本日の全校朝礼では、下記の表彰も行いました。( 敬称略 )
【 写真・上 】
北区バスケットボール1年生大会・優秀選手賞 = 高橋陸杜 ・ 橘みず穂
特別支援学級バスケ&ポートボール大会・準優勝 = ポートボールAチーム
【 写真・下 】
薬物乱用防止標語・東京都優良賞 = 竹林和哉
税の作文・東京都会長賞 = 川本ちひろ 東京都優秀賞=小林瑠夏
同・北区優秀賞 = 中嶋泰嗣・沖十和子・野嶋真帆・梅本悠花・鎌田奈桜
同・北区佳作 = 毎田萌恵・宮國美波
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何かが終わるということは、その何かに始まりがあったということです。 「 始まりがあったからこそ、終りがある 」 しかし、時に私たちは、終りに注目する一方で、始まりに対する関心は低いことがあります。
皆さんは、73年前の今日、何が始まったかを知っているでしょうか?
1941年(昭和16)12月8日、後に日本人だけで約310万人の犠牲者を出したといわれる太平洋戦争が始まったのです。
その戦争が終わった日、つまり、日本が降伏を受け入れたことを発表した日は、4年後の8月15日。 こちらはマスコミ各社が 「 終戦記念日 」 「 終戦の日 」 といった名称で報道するので、多くの人が知っているでしょう。
ただし、私は、「 なぜ、戦争はいけないのか 」 を知ることは 「 戦争とは、何か 」 を知ることであり、「 戦争とは何か 」 を知るためには、「 終り 」 だけでなく 「 始まり 」 を知ることも必要だと思うのです。
だからといって私は、今ここで太平洋戦争の原因となった当時の世界情勢や、日本の抱えていた外交上の問題、欧米諸国との関係を説明するつもりはありません。 それらの概略は、歴史の授業で学んでください。
私が皆さんに知ってもらいたい 「 戦争の始まりと終り 」 … 。
それは、ルネサンス期のイタリアの政治家・マキャベリという人が残した次の言葉に集約されています。
【 戦争は 『 しよう 』 と思ったときに始まる。 しかし、『 終わってほしい 』 と思ったときには終わらない。】
73年前の今日、日本軍はハワイの真珠湾にあるアメリカ軍基地を攻撃し、甚大な被害を与えました。 そして、その報を聞いた多くの日本国民が喜びに沸き、万歳を三唱したり、祝賀パレードを行ったりしたそうです。
まさに、多くの日本人が 『 しよう 』 と思ったときに、戦争は始まったのです。
しかし、その戦争の始まりは、いつか自分が、あるいは愛する家族が、死の危険と隣り合わせの戦場に行くかもしれないということを意味していました。 いえ、それだけではありません。
先ほど、犠牲者の数は日本人だけで約310万人と言いましたが、戦争が奪ったのは戦場にいる兵士の命だけではありません。 その内訳は、軍人が約280万人、子供も含む民間人が約30万人もいるのです。
おそらく戦争の始まりに歓喜した人々も、やがて悲しみと恐怖、飢えや痛みとともに、その終りを願うようになっていたに違いありません。 しかし、『 終わってほしい 』 と思ったときに、戦争は終わりませんでした。
人間が意思をもって始めたことが、人間の意思とは無関係に長期化し、深刻化し、泥沼化してしまう。 そして、莫大な犠牲者を出すことでしか、終わらせることができなくなってしまう … 。 とても恐ろしいことです。
「 なぜ、戦争はいけないのか 」
この問いに対する答えは、たくさんあります。
ただ私はその一つに、人間の意思によって始まった戦争なのに、いつか逆に戦争自体が意思をもったかのように暴走し始め、制御できなくなるという恐ろしさが、あるような気がしてなりません。
この体育館にいる誰もが、直接的に戦争を知りません。 それでも私たちは、「 一度始まった戦争が、取り返しのつかない結果を招く確率は100%である 」 ということを、歴史から学ばなければならないと思います。