愛される学校づくり研究会

★日々行われている授業には、私たち教師に「元気」や「気づき」を与えてくれるすばらしい風景がたくさんあります。そんな風景を体全体で感じる時、そこには必ず素敵なほほえましい子どもの姿があります。大成功を収めた授業、大失敗に終わった授業、意外な展開に胸が高鳴った授業など、それぞれの教師が伝えたい心に残る授業の一コマや、授業があることで輝く学校現場の風景などを紹介します。

【 第3回 】喜哀怒楽
〜一宮市立尾西第一中学校 伊藤彰敏〜

中学1年生、国語の授業。三好達治の詩「雪」。
 「太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪降りつむ。/次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪降りつむ。」
 授業の終盤、「誰が太郎、次郎を眠らせているのだろう」と問うた。雪が眠らせている、母親が眠らせているという考えが出された。どちらかと言うと母親の方が優勢だった。意見が出尽くしたところで、A君が挙手をした。学級の中で国語が一番苦手な子だ。このあたりで終わらせておこうかとも思っていた私は、指名しようかどうか逡巡した。教室には、もういいじゃないか、Aが的外れなことを言うのではないか、そんな雰囲気がある。だからこそA君を指名した。A君は一言答えた。
 「ヒ」。
 意味が分からず、「ヒってどういうこと」と聞いた。「先生、ヒだよ」。
 ええっ、どういうこと。日、飛、否、陽……、頭の中は駆け巡るが、「ヒ」という言葉を漢字に変換できない。「分かんないな、どういう『ヒ』なの」と問い返す。「熱いヒだよ。田舎の家の中で燃えているよ」。
 まだ分からない。「燃えている?」「そうだよ暖かいヒだよ」。
 分かった、火だ! 「囲炉裏の火のことかな」「そうそう、囲炉裏だよ」。
 教室が静まりかえった、その刹那、「おおっ」というどよめきが起きた。
 「うーん、囲炉裏の火か。なるほど、すごい! すごい想像だね。今までこんなこと言った子はいないよ。すごい、A君、すごいよ」
 A君の満面の笑み。この日からA君は国語が一番好きな教科になった。

教職2年目。就職する生徒がいた。肌寒さを感じ始める11月の終わり、職場に行き面接を受けた。私も同行した。面接はうまくいき、履歴書を渡され、すぐに書くようにと言われた。氏名を書き、住所を書き、家族構成を書くところになって、彼のペンが止まった。どうにも動かない。もじもじしだした。履歴書を覗き込むと、妹の名前が書いてある。
 分かった。「妹」という漢字が書けないのだ。会社案内の隅にこっそりと「妹」と書いて教えた。なんとか最後まで書けた。ほっとした表情が何とも言えない。極度の緊張に苛まれていたことがよく分かる。安堵も束の間、彼は哀しい顔になった。
 書けない、できないということは辛いことだ。
 帰りの車中、彼は口数が少なかった。寂しそうな表情を見せた。学校が近づいてきたところで、彼は言った。「妹という漢字が書けないなんて、恥ずかしいよね。卒業まで漢字の勉強をやりたい。先生、頼みます」
 小学校1年生の漢字、そう「一」「二」から始め、卒業式の前日には5年生の漢字まできていた。国語の授業中も漢字をひたすら書いていた。就職後、5月に彼から近況報告の手紙が届いた。こんなうれしい手紙は後にも先にもない。たどたどしく、異様に漢字の多い文章だった。
 この手紙は、私の文箱に30年以上も大切に保管され、幾度となく読み返されているのだ。

あまりにもよく飛ぶ、紙ヒコーキだった。
 教室の後ろで何機も紙ヒコーキが飛ぶ国語の授業。附属中学校に転任した5月のことである。中学2年生、説明文の読み取りの授業に生徒たちはまったく乗ってこず、挙手もなくなり、板書を見ることもなく、もちろん私の顔を見る者はなく、授業者である私の声だけがだんだんと虚しく大きくなっていく。いたたまれないというのは、こういうことだとはっきり分かる、長い長い時間。そんな折、紙ヒコーキは飛んだ。
 怒れた。「何やってるんだ」。
 「紙ヒコーキを飛ばしてるんでーす」と悪びれることもない。
 怒れた。「どうして、そんなことをするんだ」。
 「だって、先生の授業がつまらないんだもーん」。そう言いながら、もう一機、飛ばしやがった。教室の北の端から南の壁に向けて、軽やかな滑走だった。風もないのに、よく飛んだ。
 怒れなかった。
 確かにつまらない授業だ。それは、授業者である自分が一番よく分かっている。前任校の生徒たちは、我慢していただけだった。つまらないと言わなかっただけなのだ。つまらなくて、つまらなくて仕方がなかったはずだ。
 この紙ヒコーキは生徒たちの怒りだ。オレが怒ってどうする、そう思った。

文法の学習が始まると、生徒からよくこんな質問を受ける。「どうしてこんな文法の勉強しなくちゃいけないの」。
 いろいろと答えてきた。一番印象的だったのが、これだ。
 手元にあった国語辞典をぱらぱらと繰り、「みる【見る】」のところを指差し、「この【見る】の下に[上一]ってあるけど、何のことか分かる」と聞いてみた。
 生徒は少し考えた。そして、「もしかして、上一段活用のこと? ええっ、こんなことが書いてあったの? 知らなかった」とびっくりしている。「じゃあ、【歩く】を引いてごらんよ」。「あっ、ちゃんと[五]と書いてある。五段活用だ。すごい。国語辞典て、すごいですね」。
 「他にもあるよ。【愛】の下には、どうあるかな」。「名詞の[名]だ。すごいすごい。今まで、知らなかった。びっくりしました」。
 最後に、私はこう言った。「文法の勉強をしたから、分かったんだよ」。
 その生徒が、にこっと笑った表情は、今でも忘れられない。
 見えなかったものが見えてくる、こんな楽しいことはない。

(2014年6月23日)

準備中

●伊藤 彰敏
(いとう・あきとし)

一宮市立尾西第一中学校教頭。中学校国語科教員として33年目。「論」のある国語科の授業をめざし、日々実戦(実践)あるのみ。野口芳宏先生のように、右手には常に国語科教育をしっかりと握り締めていたい。