愛される学校づくり研究会

私の心に残る授業

★これまでのリレーコラム「授業のある風景」から、「私の心に残る授業」に切り替えて、自分が受けた授業、実施した授業、参観した授業等々、強く印象に残っている授業について、それぞれの主観をもとに示して頂きます。印象に残っているのには、きっと理由があるはずです。

【 第9回 】たいがいた
〜岩倉市立岩倉中学校 教頭 小川 康夫〜

たいがいた」。私がこの言葉に出会ったのは10年ほど前のある講演会だった。講師は、当時筑波大学附属小学校教諭の正木孝昌先生であった。講演の内容は、授業の実践事例を紹介されながら、子どもたちの学びを「受動から能動」にすることの重要性についてであった。そして、「たい」とは「〜したい」という子どもの内発的な欲求を表した言葉であり、それを、楽しくだじゃれのように表したのが演題であった「たいがいた」である。

たい

授業開始のチャイムが鳴ると子ども達は着席をし、授業が始まる。しかし、子ども達の心の中には「もっと、ドッヂボールがしたい」「友達と話がしたい」「本がよみたい」といった休み時間に生じた様々な欲求が存在している。そんな中、全員の意識を一点に集めるために、「今日はくじ引きをしようか」と投げかける。続けて「ノートに2桁の数を書きましょう。それがあなたのくじ番号です。」と伝える。子どもたちは静かにノートに書き始める。その瞬間、「ちょっと待って、絶対に当たらない数があるから、それは教えておくね。ひとつは33とか44とかいう数。もう一つ当たらないのは、30とか40とかいう数だよ。」と伝える。子どもたちは急いで2桁の数を書き姿勢を正す。その後、当たり番号を27と発表するのだが、2桁の数のそのものが27なのではなく、十の位と一の位を入れ替えて大きい方から小さい方を引いた数(この計算を、正木先生は「がったんぴい」と名付けていらっしゃる。)が27であることを伝える。すると、子どもたちは一生懸命に計算を始める。計算結果が27になった子は、「当たった!」と大喜びをする。

その後、当たりくじ(計算も含む)をカードに書いて黒板に並べていく。(図1参照)

図9-1

すると「もう、ないかなぁ」というつぶやきが、聞こえてくる。この瞬間「もっと、当たりくじを見つけたい」という小さな小さな欲求が生じたのである。そして、更に見つけた当たりくじのカードをもう1つ加える。(図2参照)

図9-2

そして、「何か、おもしろいことはないかなぁ」と教師がつぶやく。すると、少しの間黒板とにらめっこをした後「カードを並び替えたい」という声が上がり、子どもたちはみんなで相談しながら、カードの位置を変える。(図3参照)

図9-3

ここではカードを変えたいと言った子に見えた景色が他の子にも見えるようにゆっくり展開していく。すると、ある子が「3が見える」とつぶやく。これこそ教師の待っていた声なのだが、ごく一部の子にしか見えていない。そこで、この気づきを、みんなで共有するために、「どこに見えるか声を出さないで発表してごらん」と促す。指で十の位と一の位をなぞる子が出てくる。徐々に「分かった!」「なるほど!」といった声が上がり、全員が3(十の位と一の位の差)を見つける。

すると、「当たりくじの見つけ方が分かった!」と残された当たりくじを見つけ、確かめの計算をしている。

この実践は、さらにハズレくじも同様にカードを並べていくと9が見えてくる。つまり、9に十の位と一の位の差をかけると「がったんぴい」した数になることに気づいていくのである。(図4参照)

図9-4

きまりを見つける過程で、子ども達の表情はどんどん生き生きとして、瞳は輝いてくる。中には、発見した喜びで歓喜をあげる子もいる。
  このように子ども達の「〜したい」という小さな欲求を引き出し、その欲求を次々と繋ぎ、そして、どんどん大きくしていくと、子どもの学びは受動から能動になっていく。さらに、欲求の内容はどんどん本時の学びの本質に迫ってくる。

正木先生の講演会では、他にも沢山の実践事例が紹介されたが、どの実践にもたいがいた。
  私自身は、この講演会での正木先生との出逢いをきっかけに、数年間全国で師範授業をされる正木先生に同行し、授業から多くのことを学ばせていただいた。

また、若かりし頃の自分が行った拙い授業を振り返ってみると、印象深い授業にはやはり「たい」がいた。以下に挙げるのは教員駆け出しの頃に行った小学校での「円と球」における授業実践である。

授業が始まる。「今日は面白いものを持ってきたよ」と教師が輪投げを始める。子どもたちは興味深そうに身を乗り出しながら輪投げを見ている。輪投げが終わるや否や教室は、「僕もやりたい」「いいなぁ、私も!」という声と共に満面の笑みと指先まで力の行き渡った挙手で溢れた。教師は5人の子を指名して直線上に並べて、輪投げの輪を手渡した。5人の子どもたちは、狙いを定めて、真剣な眼差しで的をめがけて輪を投げる。「入った」「入らない」と結果に一喜一憂している。級友も体を乗り出して一緒になって喜び、落胆している。そんな中、一人の「ずるい!」という声が聞こえてきた。「どうしたの?」と聞くと「ここの場所はいやだ」と言い出した。どこから投げたいのか聞いたところ、あれこれと場所を探しながら直線に並んだ5人の内、中央の場所を選んだ。これをきっかけに、「学級みんなが平等に投げることができる場所を探そう!」と様々な方法で的から同じ距離の場所を探すことになった。始めは実際の的を使い、思い思いのものを基準にしながら調べていた。しかし、実際の的を使うのは大変なため、徐々に紙面に写し、紙面上で考える子が出てきた。こうして、全員の考えを共有する過程で、円の概念を学び合った。

最後には、実際の「輪投げの的」に学びの場を戻し、学級みんなで的を中心とした円を作り、少し離れた場所から眺めて喜び合った。これは、若かりし頃に私が行った授業の一つである。まだまだ、拙い授業ではあるが、子ども達の満面の笑顔と真剣な眼差しは今でも忘れられない。心に残る授業には、やはり「たいがいた」。そして、たいがいる授業には終わりがない。先ほどの実践でも学びは「円」に留まらなかった。子ども達が平面に的を中心とした円を作っていく過程での出来事だった。一人の子どもが「分かった!」と嬉しそうにつぶやくと、的に結んだ紐を持ちながら椅子の上に立ち、的から同じ距離の点を空間に作っていた。能動的な活動の中から自然な流れで概念が円から球へと展開されていった瞬間であった。

今回は実践の表面部分しか紹介できなかったが、こうした実践は、新学習指導要領のキーワードにもなっている「主体的・対話的で深い学び」に深く関連している。言葉自身は新しいかもしれないが、私達はずっと前から、こうした授業を追い求めてきたように思う。

最近は、授業をする機会がほとんどないが、これからも「たいがいた」といえる授業を求めていきたいと思う。

(2017年9月11日)

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執筆者プロフィール

●小川康夫
(おがわ・やすお)

岡崎市にて教員生活をスタートし23年目。専攻は算数・数学。その後、大口町・江南市・岩倉市の小中学校に勤務し、岩倉市教育委員会指導主事を経て、現在は、岩倉市立岩倉中学校の教頭。平成19年度から2年間、兵庫教育大学教職大学院に派遣され、学校現場から離れた視点から教育を見つめる機会を得る。この間、正木孝昌先生、佐藤真先生といった多くの師と出逢い、見聞を広めた。中学校勤務中はバスケ部顧問として、県公認審判を通して、ミニバスから実業団まで審判活動を通して、様々な分野の方と交流したことが、今でも財産になっている。