愛される学校づくり研究会

辛口コラム

★このコラムは、津市の太郎生小学校の校長だった中林則孝先生によるものです。中林先生は校長としてほぼ毎日「学校便り」を発行していらっしゃいました。教室で起こるドラマをドキュメンタリー風に書き綴った便りからは長年の実践に裏打ちされた深い教育哲学と固い信念を感じます。真っ直ぐで媚びを売らないその論調から「中林則孝のゴメンネ辛口コラム」というタイトルにしました。教育にまつわるさまざまな話題を独特の切り口で切ってもらいます。

【 第11回 】教材研究の奥深さ

初任者研修のためにほぼ毎日「教室はドラマ」という通信を作っています。その178号(平成27年2月4日発行)に次のようなことを書きました。

教材研究は甘いです。大甘です。説明文が読めていません。小学校の国語教科書は一度読めば分かる内容です。その「一度読めば」レベルにとどまっていることが問題です。これは4人の初任者に共通する課題です。子どもの読みでは「読み過ごす」「浅くしか読み取れない」「誤った読みをする」「羅列的に読み、構造を理解できない」などのところを考え、授業化することが教材研究です。赤刷りを見ているのは「一度読めば」レベルなのです。
 一般指導の時間に「教材研究の方法」を話題にしました。
 「人をつつむ形」という教材です。「つつむ」ということや「形」ということにもこだわるべきです。「家の材料・家のつくりと気候」などの指導書の観点でまとめるだけの学習でした。子どもの知性を刺激してはいませんでした。
 教材研究の力は一朝一夕ではできません。これから「意図的な観点を持って」教材を何度も読むことです。観点、つまり物差しはすこしずつ増やしていきましょう。算数は教科書の意図を読むこと。

こんなことを3学期の今、言わなくてはいけないことは指導員の私の力量不足を露呈しており、申し訳なく思っています。
 「教材研究をしましょう」とか「教材研究が不足しています」ということを何度初任者に話してもダメです。「教材研究の方法」を具体的に指導する必要があります。しかし、初任者にとってまず大切なことは教材研究よりも、「学習規律」と「全員参加の授業」です。いくらしっかり教材研究し、素晴らしい発問や課題を準備してもそれを子どもたちが聞いていなかったり、「挙手・指名の授業」のような傍観者を作っていたりする授業ではいけないのです。教材研究や発問は指導書に書いてあるし、ネットや参考書で見ることもできます。附属小の指導案をまねることもできます。しかし、学習規律が整っていないと授業が成立しません。
 教材研究のことばかりを言い過ぎると、初任者が必要以上に疲れてしまいます。教材研究や発問研究は際限がありません。ベテランがじっくり考えた研究授業においてすら事後研では教材研究や発問が妥当だったのか、常に議論の対象になります。

ここはバランスが必要です。教材研究のことにウエイトを置きすぎることは現実的ではありませんが、教材研究がある程度できていないと子どもの意見に対応できません。
 教材研究と発問ではこんなことがかつてありました。教材研究と発問の関連性について、『授業研究』(明治図書)という雑誌が大特集を組んだことがあります。「教材研究は発問を内包する」という考えは深い教材研究をすることで適切な発問が準備できるということです。確かにそれはいえます。
 対して、「授業を活性化する発問は教材研究とは直接関係しないことがある」という意味の考えがありました。例えば「この写真を見て気づいたことを言いなさい」という発問は教材研究がなくても可能です。この両者の考えの違いは授業の活性化についてでした。後者の主張は、授業を活性化させるためには教材研究よりも授業論(討論の方法など)を重視しようということでした。
 『授業研究』での大議論は平行線に終わりました。でも、読者である私には興味深い議論でした。つまり、それまでの私はなにがなんでも教材研究、そして発問と思い込んでいました。教材研究の大切さはいうまでもないことですが、雑誌を読み、授業を活性化させるためには別のスキルも必要だと思うようになりました。
 その後、私なりの経験を重ね、今は「学習規律」「全員参加」「受け」などを意図的に行うことが大切だと考えるようになりました。「教材研究」第一ではなく、授業を構成する要素の一つとして教材研究を考えるようになりました。ここに私自身の甘さがあったのかもしれません。より現実的になったということだと考えています。

教材研究の方法は教科によって異なります。国語は冒頭に書いたように「一度読めば分かる」のです。でも、それは分かったつもりになっているだけです。
 「(かさこじぞうの)「じいさまとばあさまがありましたと」の「と」はどうしてここだけにあるのか、「(ひとつの花の)それから十年の年月がすぎました」の「それから」は「あれから」の方がいいのではないのかなど、ていねいに読むとひっかかることがいくつも出てきます。この「ひっかかり」を探すことが教材研究です。そのためには教科書をコピーし、観点を定めて読み直します。「子どもが難しいと思うところ」「子どもは分かったつもりでも、正確には読めないと思われるところ」「伏線になっているところ」「日本語として素敵な表現」「語り手の視点が大きく変わっているところ」などの観点で読み直すと、「一度読めば分かるレベル」とは違った読みが確実にできます。驚くほど深い読みができます。あの野口先生は公開授業の前に20回は読むと言われます。凡人である私たちがもしも2回か3回程度読むだけで授業をしているのであれば、考え直すべきです。
 このような自力での教材研究をしようとすると、指導用の赤刷りはジャマでしかありません。

算数の教材研究のことも少しだけ触れます。算数の場合はまず「学習指導要領」を読み、そこにはどのように記されているか、調べます。「確実に身につけ」と書かれていたら、そのように指導しなければなりません。
 次に教科書を見て、本文、図、イラスト、キャラクターの吹き出しのすべての意図を読み取ります。これが一番難しいところです。見落としやすいところでもあります。編集の意図を読み取ってから、授業の流れを考えます。
 この逆はよくないです。自分で適当に授業の流れを考え、教科書の説明を必要と思う部分だけをピックアップすることは我流の授業になります。編集の意図を読み取った上で、補足的な指導を加えたり、教科書の説明を削除したりすることは時としてあり得ますが、繰り返して言うように「まずは教科書編集の意図を読み取ること」です。教科書編集の意図を考えなくても自分流の授業が可能な教師は少なくとも教科の専門書の単著を持っているか、教科書の編集委員をしている程度の力量が必要です。

次回は最終回です。私の初任者指導のポイントを報告します。私の指導の様子を、このサイトを見ていただいた皆さんに辛口で評価していただくつもりです。

(2015年2月16日)

準備中

●中林 則孝
(なかばやし・のりたか)

1951年生まれ。初任者研修指導員。一輪車が小学校に普及し始めた頃、練習を継続すれば大半の児童が一輪車に乗れるようになることを知り、「練習量が、ある時、質に転化すること」を実感する。初任者研修では、スローガンや方向性だけではなく、子どもを念頭に置いた具体的な指導を心がけている。