愛される学校づくり研究会

★人間には誰にも知的好奇心があります。仕事のため、趣味のため、実益のためなど、様々な目的で我々は学びます。学校のころから勉強が好きだった人も、社会人になってから学ぶ楽しさを感じた人もあるでしょう。ここでは、その楽しさを感じることになったきっかけを振り返り、学ぶことの楽しさを教えてくれた人やことについて紹介します。

【 第9回 】言葉以外の言語に目覚めさせてくれた、絵画読解の授業
〜東京堀田制作集団 代表 堀田敦士〜

もの心ついた時から、すごくたくさんの人に影響をうけてきたと思います。
  学ぶことの楽しさを教えてくれた人というと、それこそ、友だち、先輩、先生、両親といろいろな人を思い出します。多才な人が周りにたくさんいました。
  北海道の田舎暮らしでしたので、山や川や湖をかけまわってあそんだことはもちろん、人間以外にも、犬猫はもちろん、牛や馬や鶏やヤギなども近くに飼われていましたので、いろいろな事に興味が持てるような環境で暮らしていたと思います。

小学校時代は、勉強は好きだけど学校は嫌い。まあ、学校が嫌いというよりもまずい給食と人間関係が苦手。
  幼稚園のころは、みんなで一斉にしなくてはならないお昼寝やお遊戯、遠足が嫌い。見てるだけならいいけど参加したくない。
  小学2年の先生や中学1年の時の担任などは、論理的に話すタイプなので、とても苦手。
  集団行動や会話が苦手なので、家で勉強しているか、絵を描いているか、プラモデルを作っているかのネクラでオタクな子供だったようです。

油絵を趣味とする叔父さんの影響か、小学校でそこそこ絵が上手かった私は、漫画みたいなものをよく描いていました。そして、もっともっと上手になりたいといつも思っていました。

中学校に入った時の最初の美術の授業を今でも鮮明に覚えています。
  美術のイトウ先生は絵を描くのも観るのも好きな先生で、何枚かの絵を紙芝居のように見せて2時間たっぷりと授業されました。いわゆる絵画鑑賞の授業です。そこに持ってきた絵は、シャガールの5、6枚の複製画です。
 一枚一枚ゆっくりと時間をかけて、生徒に見せながら、
  ・なにが描いてある?
  ・村にはどんな動物がいる?
  ・ドレスを着て飛んでいるのはだれだと思う?
  ・季節や時間はいつだろう?
  そんなやりとりをしたり、先生が感じたことや、調べたことを授業の中で話してくれました。
 私は、上手な絵は好きでしたが、シャガールやピカソやマチスなどは嫌いなタイプの絵だった(とても上手には見えなかった)ので、それまでじっくり見たことがなかったのです。
  それが、見方をかえるだけで、なぜ、シャガールがその絵を描いたのか、わかるよう(な気分)になったのです。
__《私と村》Marc Chagall 1911年__ など参照ください
 シャガールは、本当に奥さんのことや、動物たちや村のことが大好きで、しかもそれらのことで頭の中がいっぱいということが「伝わってくる」のでした。絵はうまさではなく、伝える手段なんだということがその中学1年の最初の授業でわかった(気分になった)わけです。(いや、本当はシャガールは上手なんですよ。)

イトウ先生の授業は絵画鑑賞というより、絵画読解でした。これが、美術教育ということかもしれません。もちろん、小学校の図画工作という授業でもそういう意図をもってカリキュラムが組まれているでしょう。私がそういう教育を小学校時代に受けなかった。ただそれだけかもしれません。何かを伝えるために描く。上手じゃなくてもいい。あるいは上手だからといって伝わるわけではない。
  そんなことを感じた中学1年生の4月だったのです。

絵が何を語ろうとしているのかを読み取りながら、言葉にしていく。これは今思うとすごく大切なことだとおもいます。絵は言語だということです。翻訳可能ということです。今、英語はわからないかもしれないけれど、勉強すると聞き取れるようになります。もっと勉強すると話せるようになります。
  それからは、自分のつくった作品が人にどう見えるか、どう伝わるかは、私の中でとても大きな興味の対象になりました。自己満足ではなく、友達や周りの人とのつながりで考えるようになったからです。
 もちろん、見る人がどういう経験を持っているかで伝わり方は変わります。というか変えなくては伝わりません。日本語だって英語だって、話す相手によって単語や文節や文章構成を変えますから。

その先生の授業をうけたのは、1年間だけです。
  それから35年後、退職されたイトウ先生の郷里の自宅をたずねて、2時間ほどお話しました。
・中学の最初の美術の授業が衝撃的だったこと。
・絵をもっと勉強したいと思ったこと
・高校では美術部にはいり、大学ではデザインを専門に勉強したこと。
・仕事はプロダクトデザインという、クライアントの要求を色や形や動作などの見えるカタチに翻訳する仕事についていること。
・長男の名前には、先生の文字を一ついただいたこと。

その先生は、70歳を過ぎましたが、未だに絵を描き続けていろんなチャレンジをしています。

私といえば相変わらず、言葉による人間関係が苦手です。
  仕事をしていく中で、思いが伝わらないこともたくさんありました。伝わらないことの方が多いですが、この仕事をやめようと思ったことはありません。絵という言語があるので、日本語を補完したり、言葉以外の方法で伝えればいいやという気軽さがあるからかもしれません。言葉以外の言語に目覚めさせてくれた美術教師イトウ先生には本当に本当に感謝しています。

(2015年1月26日)

学ぶ楽しさ

●堀田敦士
(ほった・あつし)

デザイナー 1960年北海道生まれ。デザイナー志望で上京。東京芸大デザイン科卒、美術研究科修士。大学入学前から興味があったプログラミングで、CGだけでなく生産管理、CAD、学習教材等を制作。ゲーム代表作は、TheTower、シーマン(アートディレクション)その他CD-ROMコンテンツ多数。現在、有)東京堀田制作集団(取締役)。三児の父