愛される学校づくり研究会

私の心に残る授業

★これまでのリレーコラム「授業のある風景」から、「私の心に残る授業」に切り替えて、自分が受けた授業、実施した授業、参観した授業等々、強く印象に残っている授業について、それぞれの主観をもとに示して頂きます。印象に残っているのには、きっと理由があるはずです。

【 第8回 】やはり、有田和正先生の授業です
〜岩手県奥州市立水沢小学校 佐藤 正寿〜

それは30年近く前。昭和の時代だった。昭和63年2月19日。あこがれの有田和正先生(当時筑波大学附属小学校)の授業を見ることができるとあって、朝早くから学校に出かけた。
  公開研究会の授業は9時半すぎからだが、全国的に有名な有田先生のことである。参観者が多いから教室では授業ができない。近くにある会館を使って行われる。できるだけいい条件で授業を見たいと7時に会場に友人と共に行った。すでに私たちより早く来ている人が20名以上いた。次々と参加者は増え、授業が始まる前には数百名が会場に入っていた。

有田先生のお話を聞いたのは、教師になって2年目の県の社会科教育研究大会であった。子どもを見る目の大切さ、子どもの意欲をどう育てるかについて熱弁をふるってくださった。それもユーモアたっぷりにである。まさに名講演。「自分も何かをしたい」という気持ちにさせられるようなすばらしい講演だった。そこから有田先生の著書を読破する日々が続く。
  教師になって3年目。多くの著書を読んでいくうちに、「やはり氏の授業を見なければならない。氏が鍛えた子どもたちを見なければならない。」という思いを強くもった。校長に「しっかりと学んできたい。ぜひ有田学級を参観させてください」と頭を下げた。「目標をもつのはいいことだ。たくさん学んできなさい」と言われた。参観する前から興奮状態で会場に入った。

小学校3年生の社会、「町のうつりかわり」の授業。100年前の東京の町の広がりを、墓地と寺院の分布から考えるものだ。前日にも公開研究会があり、そこで1時間目を公開している。2日間連続で参観している先生方は2日間続きで子どもたちの追究ぶりを参観できるわけである。
  自分は2日目のみの参観だったが、初日の学習が子どもたちの追究意欲に火をつけていたのがわかった。授業の始まる前から子どもたち同士で、すでに調べたことの情報交換をしていたからである。
  授業が始まってからすぐに、子どもたちの追究した成果が表れた。次々に調べたことを発表する子どもたち。その熱気ある発表ぶりに圧倒された。3年生なのに、子どもたちの発表は長く、自分の考えたことも必ず入れていた。いわば「自説の主張」という感があった。
  有田先生はそのような子どもたちの発表に「ほう!」「よく調べたね」と驚いた表情で、声掛けをする。どうまとめるのか…と思ったら、まとめずにどんどんゆさぶりをかける。子どもたちも負けじと先生と対して考えを発表する。「教師に対しても論争を挑んでいる・・・」そんな感じに映った。
 「どうしたら、あれほど表現力のある子たちが育つのだろう」
 「どうしたら、あれほど調べてくる子たちが育つのだろう」
 参観した内容は覚えてはいないが、「鍛えられた有田学級の子どもたち」は衝撃として残った。この時の有田学級が自分にとっては理想の学級となった。「少しでも有田学級に近づきたい」という目標ができたのである。

若い時に、自分のあこがれの学級をもつことができたのは幸せなことだった。有田学級には遠く及ばなかったものの、自分なりにその目標に近づく努力を続けることができたのは、実際に有田学級を見たからだと思っている。

その有田先生に恩返しの機会がやってきた。2013年の2月に東京ビッグサイトの「愛される学校づくりフォーラム2013」での模擬授業者として、有田先生と共に登壇させていただいた。自分の教師人生の目標を決めた時から四半世紀。自分にとっては、まさに「夢の舞台」であった。
  そこで見た有田先生はやはり「有田先生」だった。子ども役の皆さんをゆさぶる姿に、四半世紀前のあの授業が重なって見えた。

(2017年3月13日)

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執筆者プロフィール

●佐藤正寿
(さとう・まさとし)

1962年、秋田県生まれ。秋田大学を卒業後、1年間民間会社勤務。1985年から岩手県公立小学校に勤務。現在、岩手県奥州市立水沢小学校副校長。「地域と日本のよさを伝える授業」をメインテーマに、社会科を中心に教材開発・授業づくりに取り組んでいる。「平歩前進」がモットー。小さなことをこつこつと積み上げるタイプで、「一気にする」ことはやや苦手である。 主な著書『スペシャリスト直伝!社会科授業成功の極意』『実務が必ずうまくいく 副校長・教頭の仕事術55の心得』(明治図書)等。ブログはこちら