本日6時間目、1学期の終業式を行いました。
式の中では、前期生徒会長の木曽さんから1学期の反省が述べられ、鈴木くんの指揮&中村さんの伴奏により、全校生徒で校歌を合唱しました(稲付中の校歌は、『斉唱』ではなく『合唱』で行います)。
また、9月25日に実施された「北区中学校連合体育大会」の入賞者表彰も行いました。 詳細は、学校HP画面・右欄のカレンダーを操作して、連合体育大会当日の記事をご参照ください。
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つい先日、私は3年生と一緒に修学旅行で奈良と京都に行ってきました。 その際、あるお寺の門前で、掲示板に飾られたこんな言葉が目に留まりました。
【 たった一言が人の心を傷つける たった一言が人の心を温める 】
それが、そのお寺のお坊さんの説法かどうかはかわかりませんが、私の心にすっと入ってきました。 よく「言葉」の「葉」は、「葉っぱ」の「葉」ではなく、「刃物」の「刃」であるという人がいます。
それは、言葉には人を傷つけるナイフになる危険がある一方で、人の命を救うメスにもなりうるからだそうです。 私が見たお寺の掲示板も、そんな言葉のもつ両極端な2面性を表していたのだと思います。
さて、【 言霊 】。 皆さんは、この言葉を知っているでしょうか? 「ことだま」と読みます。 昔の日本人は、言葉には霊的な力・不思議な力が宿っていると信じていました。 それが、言霊信仰です。
人々は、言葉の力によって結果が良くも悪くもなると信じていたので、使う言葉を選びました。 また、時と場合に応じて、使ってはいけない言葉を決めたりもしていました。
その名残が、現在も身近なところにたくさん残っています。
例えば、皆さんは「ありの実」と呼ばれる果物を知っていますか? 今まさに、旬を迎えようとしてる秋の果物です。 … そう、実は「梨(ナシ)」の別名です。
ただし、梨農家の人にとっては、その名前が「無し」つまり、収穫無しにつながってしまうようで縁起が悪い。 そこで、「無し」の反対の「有り」に言い換え「ありの実」と呼んでいるのです。
同様に「スルメイカ」というイカがいます。 これを「スルメ」ではなく「アタリメ」と呼んでいるお店がたくさんあります。 それは「スル」という言葉が「お金を、する」につながると考えたからです。
「お金を、する」つまり、「お金を、使い果たす」では、商人にとってこれほど不吉な言葉はありません。 そこで、「お金に、当たる」という言葉に置き換え、「アタリメ」と呼ぶようになったわけです。
そんなことはしょせん迷信、非科学的と言ってしまえばそれまでですが、私はそうした言葉に対する畏怖の念(言葉を畏れ敬う気持ち)は、時代に関係なく大切にしたいと思っています。
【 たった一言が人の心を傷つける たった一言が人の心を温める 】
皆さんも、誰かの言った一言で、嫌な思いや不快な思いをしたことがあるでしょう。 逆に、誰かの言った一言に救われたり、癒されたりしたこともあるかと思います。
それが、言葉のもつ力【 言霊 】なのです。
「うざい」「きもい」「死ね」「消えろ」 1学期、私が稲付中からの永久追放を宣言したこれらの言葉は、霊は霊でも悪霊の取り憑いた言葉です。 人に対しては、絶対に使ってはいけません。
ぜひ2学期は、「おはよう」や「こんにちは」といった挨拶言葉、「ありがとう」「ごめんなさい」など人間関係を和ませる言葉、そのほか人を励ましたり、思いやったりする言葉を、稲付中にあふれさせてください。
美しい言葉を発する人は、その言葉のもつ【 言霊 】によって、自分の心も人の心も、美しくできるに違いありません。