※ 上の写真は、校長講話の後、稲付合唱団の皆さんが『前へ。』を歌ってくれている様子です。
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今からちょうど四半世紀前の1991年、埼玉県秩父市の影森中学校というところで、ある合唱曲が生まれました。 その3年前、影森中学校はいわゆる「荒れた学校」でした。
そこで、当時の校長先生は歌の力で学校を立て直そうと、日常生活のさまざまな場面に合唱を取り入れたのです。 「歌声の響く学校」を目指して3年、影森中学校は少しずつ落ち着きを取り戻していきました。
そうして迎えた1991年、その校長先生が退職の年です。 当時の音楽科の先生の発案で、卒業生に世界に一つしかない曲を贈ろうということになり、校長先生が作詞を、音楽の先生が作曲を担当しました。
そして、校長先生は依頼を受けた翌日に詞を完成させ、さらに音楽の先生は、受け取った詞に即座にメロディーラインをつけました。 その曲が、今や多くの学校の卒業式で歌われている『旅立ちの日に』です。
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さて、そんなメジャーな曲と比べるのはおこがましいのですが、昨年の暮れ、私は萩谷先生から同じような依頼をされました。 「校長先生、卒業する3年生のために、詞を書いてくださいませんか?」
もちろん私には、作詞の経験も才能もありません。 最初は「無理です」と断りましたが、すぐにこう考え直しました。
「影森中は荒れた学校を立て直すために、3年間、生徒と先生が一丸となって合唱に取り組んでいた。 そして、その集大成として『旅立ちの日に』が作られた。」
「稲付中でもこの3年間、先生と生徒が共に『東京で一番の学校』を目指して頑張ってきた。 ただ、学校改築に伴い、そんな夢を共有した学舎(まなびや)で、二度と同じ時は過ごせない。」
「せめて萩谷先生と作る曲が、そのモニュメント代わりになるなら…」と、そんな思いで引き受けることにしたのです。
ただ、人に作詞を頼んでおきながら萩谷先生は厳しい人で、私に許された制作時間は一週間とありませんでした。 しかし、作ると決まった以上、私にも影森中の校長先生に対する対抗心があります。
出来映えは全く別として、私も実質的に数時間で第一案を書き上げました。 そして、冬休み直前にその詞を受け取ったにもかかわらず萩谷先生は、年明け早々には3部合唱用の曲を聴かせてくださったのです。
それが、今皆さんが練習している『前へ。』という曲です。
萩谷先生とは、曲想について「卒業していく3年生が、希望を胸に抱いて巣立っていくイメージ」と決めていました。 ただし、それとは別に私は、曲想に対する工夫を一つだけ詞の中に施しました。
改めて、詞を見てください。 この詞の読み手は「僕」とも「私」とも書いていない、つまり、男女どちらにも解釈できるのです。 また、詞の中に出てくる「君」も、男女の特定はできないようにしてあります。
この曲は、男子が男子に、あるいは、女子が女子に、さらには男子が女子に、女子が男子に歌ったものと、あらゆる想定が可能です。 皆さんは、自分のイメージしたシチュエーションで、この曲を歌えるのです。
『前へ。』という曲は、東京で一番情熱と才能ある音楽の先生が曲を作りました。 そして、才能はないけれども、東京で一番生徒のことが大好きな校長が、拙い詞を書きました。
世界中でこの曲を歌えるのは、今ここにいる自分たちだけだということを、少しでも誇りに感じてくれたら幸いです。
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前 へ。 (作詞)武田幸雄 (作曲)萩谷房子
雨上がりの新しい朝 かかと踏んだ靴で
わざと水たまりの中を 歩く君
飛びはねた雨粒が 通り過ぎた時間(とき)を映して 輝いて見えた
君とケンカして 涙流した教室で
君と仲直りして もう一度泣いた
君に約束するよ たとえ歩き疲れて 立ち止まっても
つま先だけは 前に向けておくと
そして いつか必ず歩き出すよ 前(あした)へ。
あかね色に染まる放課後 心に秘めた夢
わざとふざけたフリして 語る君
窓照らす夕焼けに 少し伏し目がちな 君の瞳が輝いた
君とふざけ合い 笑い転げた教室で
二度と同じ時間(とき)を 過ごすことはないさ
君に約束するよ 夢を夢のままでは 終わらせないと
今日から二人 別の道を歩み
そして 新たな出会いあふれている 前(みらい)へ。
そして いつか羽ばたき飛び立ってゆく 前(あした)へ。