愛される学校づくり研究会

★日々行われている授業には、私たち教師に「元気」や「気づき」を与えてくれるすばらしい風景がたくさんあります。そんな風景を体全体で感じる時、そこには必ず素敵なほほえましい子どもの姿があります。大成功を収めた授業、大失敗に終わった授業、意外な展開に胸が高鳴った授業など、それぞれの教師が伝えたい心に残る授業の一コマや、授業があることで輝く学校現場の風景などを紹介します。

【 第11回 】最後まで授業があると思っていた
〜岩倉市立岩倉中学校長 野木森 広〜

「学校は授業があるところだ」この当たり前のことを痛切に感じたのは、教職16年目に担任した6年生を卒業させるときのことであった。

これまでの教職歴35年間のうち、私が担任をしたのは16年間である。最も多いのは小学校6年生で6回。これだけ6年生をもっていると、教材もよく分かり、色んな工夫ができるようになる。

私が担任を持っていた頃は、教育技術の法則化運動が盛んな時期で、当時法則化運動で紹介された実践を追試としてやってみるのが流行りであった。優れた実践を真似てみると、思った以上に子どもが反応し、充実感が味わえた。また、これらの実践を自分流にアレンジして、さらに子どもが面白いと思える実践に高めていくことが喜びでもあった。

その中に、法則化運動の代表であった向山洋一氏の実践で、卒業前の10時間ほどを自主活動に充てるという取組があった。各教科の授業を計画的に進めて余剰時間を生み出し、その時間を卒業前の思い出づくりのために自由に企画させるというものである。私は、3度目に持った6年生からこの実践を始めた。

はじめの年は、企画を練るための時間も必要なので3〜4時間しか活動できず、学級レク程度に終わった。しかし、次第に「タイムカプセルを埋めよう」とか「兄弟学級にメッセージを残そう」とか「お別れ調理実習をしよう」などというアイディアが出て、結構充実した時間となった。また、ある年の6年生は、それまでクラスで取り組んできた、「集めた牛乳パックを自治体で図書券に替えて本を購入する」という活動をやり遂げ、学校の図書館に寄付までした。

ところが、この年のある6年生が、次のような趣旨の日記を書いてきた。

「小学校の授業が終わった。先生は、社会科の授業は今日で終わり。理科の授業も終わり。算数も国語も終わりというけれど、あと何日も残っているのになんだか寂しい。卒業の思い出作りでみんなははしゃいでいるけれど、私は授業の方が楽しい。最後まで授業があると思っていたのに。卒業まで授業があると思っていたのに。最後まで授業を受けて卒業したかったのに。やっぱり授業がなくては、学校はつまらない。」

私は、この日記に衝撃を受けた。すべての子どもたちが卒業前の自主活動を楽しんでいると思っていたからだ。多くの子どもたちが楽しんでいる陰で、このような思いを抱いている子どもがいたのだ。自分は、多くの子どもたちに単に迎合していただけなのかもしれない。本当は「授業の方が楽しい」と思える子どもたちを、もっともっと育てなければいけなかったのかもしれない。

もちろん、卒業までの一週間を子どもたちの自主活動に当てることの教育的意義は大きい。しかし、自主活動よりも、うんと価値の高い授業を我々は創造しなくてはいけない。

学校は、授業があるところだ。価値ある授業を創造すれば、授業に優るものはない。そう思わせる、衝撃的な児童の日記であった。

追伸:その後、残念ながら担任を持っていない。もし、担任を持っていたのならば、もっともっと、授業で勝負できる教員を目指していたに違いない。

(2015年4月27日)

準備中

●野木森広
(のぎもり・ひろし)

昭和55年、教員生活スタート。小学校教諭23年、教頭4年、愛知県教育委員会義務教育課指導主事、扶桑町立扶桑中学校校長、愛知県教育委員会尾張教育事務所指導第一課管理主事を経て、現在、岩倉市立岩倉中学校校長。附属小、県教委、初めての中学校勤務で校長など、いつも新鮮な気持ちで取り組める環境を与えていただいている。専門は理科。義務教育課時代に、全国学力・学習状況調査の主務として「愛知県版分析プログラム」の開発に携わり、以来、教育の情報化にもかかわっている。