今回の朝礼から、司会進行が新生徒会役員にバトンタッチされました。 これから1年間、スムースな運営をお願いします ( 写真・中 )。
また、本日の朝礼では、北区立中学校読書感想文コンクールの表彰も行いました。 入賞者は、下記の人たちです。(敬称略)
【 佳作 】 寺尾千鶴 ・ 大島夏帆 (3年) 斎藤 碧 (2年) 金澤萌加 (1年)
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3学年主任の土井先生ほどではありませんが、沖縄が好きで何回か旅行したことがあります。 その沖縄に 【 なんくるないさ 】 という方言があります。 「 なんとかなるさ 」 という意味です。
沖縄県の方々には、時間に追われることなくのんびり構え、物事を楽天的に考える傾向があるといわれます。 そんな県民性を象徴するような方言で、困難に直面したときなど心の中でつぶやくと、前向きになれる方言です。
ただし、私は、この 「 なんくるないさ = なんとかなるさ 」 という言葉は、どういう人間が、どんな場面で使うかによって、言葉の重みというか、意味が全然違ってくると思っています。
困難を乗り越えようと、とことん努力した … 。 自分にできることは、すべてやった … 。 つまり、自分の力でなんとかしようとしてきた人が、最後の最後に使う 「 なんとかなるさ 」 には、説得力があると思います。
それに対して、それまで怠けていただけの者が、最後に神頼みで使う 「 なんとかなるさ 」、なんとかなる見込みもないくせに、自分を慰めるために使う 「 なんとかなるさ 」 には、むなしい響きしかありません。
【 人事を尽くして天命を待つ 】 という諺があります。 「 自分にできる限りのことをしたら、結果は天命に任せる 」 という意味ですが、本来 「 なんとかなるさ 」 は、そんな心境を表す言葉として使うべきだと思います。
もう一つ、諺を紹介しましょう。 【 窮鼠猫を噛む 】( きゅうそねこをかむ ) という諺です。 追いつめられたネズミが猫にかみつく … つまり、窮地に陥った弱者が、開き直って逆襲に転じるという意味です。
「 開き直る 」 と言えば、少しかっこよく聞こえたかもしれません。 しかし、実態は、どうにもならなくなったからヤケになって噛みついただけで、他にとるべき手立てがなくなれば誰でもそうします。
同じようにそれまで怠けていた人が、いよいよ最後に開き直って行動に移すことを 「 勇気 」 とは言いません。 真の勇者とは、自分が窮地に追い込まれないよう、日頃から最善の努力を惜しまない人のことなのです。
さて、本日、職員室前に秋季考査の成績が発表されましたが、早いもので明日で冬季考査3週間前となります。 今年度4回目の定期考査です。 今、過去3回の定期考査における学習への取り組み姿勢を、振り返ってみてください。
学習を怠ける言い訳として、「 なんとかなるさ 」 を使ってきた人はいないでしょうか? いつか窮地に追い込まれる予感はあっても、その不安や焦りを 「 なんとかなるさ 」 でごまかしてきた人はいないでしょうか?
もし、いたとしたら、過去3回の経験上その人たちも、もう十分わかっているはずです。 自分の力でなんとかする気のない人が、「 なんとかなる 」 などということはあり得ないのです。
3年生の皆さん。 同じことが、定期考査だけでなく、早ければ2ヶ月半後に迫った高校入試にも言えます。
まずは 【 人事を尽くす 】 = 自分の力でなんとかしようと最善の努力を尽くす。 それができて初めて人は、最後に 【 天命を待つ 】 = 「 あとは、なんくるないさ ( なんとかなるさ )」 という心境になれるのです。
それが試験であれ何であれ、人生には何回も勝負の時があります。 そのとき、窮地に追いつめられたネズミとしてではなく、人事を尽くした真の勇者として、「 なんくるないさ 」 と言えるようにしておきましょう。