最新更新日:2024/06/11 | |
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3月29日(火) 春休みに届けたい!中学生の想い!そこで、今日は『挑戦』をテーマにした作文を紹介します。題は『私の挑戦』、作者は沖縄県の中学1年生です。 作者の子に「この主張をどんな人に届けたいですか?」と質問したところ、次のように答えてくれています。 ◆◆◆この主張を私と同じ中学生に届けたいと思います。なぜなら、何か挑戦したいと思った時に、出来ないかもしれないと不安に思わずに、サポートをいただいて取り組むことが、一番「出来る」ことに近づくと思うからです。サポートをもらうことをはずかしいと思わすに、可能性を伸ばすことにつながると考えてほしいです。私もこれからも、サポートをもらいつつ挑戦を続けていきます◆◆◆ 3月29日(火) 『私の挑戦』(1)例えば、毎日自転車で登校しています。バドミントン部に所属し活動しています。体育の時間には水泳にも取り組んでいます。幼い頃から、やってみたいと思ったことに挑戦し、諦めずに努力をしています。そのきっかけとなったのが、私が幼稚園の頃のことです。 その頃の私は、うんてい棒や遊具など、楽しそうに遊ぶ友達をうらやましく見ていました。そのような私をいつも優しく見守り、サポートしてくれたのがヨウコ先生です。先生は、左手がない私に出来ることを増やせるように、色々な物を作ってくださいました。その中で一番思い出に残っているのが、特製縄跳びです。それまで両手を使う縄跳びは、絶対出来ないと思っていました。しかし、私がみんなと同じように縄跳びが跳べるように、両手を使うのではなく、肘にはめる特製縄跳びを作ってくださったのです。 私はとても嬉しくて、何回も特製縄跳びを使い、友達と遊んだことを今でも覚えています。縄跳びの他にも、「こうすればできるんじゃないかな。」とサポートしてくださり、頑張って挑戦する私を笑顔で褒めてくださいました。 幼稚園を卒園した後も私は、多くのサポートをいただきながら、さまざまなことに挑戦しました。水泳、そろばん、書道など。私に出来ることが増えると、両親をはじめ祖父母、先生方、身近な人達が喜び、応援してくれました。その度に「出来るってこんなに嬉しいことなんだ。もっとがんばろう」と実感し、自信を持てるようになりました。 3月29日(火) 『私の挑戦』(2)私たちには、いろいろな場面で挑戦するチャンスがあります。そのチャンスを活かすことなく自分で潰してしまうのは残念なことだと思います。小さくてもいい。挑戦を繰り返し、成功体験を重ねることで、自信をもつことができます。私たちには無限の可能性があります。その可能性を最大限に広げるのは、他の誰でもなく自分自身ではないでしょうか。 3月29日(火) 『私の挑戦』(3)挑戦したい・克服したいと思った時、勇気を出して近くにいる人を頼るのです。サポートしてくれる人が、誰か近くにいると思います。私にヨウコ先生や多くの方々がいるように。いただいたサポートで笑顔になると、自分自身も周りの人達も幸せになれると私は思います。 私は将来どのような職業に就きたいのか、具体的にはまだ決まっていませんが、人助け・サポートをする仕事に就きたいです。自分自身がいただいてきたサポートの恩返しをしたいからです。また、これから出会う人達と、挑戦したことを語り合い、お互いの可能性を高め合いたいです。その時に向け、広い視野を持ち挑戦を続けます。 現在私は身体が成長中のため、義手を作ることができません。何年後かに、身体の成長具合と相談しながら、義手を装着する予定です。義手を装着し、両手を使ってやりたいことがあります。それは、毎朝母に結んでもらっているこの髪型を、自分の手で結びおしゃれを楽しむことです。 3月29日(火) ジャージの寄付活動の様子まだまだ着れそうな綺麗なジャージが集まりました。 ご協力いただいた皆さん、ありがとうございました。 3月29日(火)本日の部活動【剣道部】3月28日(月) バレー部 練習の様子練習してきたことが、少しずつ形になってきた人もいます。 部を盛り上げようと声を掛ける人もいます。 仲間同士で高め合おうと努力している人もいます。 残りわずかの練習も頑張りましょう。 3月28日(月)本日の部活動【剣道部】3月28日(月) 春休みに届けたい!中学生の想い!学校が春休みになり、みなさんと挨拶する機会が減ったのはとても残念です。なぜなら、みなさんの挨拶からいつも元気とパワーをもらうことができていたからです。生徒会役員選挙でも話題になり、凡事徹底の柱のひとつでもある『挨拶』について考えてもらう作文を今日は紹介します。題は『挨拶』。作者は岩手県の中3の生徒です。 作者の子は『この主張をどんな人に届けたいですか?』という問いに、次のように答えています。 ◆◆◆私は友達、家族、地域の方などたくさんの人との関わりの中で「挨拶」が大切だと気づかされました。ですから、今度は私の体験したことを踏まえ、気持ちを表に出すのが苦手な人や友達、家族との会話で悩んでいる人にこの主張を届けたいと思いました。挨拶を心がけることで、その人の習慣、性格、人柄が変われば、相手もその変化に気づいてくれると思います。なにより、毎日の挨拶やコミュニケーションが相手の心を大きく動かすことを知ってほしいです◆◆◆ それでは、どうぞ! 3月28日(月) 『挨拶』(1)「働き始めた頃は、自分が役に立っているのか実感できずに、悩んでいました。でも、悩みながらも、患者さんとのコミュニケーションは毎日欠かさず、自分に何か力になれることがないか、探していたんです。するとあるとき、『いつも話し相手になってくれて嬉しいよ。ありがとうね。あなたのおかげで元気が出るよ。』と言ってくれた患者さんがいました。そんな出来事があって、私は挨拶や会話によって、患者さんの心の支えになれることが分かったんです。」 元気が出る挨拶って、なんだろう。私は、セミナーに参加する前から、日常的に挨拶をしている。でも、家族も、友達も、私と挨拶を交わした人が元気になっているだろうか。答えはノーだと思う。では、看護師さんの挨拶と、私の挨拶は、何が違うのだろうか。 3月28日(月) 『挨拶』(2)では、私はどうだろう。「おはよー。」私は、挨拶はするけれど、挨拶だけだ。そこで完結している。挨拶のあとには何もない。自分ではきちんとしていたつもりの挨拶は、形式的なものだったのだ。これでは、看護師さんの挨拶には程遠い。 セミナーに参加した次の日から、私は意識を変えた。「なにかいいことあったのかな」「いつもより元気ないな。」挨拶をしたときの表情や声のトーンから、相手の気持ちを考えて、話題や言葉を選ぶようにしてみた。すると、そのあとの会話が以前よりも弾んだ。友達が相談してくれるようになった。私の挨拶で、相手が元気になったのかは分からない。でも、相手と心が通った、そんな実感があった。挨拶をしたあとに、どれだけ相手のことを考えられるか、それこそが、より良いコミュニケーションのために必要なことではないだろうか。セミナー参加後の自身の実践から、私は、相手のことを考える姿勢、相手に歩み寄る姿勢が、相手との心の距離を縮めることに気付くことができた。 3月28日(月) 『挨拶』(3)あなたは、コミュニケーションのことで悩むことはあるだろうか。挨拶は、人と人との関わりの、スタートラインにすぎない。相手を思いやる姿勢があれば、そのスタートラインから一歩前に踏み出せる。誰かの歩み寄りを待たず、自ら一歩を踏み出すことで、結果が変わってくるはずだ。だから私は、今日も挨拶をする。「おはよう」 3月27日(日)『初桜 折りしも今日は よき日なり』
『初桜 折りしも今日は よき日なり』
(作:松尾芭蕉) 咲いて間もない桜の花のことを『初桜』といいます。今日、3月27日は『さくらの日』。3×9(サク)=27の語呂合わせと、七十二候のひとつ「桜始開」が重なる時期であることから。日本さくらの会が1992(平成4)年に制定したそうです。「日本の歴史や文化、風土と深くかかわってきた桜を通して、日本の自然や文化について関心を深める日にしてほしい」という願いが込められています。 今日はサクラも喜ぶような暖かな日和になりそうです。きっと葉栗の堤防のサクラも開花が進んでいきますね。春休み最初の日曜日、ぜひ家族で散策に出かけて春の一日を楽しんでみませんか。 (写真は葉栗中学校の中庭の今朝の桜の様子です) 3月27日(日) 今朝の葉栗小学校の桜<サクラにちなんだ短歌の紹介> 『 いざ子ども 山べにゆかむ 桜見に 明日ともいはば 散りもこそせめ 』 (作:良寛) どんな思いが込められているでしょうか。 3月27日(日) 今朝の葉栗北小学校の桜<桜にちなんだ短歌の紹介> 『 山桜 霞の間より ほのかにも 見てし人こそ 恋しかりけれ 』 (作:紀貫之) どんな思いが込められているでしょうか。 3月27日(日) 春休みに届けたい!中学生の想い!誰にでもあることだからこそ、自分の中にある思いに気づくことが必要です、今日は『認め合うこと』とはどんなことなのか考えてほしいと思い、この作文を紹介します。題は『認め合うことの本質』で、広島県の中3の生徒の作品です。 作者は、『この主張をどんな人に届けたいですか?』という問いに対して、次のように語っています。 ◆◆◆私はこの主張を,自分は差別などしない,偏見など持っていない,と思っている人にこそ伝えたいです。なぜなら,自分の知らないものに対して差別的なとらえ方をしたり,偏った見方をしたりすることは誰にでもあるからです。差別や偏見をなくすためには,他人事ではなく,自分の中にもそういった考え方があることに気付くことが大切です。この主張を通して,自分を見つめ直すきっかけにしてもらいたいです◆◆◆ 3月27日(日) 『認め合うことの本質』(1)私は、母が中国人、父が日本人のハーフです。そのため、幼いころから中国の文化に触れることができていました。ただ、ハーフだからという理由で友達に冷やかされたこともありました。 「ねぇ、中国人は虫を食べるの。」 と聞かれたこともあるし、「中国は汚い」というイメージを持っている人にも出会いました。私はなぜその人たちが中国に行ったこともないのに、悪いイメージを抱いているのか分かりませんでした。ハーフであることを冷やかされたとき、私はどうしたらいいんだろうと悩んで、それを父に相談したことがあります。父は「実際におまえは中国の文化を体験しているんだからそんな言葉は気にするな。」 と答えてくれました。私はこの言葉にとても救われました。私は、日中ハーフに生まれたこともあり、幼いころから周囲の人達の外国人に対する偏見について考えてきました。なぜ言葉や食べるもの、肌の色が違うだけで批判的な目で見てしまうのか、それはその国についてよく知らないからだと思います。私の住んでいる地域には、外国の研修生の方が多くいらっしゃるのですが、ある時私の友達がその方たちを見て「怖い」と言ったのです。私は、「よく知らないということが怖いという気持ちにつながっているのではないか」と思いました。だから「もっと色々な国の文化を知ってお互いに認め合う心を持つべきだ」と考えました。そして私は既に中国の文化を体験できているからこそ、「絶対に他国の人やその文化に対して偏見を持たないし、差別的発言もしない」とそう決めていました。 3月27日(日) 『認め合うことの本質』(2)「はぁ…そんなわけないじゃん」 とため息交じりに言い返していました。その時の私はまだ、自分自身が虫を食べることは汚いという偏見を持っていたことに気が付いていなかったのです。実は、最近になって私は、中国でも虫を食べる地域もあるということを知りました。それは、私が中国に行ったときに私の目の前で、調理した虫をいとこがおいしそうに食べる姿を見たからです。衝撃を受けました。その衝撃とは、「絶対偏見なんか持たない」と決めていた私自身が、虫を食べるという食文化に対し、偏見を抱いてしまっていたことへの衝撃です。私自身が認めたくないものが私の中にも潜んでいたのです。でもそれはなぜだろうと考えたとき、私は 「表面的に認め合う」ことは出来ていても、「認め合うことの本質」そのものを理解していなかったのではないかと気付いたのです。 3月27日(日) 『認め合うことの本質』(3)まだ世の中にはたくさんの差別や偏見があり、苦しんでいる人達が多く存在しています。みなさんは「自分で気付いていない偏見」、持っていませんか。 3月27日(日)今週・来週の予定4月6日(水)入学式準備 4月7日(木)入学式・始業式 4月8日(金)町内別会・部活動 |
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