先ほども生活指導主任からお伝えしましたが、3月11日午後2時46分、マグニチュード9.0の大地震が東日本を襲いました。
今なお、復興に向けての取り組みが、多くの自治体や各家族・家庭で進められています。
写真は、東京都教育委員会が作成した『 3・11を忘れない 』という防災教育補助教材の表紙です。
その中に、当時宮城県の中学校に通う中学2年生の作文が掲載されています。
同じ中学生として、予想だにしなかった大震災に見舞われた中学生の思いをぜひ、読んでみてください。
大震災とは違いますが、今、日本では見えないウイルスの脅威と対峙している状況です。 「 生きていることの大切さ、命さえあれば 」そうしたことを少し考えてみてください。
学校があれば、2時46分黙とうを捧げるところです。一読し、その時間、胸に手を当ててみてください。
『 世界中の人に恩返ししたい 』
3月11日、私たちの町を大きな地震と津波がおそいました。
当時のことは、わりと覚えています。気にもしなかった小さな揺れは、大きな音とともに激しいものに変わりました。寝ていた私はとび起き、急いで階段を降りました。1階にはおじいちゃんとおばあちゃんがいて、3人で静かに揺れがおさまるのを待ちました。揺れている間、電気は左右に激しく動き、食器は棚から落ち、そのほとんどが割れて、まるで映画のようでした。
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校長:高田勝喜
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私の家は海に近いので、おじいちゃんは、窓から海の様子をずっと気にしていました。海水がひいていくのを見たおじいちゃんは、私たちに避難するように指示しました。私は、余震が続く中、二階へ戻り、携帯の充電機、上地雄輔さんの仙台公演に行くために貯めていたお金、思いついた大切なものを持っておばあちゃんの車で逃げました。
津波が来た時、私は中学校にいました。窓からは、木、車、人、○○という場所が津波にのみこまれている様子が見えました。
私は、この地震と津波で、大切な友達を失いました。
あまり話したことのない友達、一緒に映画を見に行く約束をしていた友達、保育園から一緒で、本当に大好きだった友達、初めは信じることができなくて、涙もでませんでした。
でも今、私たちを全力で支えてくれている世界のたくさんの人たちがいます。避難所で、イライラすることもあるけど、世界中の人たちが応援してくれていると考えると、頑張れます。だから、もう少し私たちを応援していて下さい。
世界中の人たちのおかげで、私たちは生きていくことができます。災害にあって、本当に人の優しさが分かりました。これからも、世界中の人に感謝して、いつか恩返しができることを信じながら、元気に生きていきたいと思います。