の言葉で「予習」や「復習」と考えればわかりやすいと思います。ですから、その作業を毎日しっかり続けている人とそうでない人とは必ず差が出ます。また、定期的にいろいろな引き出しに何が入っているかを確認している人とやりっぱなしの人とは差がでます。特に、決められた時間内に、問題にあった知識をどれだけたくさんの引き出しの中から正しく見つけられるかというペーパーテストでは、その差は歴然と現れます。 一方、学校という組織を卒業すると、引き出しからいかに早く知識を取り出すかということが重要視される世界から、引き出しにしまってある知識をいかに工夫して組み合わせるかということが重要視される世界というように、活躍する場が変わります。だから、他の人と自分を比較して、今の自分を誇示することも、嘆くこともありません。ただ、「今、成果がでない」ということで取り組みをやめてしまうことは、「将来の成果がでる可能性」も捨てることになりませんか? 前回の「引き出し」の話を思い出しましょう。 「私にとって大学は引き出しを作りに行くところだったの。それ以後も、できるだけ引き出しをふやせるようには努力しているわ」という気持ちが大切でしょう。 そして、「ただ、一生あけない引き出しもできちゃった気がするけど」ということについて、「それって無駄じゃないですか?」と問われ、「どうかな?開けようと思ったときに引き出しがぜんぜんないよりマシじゃない?」と答えられる心の余裕も素敵に思うのです。 11月21日(月) 全校集会 校長先生の話【校長先生の話】 今日は頭の話をします。 2学期の始業式の時、「涼しくなったらゆっくり話をします」と言ったきり、もう寒くなってしまいました。覚えていますか。「引き出し」についてです。そこで、今日ともう1日別の日の2回に分けて話をします。今日は、読み聞かせが中心です。 「背景」の確認をします。魚屋を営んでいる父親と高校を卒業したら、家業を継いで魚屋になろうと決めた息子のケンカです。父親は「大学に行ってほしい」という主張。息子は「魚屋を継ぐのだから、高いお金を払って、好きでもない勉強をするために大学に行くのは無駄」という主張です。このケンカの仲裁を頼まれた人が口にした言葉が「引き出し」です。頼まれたのは近所にある居酒屋の若女将で、名前は美音といいます。美音は大学を卒業しています。若くして両親を同時に亡くし、その後、両親が開業した居酒屋を継ぎました。そして、高校生のことも小さいときから知っているという設定です。 では、 家業を継いで魚屋になろうと決めた 高校生の息子・・・伴先生 居酒屋の女将(美音)・・・・・・・・・・・浅井先生 ナレーター・・・・・・・・・・・・・・・私 著作権のことがあると思いますので、具体的なことはここでは記載しませんが、よろしければ、 秋川 滝美 「居酒屋 ぼったくり 4」 P277を。 キーワードは「・・一生開けない引き出し・・」「・・無駄じゃない・・?」「・・開けようと思ったときに引き出しがないより・・」という会話にある「引き出し」です。 皆さんはこの会話をどのように受け止めますか? 11月12日(土) 合唱コンクール閉会式 校長先生の話「つなげる」「つながる」 この2学期になって、よく口にする言葉です。新人戦の開会式、駅伝大会の選手への言葉でも使いました。そして、この合唱コンクールでもその言葉がやはり浮かんできました。 3年生は中学校生活最後の合唱コンクールであり、最後のクラス合唱でした。素晴らしい合唱でした。しかし、それは皆さんだけで作り上げられた合唱ではないと思っています。皆さんは、1年生、2年生の時に聴いた先輩たちの合唱に込められた想いを受け止め、それに憧れ、それを目標にしてきたことでしょう。今日は先輩たちと「つながれましたね」。そして、もうひとつ、後に続く2年生、1年生に「つなげてくれましたね」。本当にありがとうございました。 1年生、2年生も素晴らしい合唱をありがとうございました。皆さんの合唱コンクールはまだまだ続きます。平成28年度の「史上最響」が今後どのようになっていくかを楽しみしています。 保護者の皆様、子どもたちの成長を感じていただけたことと思います。一日ありがとうございました。 11月12日(土) 合唱コンクール開会式 校長先生の話作詞家は、自分の想いを歌詞に込めます。 作曲家は、作詞家の想いを心で感じ取り、自分の想いも込めて曲を奏でます。 それらの想いを心で感じ取り、皆さんの想いを込めて、それぞれのクラスの歌を歌い上げてくれれば、この会場に「響きわたる 心のメロディー」があふれることでしょう。 それぞれクラスの想いを、いっぱい、いっぱい、いっぱい受け止めたいと思います。 保護者の皆様、早朝よりありがとうございます。合唱コンクールを通して成長している子どもたちの姿を実感していただければ幸いです。 10月31日(月) 全校集会 校長先生の話【校長先生の話】 「16年前」 4月にこの学校に赴任して以来、何回も口にした言葉です。でも、よく考えてみれば16年前には皆さんはまだ誰も生まれていませんでしたね。年齢を重ねると昔のことであっても、ほんのちょっと前のことと思ってしまいます。 16年前の9月に東海豪雨がありました。その時、このアリーナの前に飾ってある「休日」という絵を描かれた矢澤貞子先生のご自宅も被災され、大切な作品を失われたと聞きました。先生は日展でも賞に入られる日本画の画家です。そして、皆さんの先輩に美術の先生として授業をされていました。 その16年前、私が皆さんの先輩から教えられたことを話します。 当時、私は1年生の担任でした。帰りのSTが終わると、教室の施錠を確認し、学年の使用するトイレとすべての廊下の窓の施錠を確認してから職員室に戻るのが日課でした。すぐに部活動が始まるので、できるだけ早く職員室に戻らなければなりませんでした。 2学期のある日、一人の女子生徒がいつも最後に教室を出ることに気づきました。しかし、その女子生徒はST後にずっと教室にいる訳ではありません。必ず、教室から出ていて、他の生徒が教室から出た後に戻って来ていました。時には少し遅くなることもありました。気持ちが焦っていた私は、彼女に尋ねました。 「毎日、何をやっているの?」 「トイレの花瓶の水を替えています。」 「そんなことしているの。なんで?」 「なんでって、花を長持ちさせたいからです。水を替えることで、長持ちします。」 「そうなの。知らんかった。」 トイレに花を飾っていたのは私です。でも、その花が長持ちするように管理していたのはその彼女でした。しかも学年のトイレのすべてを。 そんな行為をみんなに知られないように、時には男子トイレも。 彼女が教室に戻ってくるのが遅くなるのはそのためでした。 それからは、土曜日の帰りになると(当時はまだ土曜日に学校がありました)、トイレの花は処理され、花瓶だけがいつもの場所に置かれていることを確認しました。 1か月ほど前に話した「花」と「花瓶」にかかわる4つの風景を覚えていますね。 皆さんもいっしょに環境を作るのですよ。 10月17日(月) 全校集会 校長先生の話【校長先生の話】 後期の生徒会役員、学級役員の任命、新人大会等の表彰伝達ということで、今日の集会も盛りだくさんですので、私からは一つだけ話をします。 「立場が人を育てる」という言葉についてです。 「できる、できない」ということが問題ではありません。その立場になると「やらなければならないこと」があります。そして、「やることによってできるようになる」つまり、「成長する」ということです。 生徒会役員、学級役員、優勝チーム、準優勝チーム、3位チーム、さわやか賞チームなど、それぞれの立場は次の成長のためのチャンスです。言い訳の言葉はいりません。成長していく姿を行動で示しましょう。 9月26日(月) 全校集会 校長先生の話【校長先生の話】 今日の集会は表彰伝達などたくさんのメニューがありますので、話題提起だけをしておきます。ちょうど始業式で「引き出しと魚屋の跡継ぎ」という話題提起をしたのと同じです。時間がある時にゆっくり話をします。 初めて教師になった時、先輩の先生が生徒に話した言葉が頭の中に残っています。 「物を見るのは目じゃない、心だ。音を聞くのは耳じゃない、心だ。」という言葉です。 さて、今から言う四つの場面をイメージしましょう。 あなたはある部屋に案内されました。そこで見た光景です。ひとつ目、その部屋にはテーブルやソファーがあります。ふたつ目、テーブルやソファーの他に花瓶があります。その中に花はありません。三つ目、テーブルやソファーの他に花瓶があります。その中にはきれいな花があります。四つ目、テーブルやソファーの他に花瓶があります。その中には枯れた花があります。 イメージした四つの場面を、あなたにとって「いいな」と思う順番に並べましょう。 では、またゆっくりと。 9月24日(土) 体育祭閉会式 校長先生の講評【講評】 「英姿颯爽」という言葉の意味をここで確認します。「英姿」とは「立派な姿やかたち」、「颯爽」は「きちんとした態度や動作が清々しい様子」です。 皆さんが「英姿颯爽」であったがどうかを判断するのは皆さんではありません。皆さんを見守る人がその判断をします。見守る人の心をどれだけ動かしたかです。それは「一生懸命」という言葉と同じです。自己満足するものではありません。 さて、今日はどうでしたでしょうか。各種の競技、応援、係の仕事、そして、ソーラン、ダンス、組み立てなど、体育祭の様々な場面でその様子を披露してくれました。「ありがとうございました」。 でも、まだ満足はしていません。なぜなら、「君たちの力は無限大」だからです。力を発揮できるかどうかは、皆さん一人一人の心にかかっています。ぜひ、これからも心を強くしていきましょう。 最後になりますが、ご来賓、保護者、地域の皆様、そして、学校の周りにお住まいの皆様のお支えで、第70回という節目の体育祭を無事終えることができました。「本当にありがとうございました。」 9月24日(土) 体育祭 開会式 校長先生の激励のことば【激励のことば】 朝の挨拶をしっかりしたいと思います。「おはようございます」 まず、ご来賓、保護者、地域の皆様、早朝より体育祭にご臨席賜り誠にありがとうございます。高いところからではありますが、お礼申しあげます。次に、学校の周りにお住まいの皆様、日ごろよりいろいろとお世話になっております。今日はいつも以上に大きな声や音楽があふれます。ご理解とともに、なにとぞお許し願います。 さて、生徒の皆さん、これまでの練習では、「英姿颯爽」でしたか。今日、開会式のここまではどうですか。 「英姿颯爽」。私自身も今回初めて知った言葉です。そして、この体育祭だけでなく、中部中の目指す生徒像にしてもよい言葉です。 まずは今日、皆さんの「英姿颯爽」が最後まであふれる体育祭を期待しています。 9月1日(木) 第2学期始業式 校長先生の話【校長先生の話】 まずは「よい夏休みでしたか?」 2学期の最初は「頭」の話をします。 小1から高3まで、夏休みで一番嫌いな宿題が「読書感想文」でした。もう少し突き詰めると「読書」という行為自体が大嫌いで、「本のどこがおもしろいの?」という子どもでした。ましてや、読んだ本の感想を言葉にして言うのならまだしも、文章にして何枚も書くということは最悪の宿題でした。 この夏休みも同じように苦しんだり、悩んだりした人がいたでしょう。さすがに皆さんは中学生ですので、保護者の方で苦しんだり、悩んだりされた方はいないと思いますが、皆さんがいつか親というか保護者になると、また、この読書感想文に悩まされるかもしれません。 そんな私ですが、今「読書感想文を書きなさい」と言われたら、抵抗なくやれます。内容を問われると困りますが、本当に抵抗なくやれます。 なぜかというと、「本を読むのがおもしろい!」ということが身に染みているからです。ここにあるのが、この夏休みに読んだ本の一部です。 ジャンルは滅茶苦茶です。情けないですが学術書や専門書はあまりありません。「おもしろいよ」と勧められたものもあれば、家族が買ってきて読み置きしたもののあります。内容をしっかり覚えているものもあれば、すでに忘れてしまっているものもあります。でも、「これだけ読んだんだ」という充実感はあります。 さて、2学期の初めに、これらの本の中で出会った「言葉」とその「背景」だけを紹介します。それにまつわることは、もう少し涼しくなり、皆さんもゆっくり聞いてもいいかなと思える時期になったら話します。ですから、「言葉」とその「背景」だけは必ず覚えておいてください。 まず、「言葉」は「引き出し」です。 「背景」は、魚屋を営んでいる父親と高校を卒業したら、家業を継いで魚屋になろうと決めた息子のケンカです。父親は「大学に行ってほしい」という主張。息子は「魚屋を継ぐのだから、お金を払って、好きでもない勉強をするために大学に行くのは無駄」という主張です。このケンカの仲裁を頼まれた人が口にした言葉が「引き出し」です。 「勉強するってどういうこと? こんなこと勉強して意味があるの? 本当役に立つことなの?」など、皆さんも一度は思ったことがあるのではないかなということに触れてみたいと思います。 では、長い2学期が始まります。充実した学期にしましょう。 8月4日(木) 全校出校日 校長先生の話
今日の全校集会では、部活動の各種大会や子ども写生大会の表彰伝達の後、校長先生の話がありました。その後、体育祭オリエンテーションを行いました。
【校長先生の話】 「夏休み子ども科学電話相談」の今年最初の質問は、「朝顔は、なぜ朝になると咲くのですか?」というものでした。私の頭の引き出しの中にはその知識がありませんでした。だから答えられませんでした。 さて、話をかえます。今日も「体」の話をします。 終業式の時、「睡眠ホルモン」「成長ホルモン」という言葉を紹介し、とにかく「早寝・早起きという規則正しい生活、バランスのよい生活が、人の成長というか『体』には必要なのです」という話をしましたね。できていますか? 今回はその続編です。 人間には体内時計があります。1日25時間と言われています。しかし、実際の生活は1日24時間ですので、毎日リセットする必要があります。どうすればよいのか、別段難しいことではありません。朝、太陽光を浴びればリセットされます。正しくリセットされないと体内のリズムが乱れ、結果として体調不良になります。そうならないためにも毎日「朝、太陽光を浴びられる時間に起床する」ことが重要です。季節にもよりますが、朝、太陽がまぶしくなる時刻に起床するためには、22時頃に眠りにつくことが最適なことから、22時から深夜2時の間が睡眠のゴールデンタイムとも言われています。 「成長ホルモン」は睡眠後3時間がもっとも多く分泌されること、睡眠は90分の倍数が理想ということも考えて、就寝時刻を決めましょう。本当に「睡眠」は大切です。 では、最後にもう一度「朝顔は、なぜ朝になると咲くのですか?」 朝顔は、朝の太陽光を浴びて咲くのではありません。確かに太陽光に関係しますが、前日に暗くなってから10時間後に咲き始めるということです。 7月20日(水) 1学期終業式 校長式辞アリーナにおいて、表彰伝達の後に終業式を行い、その後、夏休みに向けての生活面・安全面の話がありました。 今年も、全校生徒が、健康で充実した夏休みを過ごすことを願っています。 【校長式辞】 今日で1学期が終了します。そして、明日から夏休みです。 この仕事をしている私にとっては50回目の夏休みです。ところで、私のような教員は「夏休みを超えると、生徒は成長する」と実感しています。一番顕著なのは1年生です。小学生の雰囲気が完全に消え、中学生らしい顔つきにもなります。理由は分かりません。ただ、人生の中でそれまでとは違った夏の過ごし方を経験するからではないかと考えています。大きいのは部活動でしょう。1年生は初めての夏です。2年生は主役の夏です。3年生は部活動から離れる夏です。9月を楽しみにしています。 さて、先ほど「成長」という言葉を使いました。1学期の終わりは「体」の話をします。キーワードは「睡眠」です。「寝る子は育つ」という言葉を科学的に説明します。数年前に聞いた講演の内容を自分でまとめましたので、専門的に「?」があるかもしれませんが、大筋は正しいと思います。 牛乳、大豆、豆腐、ゴマなどにはトリプトファンという物質が含まれています。人は体内でそれを作ることはできません。食べることで体内に取り入れます。 トリプトファンはセロトニンという脳内物質の材料です。セロトニンはメラトニンという「睡眠ホルモン」を体内に分泌させます。メラトニンは太陽光や人工的な強い光を浴びると脳内で生成され、約14時間後に分泌されます。「睡眠」のためにはこのメラトニンが大切です。 「睡眠」に就いてから2時間ぐらいたつと、身長を伸ばしたり、筋肉を作ったり、肌をきれいにしたり、病気に負けないようにしたりする「成長ホルモン」がたくさん分泌されます。 つまり、しっかりとした「睡眠」が「成長ホルモン」の分泌につながるのです。「寝る子は育つ」という理由です。 一方、「睡眠」は、すっきり目覚めることも大切です。では、何時間ぐらい眠るとすっきり目が覚めるかということですが、実はこれも体の中で決まっています。90分の倍数です。皆さんだと6時間、7時間30分、9時間でしょう。 「睡眠」には「ノンレム睡眠」と「レム睡眠」があります。簡単に言えば、「体も脳も休む深い眠り」と「体は休んでいるけど脳は動いている浅い眠り」です。「睡眠」について最初の3時間は「深い眠り」です。そして、その眠りについて2時間後に「成長ホルモン」が一番分泌されます。その後「浅い眠り」になり、90分単位で「深い眠り」「浅い眠り」を繰り返しながら、「浅い眠り」が増え、目覚めになります。 雑駁にまとめます。 「睡眠」のためには「睡眠ホルモン」が必要です。「睡眠ホルモン」が作られるためには「太陽光」が必要です。「睡眠ホルモン」は作られてから14時間後に出てきます。「睡眠」して2時間後に「成長ホルモン」が出ます。それが皆さんの体を成長させます。朝は気持ちよく目覚めることが大切です。そのためには6時間、7時間30分という適切な睡眠時間が必要です。そして、「睡眠ホルモン」を作るためにしっかり太陽光を浴びましょう。「睡眠ホルモン」の分泌を促す脳内物質を作るためにも、食生活も心がけましょう。 すべてをまとめます。早寝・早起きという規則正しい生活、バランスのよい食生活が人の成長、というか「体」には必要なのです。では、よい夏休みを!! 7月4日(月) 全校集会 校長先生の話【校長先生の話】 今日は「体」の話をしますが、この後、「体」についてもっと大切な話がありますので、手短に話します。 リオ五輪の体操選手である白井選手が、1年前の4月に日体大に入学したときのことです。入学式後に練習を始めたというニュースがありました。その練習風景の中で、かつて成功させた「後方4回転ひねり」の話がありました。本番でこれを成功させるために、練習では「後方4回転半ひねり」に取り組んでいたということです。 以前こんな話を聞いたことがあります。人は本番では70%の力しか発揮できないものである。だから、本番で100%の力を発揮するためには、140%の力で練習に取り組まなければならない、というものでした。 練習でできなかったことが、本番でできる可能性は0%に近いでしょう。できたとしてもそれは全くの偶然でしょう。「できる」ということは、その言葉の前に「常に」という言葉が隠されており、その言葉に至るまでには計り知れない取り組みがあるはずです。今後の参考になればと思います。 |
|