愛される学校づくり研究会

【第3回】朝の廊下とトイレを封鎖せよ!

「いつまで廊下にいるんだ! 早く教室に入れ!」
 「トイレで自分の顔ばかり見ている女子! おまえたちがかわいいことはもうわかっているから教室にもどれ! 朝学が始まるぞ!」
 大きな声を出しながら廊下をまわり、登校後間もない生徒たちをなんとか教室に入れ、朝学習の準備をさせる。

 午前8時10分。自分のクラスに行くと、本来自分の席に着き朝学習のプリントをやっていなければならない時間のはずなのに、わいわいがやがや仲良しグループがかたまり親睦を深めている。大きな声で「早く席について朝学始めんか! もうすぐ入試もあるんだぞ! 少しは緊張感というものを持て!」と注意し、やっとの思いで、朝学習の態勢にさせる。

 落ち着いたところで全体を見渡すといつものように席がいくつか空いている。朝校門を通過したはずの元気のあり余っている坊ちゃんたちがまたいない。「探しに行ってくるから、みんなはお利口に勉強しているんだぞ!学力アップは地味な勉強の積み重ねだぞ! いいな!」と言い残し、見回りの先生に学級を頼み、捜索に出かける。まず今までの中でいちばん確保した実績の多い、プール北に向かう…。今日もいるに違いないと角を曲がると残念ながら誰もいない…。
 「はずれだったか…じゃあ、あそこに行ってみよう…」

 仲間の先生と向かったのは武道場の裏だ。「今度は絶対まちがいないって!」と話しながら現場に行くと、またまたはずれであった…。
 「おかしいなー…。校舎内は朝チェックしたから絶対校舎外のどこかにいるはずだ…」
 そのとき今まであまり当たったことのない「カン」がピィピィッと働いた。
 「最近あいつら学校帰り近くの神社でよくたまっているらしいからそこかも知れないぞ」

 校門を出て、駆け足で所要時間2分35秒のところにある神社に足を運ぶ。「ビンゴ!」。元気があり余っている坊ちゃん軍団が地面に座り込み、親睦をさらに深めている。「学校にもどす説得工作」に入る。「勉強なんかやっとれん〜」「俺たち高校行かないし〜意味ないじゃん」といつものように「お決まり」の理由付けをし、なかなかその場を動こうとしない。

 「まあ、おまえたちの気持ちがわからんでもないけど、自分たちが今やるべきことだけはやらんといかんしな〜」
 「それに働き始めたら、自分のやりたくないことも我慢してやらないとお金ももらえないだろう?」
 「それに男としてやっぱり筋を通していかんとみっともないしな…」
 「本当はこんなことしていてはいけないと思っているだろ?」  そしていつもの殺し文句、「今日の給食はおまえたちの好きな焼きそばだぞ。フルーツも付くぞ!」といったところでようやく重い腰を上げ、一緒に教室へ。

 やっとの思いで坊ちゃんたちを自分の席に着かせたときは朝の短学級を始めなければならない時間であった。短級を始めようとすると、朝学のときにいたはずの少女Aがいない。
 「また、カメレオン作戦か…」
 いつものように隣の教室の仲良しの少女Bのいる教室へ。しっかり隣のクラスの生徒に同化し、少女Bと楽しそうにおしゃべりしながら短級を受けている少女Aを連れもどし、やっと全員そろって短級開始…。
 朝から何をやっているのかわからない日の連続…。これだけでかなりのエネルギーを費やしてしまう。本当に「とほほ…」状態である。朝の様子から、一日の学校生活の中でこういったことが繰り返されていることは、容易に想像がつくであろう…。

 …これは、数年前自分が担任をしているときに経験した、世間で少し荒れていると呼ばれている学校の、朝のごくありふれた様子である。


***  ***  ***
 

朝から学校がこんなにバタバタしていては、落ち着きのある学校生活が送れる訳がない、まじめに勉強しようとしている大多数を占める生徒たちにとっても大迷惑である。特に2年、3年でこういう状況になってしまったら、収めるために莫大なエネルギーを要する。

 臆病者の私は、この苦い経験をいかし、中学1年生のときから基本的生活習慣の形成の一つとして、「朝の廊下とトイレを封鎖せよ!」作戦を登校後の最重要課題として実行している。朝登校したら、8時05分までに教室に入る。そして、8時10分の牧中タイムと呼ばれる読書の時間までに係活動やトイレなどを確実に済ませる。8時05分を過ぎたら、廊下で話し込んだり、勝手にトイレに行ったりすることをが一切ないようにする。そして、8時10分には、全員が自分の席に着き読書を開始する。当然おしゃべりもなしである。

 「いやー何て管理的!」と言われそうであるが、その通りである。放課は放課、読書タイムは読書タイム、授業は授業としっかりと「けじめをつけた生活をさせる」習慣を身につけさせるために徹底しているのである。これは、生徒たちがやがて社会に出て行ったときにも絶対に必要なことである。
 仕事中自分の持ち場を勝手に離れたり、仕事中おしゃべりばかりしているなんていうことがあっては、まわりからの信頼は得られない。「自分のやるべきことをきちんとやる」―当たり前のことである。

 いま2年生になった生徒たちは、1年生のときから厳しく妥協することなく指導してきた成果があって、「牧中タイム」に廊下に出てくる生徒もトイレに行く生徒もいない。また、読書習慣が身につき、さわやかな読書タイムのBGMの中で落ち着いた時を過ごしている。落ち着きのある朝から始まる1日は、落ち着きのある1日になる。
 そういう中で生活できる生徒は幸せである。ちなみに、「牧中タイム」中、当然のことながら寝ている生徒、忘れた宿題をばれないようにやっている生徒も、ごくわずかであるがいるのも教育現場の常である…。

 (給食食管紛失事件「給食指導を徹底せよ!」につづく…)

(2003年10月27日)

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●杉浦 嘉一
(すぎうら・よしかず)

小牧中学校教諭。学年主任、保健体育担当、剣道部顧問、伝統の駅伝部総監督。年度末に校内で密かに出す「人事ファン」(杉浦の人事異動予想紙)はあっという間に売り切れ。お茶目な中に本質を突く学校教育論を書かせたら右?に出る者はいない。子どもの傍らにいつもいる存在であるように学校中を動き回っている。