※ 写真は、本日の3年4組の教室です。
本日は、ご多用中にもかかわらず、本校第66回卒業証書授与式に際し、北区教育委員会を代表されて教育長 ・ 内田 隆 様、ならびに、大勢のご来賓の皆様にご臨席を賜りました。 学校を代表して、心より御礼申し上げます。
保護者の皆様におかれましては、お子様のご卒業誠におめでとうございます。
至らないところも多々あったかもしれませんが、私たち教職員は、この3年間全力でお子さんの指導に当たってまいりました。 本校の教育活動に対し、今日まで賜りました皆様のご理解とご協力に、厚く御礼申し上げます。
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さて、3年生の皆さん。
中学校の卒業、そして、義務教育課程の修了、おめでとうございます。
この3年間、私は、隔週で行われる全校朝礼や、こうした儀式的行事で話す時間は、私が皆さんにできる授業だと思っていました。 そして、授業の担任として、その時々で皆さんに伝えたいこと、考えてほしいことを語ってきました。
今日は、その最後の授業です。 そして、最後の授業だからこそ、この体育館という名の教室で、私が、もしかしたら皆さんに一番伝えたかったことを話したいと思います。
今かかっている曲は、先日行われた合唱コンクールで、3年1組の皆さんが歌った 『 手紙 』 です。 この曲は、『 拝啓 十五の君へ 』 というサブタイトルが示すとおり、15という多感な世代の抱える不安や悩みが歌われています。
私が、最後の授業で皆さんに語り、ともに考えてほしかったこと。 それは、「 15歳とは、何か 」 ということです。
先ほども言いましたが、15歳は義務教育課程を修了する年です。 本日をもって、後ろにいらっしゃる皆さんのお父さん、お母さんは、子である皆さんに教育を受けさせる義務がなくなりました。
つまり、これから先の教育は、100%皆さんの意思で受けることになるのです。 したがって、学校教育を受けずに働くことも、自分の意思で選択することができます。 そういった点、皆さんは私たち大人と変わりありません。
では、法的にどうであるかは別にして、15歳は本当に 「 大人 」 と呼べるのでしょうか?
その問いに答えを出してもらうために、実際に私が見たり聞いたりした15歳の一例を紹介しましょう。 今から挙げる15歳の姿は、紛れもなく今私の目の前にいる皆さんの姿です。
先生に 「 右を向け 」 と言われて、わざと左を向いた15歳。 親に小言を言われたときの返事が、「 わかってるよ 」 「 うざい 」 のどちらかだった15歳。
いつも乱暴な言葉遣いを叱られているのに、入試の面接練習では、不慣れな丁寧語をつかい、蚊の鳴くような声で答えていた15歳。 校則に触れる制服の着方や髪型をすることで、一生懸命自己主張していた15歳。
次の休み時間、直接友達に話せばすむ内容のことでさえ、わざわざ授業中メモ用紙に書いて渡していた15歳。 消されることがわかっていても、机に自分の好きなアーティストの名前を書かずにはいられなかった15歳。
授業中、ノートをとっていないことを咎められると、根拠のない 「 大丈夫です 」 で、ごまかそうとしていた15歳。 同じく授業中、実はとっくに正解が書けているのに、先生の発問に手を挙げられなかった15歳。
どこか具合が悪いわけでもないのに保健室に来て、中に入ったとたん、理由もなく涙が頬をつたった15歳。 何気ない友達の一言が心に引っかかり、学校に行く前は必ずお腹が痛くなった15歳。
持ち物にいたずらされた友達を気遣い、登下校や休み時間には必ず付き添ってあげていた15歳。 普段は口数が少ないけれど、クラスがバラバラになりかけたとき、涙ながらに自分の意見を述べた15歳。
部活動最後の大会 … 試合終了の合図と同時に、それまでこらえていた涙とともに崩れ落ちた15歳。 第1志望校に合格したのに、隣にいた友達が不合格だったことを気にして、不機嫌そうに 「 一応受かりました 」 と報告した15歳。
そして、つい先日、「 校長先生のノリにはついていけませんよぉ 」 と言いながらも、ディズニーランドで私に 「 ジョニー!」 と声をかけてくれた15歳 … 。
私の知っている15歳、つまり皆さんは、一生懸命とんがったり強がったりもするけれど、実は未熟で弱々しく、しかし、そのぶん優しくて繊細な存在でした。
大人から見ればどうでもいいようなことに笑い、涙を流し、反抗し、傷つく。 そんなにももろくて危なっかしく、だからこそ純粋で透き通っていた15歳 … それが、皆さんです。
そんな皆さんが 「 大人 」 になるためには、まだまだたくさんの人生経験が必要です。 そして、その経験の中には、苦労や挫折、失敗もあるでしょう。 しかし、実はそれこそが、皆さんが大人へと成長するための糧となるのです。
ただし、もし、その苦労に耐えきれなくなったり、挫折から立ち直れそうになかったりしたときは、どうか、ここに戻っていらっしゃい。 今日、皆さんは巣立っていくけれど、稲付中はこれから先もずっと、皆さんの母校です。
「 母なる校 ( まなびや )」 と書いて母校。
皆さんのお母さんが、無条件に我が子を受け入れてきてくれたように、母校の先生方は傷ついた皆さんを受け入れてくれるはずです。 そのときは、15歳の未熟な自分に戻って、うんと甘えてください。
さて、私が皆さんにできる最後の授業も、終わりの時間に近づきました。 そして、それは、もう一つの終わりを意味しています。 皆さんは、9月の修学旅行の解散式、京都駅で私が話したことを覚えていますか?
「 2泊3日の修学旅行は終わるけれど、卒業までの旅はまだ続く。 そして、これだけの修学旅行ができた皆さんなら、きっと 『 東京で一番 』 の卒業式にできるはず。 その日まで、あともう少し、私は皆さんと一緒に旅を続けたい … 」
そんな話をしたはずです。 今、その旅も終わります。 皆さんと出会って3年間、時々、荒れた海の中で船が沈みかかったり、船がどこに向かうのかさえわからなくなったりもしましたが、本当に楽しい旅でした。
では、これで私の授業を終わります。 最後は、いつも皆さんが普通教室の授業でしてきた挨拶を、私に言わせてください。
3年間、楽しい旅を共にしてくれて、どうもありがとうございました。
平成27年3月20日 北区立稲付中学校長 武田幸雄