本日6時間目、今年度の修了式を行いました。
式の中では、2年生の吉竹くんが今年度の反省を述べました。 「この1年間の反省を次年度に活かし、新入生に尊敬される上級生になろう」といった内容で、全校生徒の思いを代弁してくれました。
また、1・2年生と5組の代表生徒に私から修了証を授与した他、今年度最後の校歌合唱も行いました。 3年生がいなくなりましたが、1・2年生で精一杯の歌声を体育館に響かせてくれました。
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まず皆さんに、卒業式のお礼を言わせてもらいます。 皆さんが一生懸命設営してくれた式場、心を込めて述べ、歌ってくれた「送る言葉」や式歌のおかげで、3年生は気持ちよく稲付中を巣立つことができました。
どうもありがとう。
3年生との別れが近づくにつれ、私は宝物を失うような虚無感すら覚えていました。 しかし、卒業式準備や当日の皆さんを見て、稲付中に新たな宝が育っていることを確信しました。
さて、話は変わりますが、吹奏楽部がさまざまなイベントで演奏する曲に、『どんなときも。』があります。 作者は、『世界に一つだけの花』などでも知られる槇原敬之さんです。
先日の定期演奏会でその『どんなときも。』を聴いた私は、頭の中で何となく歌詞を思い浮かべていました。 そして、ふと「修了式で1・2年生に話す今年度最後の講話は、この曲について語ろう」と思いました。
この曲は、槇原さんが大学受験に3年連続して失敗し、浪人しているときに作られました。 まさに将来への不安で頭がいっぱいの中、それでも前を向いて歩いていこうと自分を鼓舞する思いで作ったのだそうです。
ただ、今から25年前にヒットした曲なので、吹奏楽部の人といえども、メロディーは知っていても歌詞は知らないに違いありません。 そこで、今から皆さんに歌詞カードを配ります。
私も、歌詞にあるとおり【 僕が僕らしくあるために 】時折聴き直すことのある曲です。 そして、すでに気づいた人もいるかもしれませんが、曲名の『どんなときも。』の最後にマル(句点)がついています。
実は、稲付中オリジナル曲『前へ。』の最後についているマル(句点)も、この句点と同じ意味・目的で用いられています。 しかし、それ以上のことは今日の話の趣旨からずれるので、また次の機会に話しましょう。
では、一度曲を聴いてみてください。(CDを聴いてもらいました)
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稲付中の新しい宝である1・2年生の皆さんに言っておきます。 今年の3年生は、素晴らしい生徒たちでした。 卒業式の式辞でも述べたように、私は彼らのことが大好きでした。
しかし、だからといって皆さんは、「今年の3年生以上の3年生になろう」とか「今年の3年生を越えよう」とか、そんなことを考える必要は一切ありません。
もし皆さんが「誰か」以上の存在になる必要があるとしたら…、もし皆さんに越えなければならない「誰か」がいるとしたら…、その「誰か」とは、他でもない現在の皆さん自身なのです。
【 あの泥だらけのスニーカーで追い越せないのは 電車でも時間でもなく僕かもしれないけど 】
この歌詞のとおり、自分が前に進もうとしないことで追い越すことができないのは、今年の3年生でも去年の3年生でもなく、現在の自分自身だということを覚えておいてください。
【 昔は良かったねと いつも口にしながら生きてゆくのは 本当に嫌だから 】
この歌詞のとおり、その場に立ち止まり続け、つま先を後ろに向けてしまった者は、必ず過去を美化し、過去にとらわれてしまうということを、忘れないでいてください。
稲付中の新しい宝である1・2年生の皆さん。 4月からこの学校を支えるのは、皆さんです。 だから、けっして後ろを振り返ることなく、つま先を前に向けて歩み続けてください。
どんなときも。 ただ、ただ、前へ。