昨日(21日)から 『 秋の交通安全運動 』 が始まりました(〜30日)。
それを受け本日の全校朝礼では、川島先生より 「 安全指導 」 についてお話がありました。 主な内容は、登下校時の歩道の歩き方や、自転車の乗り方のルール ・ マナーに関わる注意事項です。
歩道の歩き方については、おしゃべりをしながら横に広がって歩くと、地域に迷惑をかけるだけでなく危険も伴うこと、自転車の乗り方については、二人乗りやスピードの出しすぎ・無灯火の危険性などをお話しいただきました。
特に自転車事故については、自分が被害者になるだけでなく、加害者となって相手を傷つけたり、場合によっては命の危険にさらしたりする心配もあります。 安全を最優先した乗り方を徹底しましょう。
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朝礼がなかったのでお話しすることができませんでしたが、実は9月10日から16日までの1週間は 『 自殺予防週間 』 でした。 これは、9月10日の 『 世界自殺予防デー 』 にちなんで、2年前に定められたものです。
それに先立つ9月1日、私は夏休み明け初日から悲しい新聞記事を目にしました。 それは、墨田区の中学1年生が、自宅マンションから転落死したというものです。 記事は、自殺ではないかと報じていました。
その4日後の5日には、大田区の小学6年生2名が、やはりマンションから飛び降りて自殺するという痛ましい事故が発生しています。 教育に携わる身の一人として、なんともやりきれない思いです。
現在、日本では年間3万人近い方が、自ら命を絶っています。約16分間に一人の割合です。 先の中学1年生や小学6年生も含めその一人ひとりに、それなりの事情があったのでしょう。
ただし、それは百も承知のうえで、あえて言わせてください。
人は、自らの意思で死を選択するなどということは、絶対にやってはいけないのです。
皆さんは 【 死ぬ 】 という言葉の対義語は、何だと思いますか?
【 生きる 】? それも、正解だと思います。 しかし、この自殺問題について考えたとき、私は 【 死ぬ 】 の対義語は 【 生まれる 】 ではないかと思うのです。
【 死ぬ 】 というのは、人生の終着点を表す言葉です。 したがって、その対義語は、人生の出発点を表す言葉でなければなりません。 それには 【 生きる 】 より 【 生まれる 】 のほうがふさわしいように思います。
そして、その 【 生まれる 】 という人生の出発点に、自分の意思は働いていません。 人は、いつ生まれるかという判断はもちろん、生まれるか生まれないかという意思決定さえも、自分で下すことなく生まれてきました。
だとしたら、【 生まれる 】 の対義語であり、人生の終着点を表す 【 死ぬ 】 にも、同じことが言えるのではないでしょうか。
自分の意思の及ばないところで出発した命は、その最期もやはり自分の意思を及ぼしてはいけない … 少なくとも、まだ生きられる可能性のある限り、その可能性の芽を自ら摘んではいけないと、私は考えるのです。
今皆さんに命があるのは、皆さんのお父さんとお母さんに命があったからです。 そのお父さんとお母さんの命があるためには、それぞれの両親、つまり、皆さんのお祖父ちゃん・お祖母ちゃんの命が必要でした。
さらにお祖父ちゃん・お祖母ちゃんの命があるためには … と遡っていくと、どうなるのでしょう? 詩人で書道家の相田みつをさんは、『 自分の番 いのちのバトン 』 という詩の中で、こんなふうに言っています。
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父と母で二人 父と母の両親で四人 そのまた両親で八人 こうしてかぞえてゆくと 十代前で 千二十四人 二十代前では … ? なんと百万人を越すんです 過去無量の いのちのバトンを受けついで いまここに 自分の番を生きている それが あなたのいのちです それが わたしのいのちです
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天文学的数字の命がバトンされて、皆さんは生まれてきました。 そんな皆さんはまた、命のバトンを次の世代へと受け渡す存在でもあります。
どうかそのことを忘れず、自分の命も、人の命も大切にしながら、「 自分の番 」 を生きてください。