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8月15日(火)72回目の終戦記念日世界と日本の平和を祈念して

72回目の終戦記念日となる15日、政府主催の「全国戦没者追悼式」が日本武道館で開かれました。天皇、皇后両陛下、安倍晋三首相や遺族ら約6,700人が参列し、戦没者に黙とうをささげました。
●夏休みでも、飛鳥中学校のホームページをご覧いただいている生徒の皆さんや保護者の方々に、この日の意味を考えてみたいと思います。
●遠い過去なのでしょうか?私は、日本という国は、中国、韓国、北朝鮮、台湾などの近隣アジアの一員として、国際平和を誠実に維持していくには、どうしても忘れてはならない、また平和への志を発信していく立場と思っています。
●第二次世界大戦、いわゆるアメリカ合衆国と日本が太平洋戦争に突入したのは、1941年、昭和16年、12月2日とも考えられます。と言うのは、山本五十六連合艦隊司令長官から、択捉エトロフ島の南雲機動部隊(南雲中将率いる空母航空機動部隊)に対して、「ニイタカヤマノボレ」と、真珠湾攻撃の命令が打電されます。
当時の日本は、ABCD包囲網(アメリカ、イギリス、中国、オランダの対日包囲網)に追い詰められ、アメリカの石油輸出禁止から対米交渉を続けましたが、遂に開戦。12月8日、真珠湾攻撃、フィリピン攻撃となりました。
4年後の昭和20年8月15日に終戦。沖縄本土戦争という悲劇を避けられず、広島・長崎の被曝という人類史最大の悲劇にも見舞われました。4年間の被害は近代戦争のため計り知れないものでした。
●ところで、新高山とはどこにあったのでしょうか?実は、現在の台湾の3,950メートルの富士山より高い日本一の山だったのです。現在は玉山ぎょうざんと言いますが、台湾は、日清戦争で日本の領土になっていました。日本で一番高い山は、この新高山だったのです。
さて、富士山でなく新高山に登れとは?日本の無線はアメリカにすでに傍受されていたという方もいます。すぐには分からない内容が求められたのかも知れません。ならば、知らない名前で、○○山登れ!でもよい訳です。
私は、当時の日本人は、侵略国家というより、アジア全体の平和や幸福を考えていた人々も多かったと思っています。確かに、アジア諸国への侵略、軍事行動は認められません。しかし、台湾だけ考えても、植民地政策というより、教育、インフラ、灌漑などに、後藤新平や新渡戸稲造などが活躍し、不思議な関係性があります。
※司馬遼太郎の台湾紀行などで様々な関係が分かります。今でも、台湾の方々で、日本人から私事優先でなく公人の在り方を学んだという人が多くおいでです。
●食べるには困らなくなった日本人。このままでなんとなくアジアや世界を見据えた考えをもたずに、自分優先、自分幸福な生き方だけでよいのでしょうか。台湾はじめ、多くの国々から、信頼され尊敬されている日本人のよさに、誇りと自信をもっていかなければならい時代の到来と思うところです。
●飛鳥中学校創立100周年記念のころ、日本の中心は今の中学生世代です。自分の国は自分で守る必要はありますが、アジアや世界の人々から、尊敬され続ける誰にも温かくしかも志の高い日本人であることが大切と考えます。
●このように、自分で考え実行できる人間であるためには、歴史や教養を身に付ける努力が重要です。新しい学びは自分でよく考えて仲間と語り合う。広い視野から多面的多角的に思考できるためには、現在過去の歴史・経済、人文的な学び、社会的・自然的な学びも大切です。
一番は読書。あらゆるジャンルに興味関心を抱いて、多様な読書習慣を身に付ける素養も期待します。
●夏休みはまだ半月もあります。生徒の皆さんには、有意義な毎日を期待します。健康・安全で、良い夏休みを祈ります。
(東京都北区立飛鳥中学校長 鈴木明雄)
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