本日の全校朝礼は、『私たちの失敗』と題した資料を用いて、少し長い話をしなければならなかったので、放送朝礼という形で行いました。 そのため講話の内容も、ここにすべてを記載することができません。
資料の詳細(特に『東京が燃えた日』からの引用部分)については、本日お子さんが持ち帰った資料をご覧ください。 そして、お子さんと一緒に、東京大空襲や戦争についてお話し合いいただければ幸いです。
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1945年(昭和20)8月6日、広島に原爆投下。 同年8月9日、長崎に原爆投下…。 たぶん多くの日本人が、その日を「忘れてはならない日」として心に刻んでいることでしょう。
では、皆さんの中に、今週の木曜日、つまり、3月10日が何の日かと問われ、即答できる人はいるでしょうか。 広島や長崎に原爆が投下されたのと同じ年の3月10日未明、日本の首都・東京は炎に包まれました。
終戦の約5ヶ月前、日本の敗戦もいよいよ決定的になりつつあったこの日、東京は下町を中心にアメリカ軍の無差別攻撃(B29型爆撃機約300機による、夜間低空焼夷弾攻撃)にさらされたのです。
空襲時間2時間22分、死者約10万人、負傷者4万人、罹災者(被害を受けた人)101万人、消失家屋27万戸(区部の約半分が焼失)。
これが世に言う“ 東京大空襲 ”です。 ちなみに10万人という死者の数は、短時間の惨禍としては約12万〜14万人と推定されている、広島原爆による死者に次ぐ多さです。
平成2年、東京都はこの日を“ 東京都平和の日 ”と定めました。
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東京に住んでいながら、広島や長崎に原爆が投下された日は覚えていても、同じぐらい多くの犠牲者を出した東京大空襲の日を知らない…。 そういう人は、中学生に限らず大人にも大勢います。
以前から私は、そのことが不思議でなりませんでした。 いえ、「不思議」というより、「残念」という表現をしたほうが適切かもしれません。
私は、当時皆さんと同い年ぐらいだった自分の父から、東京大空襲の様子を聞かされたことがあります。 父は、母親(私にとっての祖母)と弟たち(私にとっての叔父)が田舎に疎開していたため、父親(私にとっての祖父)と二人暮らしでした。
その日、まだ夜中だというのに、辺りはすべての家屋を燃やす炎で昼間のように明るくなったと言っていました。 そして、祖父と二人、近所で唯一燃える建物のない場所、現在のJR埼京線・池袋駅〜板橋駅間の鉄道敷地内を目指して逃げたのだそうです。
そこにたどり着くまでの間、道路両脇の家がすべて火事で燃えていたので、まるで炎のトンネルのようになった道を走り続け、一命を取り留めたと聞かされました。
私の手元に、『東京が燃えた日』(岩波ジュニア新書)という本があります。 著者の早乙女勝元氏が、自身の体験やさまざまな資料、罹災者の証言、記録等をまとめた書物です。
中学生である皆さんにもぜひ読んでもらいたい本の一冊ですが、今日はこの中に収録されている森川寿美子さんという方の手記を引用させてもらいます。
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(空襲で子供3人の命を奪われた森川さんの手記を引用 = 省略)
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『東京が燃えた日』の著者である早乙女勝元氏によると、森川寿美子さんは、以上の手記のもとになる記録ノートを、東京大空襲翌年の3月10日、子供たちの一周忌に墓参りから帰宅して書いたのだそうです。
どうしても「あの夜」のことを書き残しておきたくて、亡き子らに話しかけるような気持ちで書いたのだといいます。 そして、手記の原稿には、次のような手紙が添えられていたそうです。
【 あと何年かたって、日本中が戦争を知らない世代ばかりになったとき、あの子たちの死んだことが、だれの心にも残らなかったとしたら、母として子どもにすまない気がして書きました。】
最初に『東京が燃えた日』を読んだとき、私は取り返しのつかない「過去」に対する悲しみと怒りを覚えました。 しかし、前述した森川さんの執筆動機を知ったうえで改めて読み返すと、悲しみや怒りだけではない、また別の思いがわき上がってきます。
それは、取り返しのつかない「過去」を、あらゆる可能性を秘めた「未来」に語り継がなければならないという使命感です。
生徒の皆さん。 私と一緒に考えてください。 戦争は、なぜ起きるのでしょう?
…いえ、その言い方は、無責任だったと思います。 戦争は、勝手に「起きる」ものではなく、人間が「起こす」ものなのですから。 では、改めて問います。
人間は、なぜ戦争を起こすのでしょう?
自分たちの領土を拡大するため? より多くの資源を確保するため? 異なる主義や思想・民族・宗教が許せないから? 巨額の富をもたらす軍需産業という名のビジネスが、存在しているから? あるいはまた、人間という生き物が、本質的に同種間の争いを好む習性をもっているから…?
その答えは人によって、あるいは、戦争によって異なると思います。
ただし、誰が、どんな理由を付けようとも、すべての戦争に共通した紛れもない事実があります。
それは、戦争によってたくさんの血と涙が流れ、多くの命が理不尽に奪われたということです。 そして、その都度、誰もが嘆き、あるいは憤り、あるいは眉をしかめ唇をかんできたということです。
それなのに、歴史という大きな時間の流れの中では、次の瞬間また同じ失敗を繰り返してしまう…。 しかも、科学技術の進歩を背景に戦略や兵器の近代化が進むにつれ、失敗もまた、繰り返されるたびにますます多くの犠牲を出すようになっていきました。
20世紀に行われた戦争が「大量殺戮の時代」と呼ばれる所以です。
もう、人間はいい加減に気づくべきではないでしょうか。 どんな理由をつけても、戦争は戦争なのです。 そして、戦争とは、多くの命を奪い、多くの傷を人々の心と体に残すものなのです。
そんな当たり前で簡単なことを後世に語り継ごうとしないから、人間は同じ失敗を繰り返してしまうのです。
私も、皆さんも、実体験としての戦争を知りません。 しかし、歴史を学び、後世に語り継ぎ、先人のはらった莫大な犠牲を無駄にしないよう心掛けるのは、あとに残った者の使命だと思います。
その使命を私たちが果たさなかったために、いつか私たちの子孫が同じ失敗を繰り返したとしたら、それはもはや彼らの失敗ではありません。
「私たちの失敗」なのです。