愛される学校づくり研究会

★人間には誰にも知的好奇心があります。仕事のため、趣味のため、実益のためなど、様々な目的で我々は学びます。学校のころから勉強が好きだった人も、社会人になってから学ぶ楽しさを感じた人もあるでしょう。ここでは、その楽しさを感じることになったきっかけを振り返り、学ぶことの楽しさを教えてくれた人やことについて紹介します。

【 第10回 】勉強するきっかけは〜無言のプレッシャーと「やる気スイッチ」〜
〜株式会社EDUCOM 日比野 智彦〜

「野球は生活だ、生活が野球だ!」
  私が高校の時に恩師からよく言われていた言葉です。寮生活を送っていた私は、「野球だけではなく、日頃の寮生活と学校生活もしっかりやりなさい」と指導を受け、自分自身が指導者として高校野球に携わった時にもその言葉を意識し指導を行っていました。
 その言葉の意味を理解し始めたのは、高校3年生の夏。部活を引退する時でした。入学した時からその言葉はよく耳にしましたが、素直に理解が出来ず戸惑っていました。なぜなら、最初は野球が上手くなるため、結果を残すためには何よりも練習が大事だ!野球さえやっていればいいんだ!と考えていたからです。今思うと、きれいごと半分、勉強嫌い半分が本音だったのでしょう。そんな勉強嫌いな私が、勉強が好きになりまさかの大学進学を目指すとは、入学時には全く想像していませんでした。

高校生1年生の1学期末、初めての成績個票を受け取り、高校生になった実感を持ちました。「これが赤点ってやつか〜。イチ、ニー・・・」初めての結果は、赤点が2つ!もれなく追試験の切符を手に入れました。その時の私の感覚としては、他の野球部の生徒は3つ4つは当たり前だったので「まだ大丈夫!」という具合でした。その調子で追試験を着々とクリアし、1年が経ち無事2年生に進級することができました。

高校2年生になり、当時野球部のコーチである先生が担任となったことが、私の人生を大きく変える出来事だと思っています。先生が教室に入ってきた時の光景は今でも鮮明に記憶があり、忘れられない瞬間です。
 例によって、2年生の1学期末の成績発表の時・・・。そして、担任の先生から無言で成績個票を手渡され、結果を見てみると、、、「イチ、ニー、サン、、、ヨン?・・・」なんと赤点が過去最高の4つ!やってしまった。さすがに、「ヤバイ!」と自覚症状が芽生え始め自分なりにどうするかを考えるきっかけとなりました。これが私の勉強するきっかけであり、「勉強はつまらない」から「勉強は面白い!」に変わる始まりです。

とは言うものの、今までろくに勉強をしてこなかった私が、一体全体何からしていいのか?そんな時、担任の先生から「今、自分がやれることを精一杯やりなさい。」という言葉をかけていただき、考えた結果、2学期からは「授業中は寝ない!」を目標に、今自分が出来ることとして取組み始めました。授業中は寝なかったものの、テスト勉強自体は今まで同様することはなく、テストの点数は今までと変わらない状況でした。しかし、2学期末の成績発表では、意外な結果となり、「イチ、・・・?」ん?1つ?授業中寝ないだけで、赤点が1つになったのです!結果が出る喜び・楽しさを感じてしまった私は、3学期も頑張ろう!と意欲が出てきたことを覚えています。今、思い返すと「やる気スイッチ」があれだったんだなぁ。。。と思います。

3学期は「授業中は寝ないでノートを取る!」を目標にしていたら、「やる気スイッチ」が入った自分の中で変化が出てきました。なぜかわからないですが、「なんか俺やれる」といういい意味での錯覚に陥り、今まで一切しなかったテスト勉強を少ししてみようと思い始めてたのです。机に向かったのはいいですが、何を勉強したらいいかわかりませんでした。まずはノートを開き、書いてあることと教科書を照らし合わせ、ひたすらそこだけ覚える!それがテストにでるかどうかなんて考えることなく、ただただバカの1つ覚えで勉強をしていました。それが正解かどうか知らない私でしたが、問題用紙を見た瞬間、「あれ?ノート取ったところだ!」と思い、それがまた私の「やる気スイッチ」が押された瞬間でした。

結果は、平均60点程度。私にとっては過去にない素晴らしい結果となりました。その後は、それ以上の結果を出すには、テストで点を取るしかないと考え、テストを意識し授業中に先生の話を良く聞くようになったことで、テストに繋がるヒントがいっぱいあることに気づきました。あとは、授業中のヒントを勉強するだけで平均90点以上の結果まで出すことがきました。最終的には、調子にのって大学受験という「やる気スイッチ」が押され、無事合格できたことはいい思い出です。そして、長い目で色々なチャンスを与えてくださった先生の無言の指導との出会いに感謝です。

改めて、高校生活を振り返ってみると「生活と野球」の関係が妙に面白い結果となったことが私の人生の財産です。勉強(生活)を正しくしていなかった時は、野球の結果も良いものではなく、勉強(生活)を正しくしていた時ほど、結果が出たことです。まさに、「野球は生活だ、生活が野球だ!」であることを実感しました。

今、社会人としてそして、二児の父として人生を充実し社会貢献するためにも、 「仕事は生活だ、生活が仕事だ!」という教訓を活かし、日本の教育に少しでも貢献できるように頑張っていきたいと思います。

最後になりますが、充実した人生を送る為には「家族に感謝する」という事が、一番の近道であると思っています。

(2015年3月9日)

学ぶ楽しさ

●日比野智彦
(ひびの・ともひこ)

1981年愛知県春日井市生まれ。少年期より野球を始め、高校まで続ける。大学在学中は母校の学生コーチを行い指導者として野球に明け暮れる。大学卒業後はトヨタ自動車関連の会社に勤めるが、母校・恩師のピンチを救うべく会社を辞め再び母校のコーチへ就任。ピンチが回避され任務完了後、とある測量会社に就職。その後企業間を超える部署異動で縁あって現在の株式会社EDUCOMに勤務。二児の父。