愛される学校づくり研究会

辛口コラム

★このコラムは、津市の太郎生小学校の校長だった中林則孝先生によるものです。中林先生は校長としてほぼ毎日「学校便り」を発行していらっしゃいました。教室で起こるドラマをドキュメンタリー風に書き綴った便りからは長年の実践に裏打ちされた深い教育哲学と固い信念を感じます。真っ直ぐで媚びを売らないその論調から「中林則孝のゴメンネ辛口コラム」というタイトルにしました。教育にまつわるさまざまな話題を独特の切り口で切ってもらいます。

【 第10回 】作文指導の充実を願って(その2)
 ―現実的な作文指導―

前回の「コラム」では教科書の作文教材だけでは書く力が向上しないと書きました。「リーフレット作り」 「活動報告書」などのいわばプロジェクト学習に10時間費やしても、基礎学力としての書く力は上達しません。
 英会話、ピアノ、水泳などのことを例にすると分かりやすいです。こういった基本的な技能は一朝一夕には身につきません。繰り返しの学習が必要です。
 では、どのようにしたら子どもたちの書く力が上達するのか、考察します。「辛口コラム」なのに、はずみで実践を提案することになってしまいました(笑)。

はじめに目指す文章について。私のスタンスは「分かりやすい文章をスムーズに書ける」ということです。名文を書くには才能が必要でしょう。でも、分かりやすい文章を書くために最も必要なことは「慣れ」です。
 書くための技術はいろいろあります。「はじめ・なか・おわり」という三段階の書き方もあります。教科書教材のように取材をして書くというプロジェクト型の作文指導もあります。それぞれ実践すればそこそこの作文は書けるかもしれません。しかし、そんな授業を単発的に行っても、「分かりやすい文章をスムーズに書ける」ことにはならないと思います。
 「分かりやすい文章をスムーズに書く」ためには書くことに慣れる必要があります。繰り返しの習熟練習が必要なのです。それは先に書いたように、英会話でも、ピアノでも、水泳でも、漢字でも、同じことが言えます。
 かけ算の九九や漢字は繰り返しの習熟学習を担任は行います。しかし、書くことに関しては習熟学習をする実践はあまり目にしません。それはなぜでしょうか。私の思うところ、漢字や九九は「目に見える学力」のため、指導者もそれなりの覚悟をするからでしょう。対して、作文は持って生まれた作文力のせいにすることで免罪符になっているのではないでしょうか。もし、そうなら公教育の指導者としての責任を果たしていないことになります。

水泳やピアノ、英語などの塾は普通1週間に1回か2回です。しかも、時間が限られています。それに対して学級担任は教科書やカリキュラムがあるとはいうものの、担任裁量で時間を確保することはさほどむずかしくはありません。つまり塾などの習い事と比べると、指導するという点では圧倒的に有利なのです。
 私が目指す作文指導には名人芸は不要です。ただ子どもたちに「作文の力を高めたい」という教師としての最低限の資質があればいいのです。

前書きが長くなりました。ここからは実践編です。
 ノートや原稿用紙に鉛筆で書くというのは知的な作業というよりも、肉体労働です。手や手首が痛くなります。手のひらは黒くなります。作文を書くことは子どもにとっては面倒なことなのです。
 また、教師の側にとっても、作文の指導はすぐには成果がでません。子どもたちが書いた作文に朱を入れるのは時間がかかります。多忙を極める学級担任。毎日子どもの作文にコメントを入れて返すのは教師の家庭を犠牲にすることを意味します。

この2つの要素を現実のものとして受け止め向き合わなければ、作文指導はたんなる理想論になってしまいます。私は野口芳宏先生が「作文で鍛える」という新書版で主張されたことを20年間、実践し続けました。簡単な実践でした。子どもたちが負荷に感じるのは最初の1カ月か2カ月程度でした。その後は作文はスラスラ状態になりました。
 私が4年生の時に担当した子どもが中学1年生になったある日、こんなことを私に言ってくれました。「のりたか先生(当時、中林姓の教員が二人いたので、私はのりたか先生と呼ばれていました)、中学校へ行ってあるとき、中学校の先生が原稿用紙を配って「作文を書きなさい」と言いました。そしたら、みんなが『そんなに書けない』と文句を言っていました。でも、太郎生小の子はすぐに鉛筆を持って書き始めていました。その時、わたしら作文には慣れているなあと思いました」と。私には何よりうれしいエピソードでした。

以下は野口先生の提案を私なりに修正したものです。

(1)小品多作主義
 感想文や行事の作文などのような作品を書かせるのではなく、日常的に200字程度をめどに作文を書かせます。1週間に2回から3回程度が適当です。
(2)授業作文を
 書く内容は授業についてが多い。「今日の理科の授業」などというテーマで書かせます。社会、体育、音楽などを含め、すべての教科が作文のテーマになります。子どもたちはこういった作文を書くことに慣れていませんが、「何を書いたら良いか分からない」ということがないので、テーマとしては適切です。授業作文のメリットはほかにもあります。後述します。
(3)5分から10分程度
 書く時間は当初は10分ほど要しますが、徐々に短くし、2学期以後は5分程度にしたい。これなら作文が苦手な児童もなんとかがんばれます。
(4)書いた作文をほめる・朱を入れない
 これは重要なポイントです。先に書いたように作文を書くことは「肉体労働」です。なのに書いた作文が「直し」ばかりでは嫌になります。大人でも何かのために書いた原稿にチェックがたくさん入ると、作文嫌いになります。ましてや子どもです。
 でも、とかく「指導したくなる」のです。赤ペンで直したくなるのです。漢字を使っていない……、書いてあることを焦点化して……、自分の気持ちをもっと書いて……、「そして」ばかり使っている……、段落を使って……、字が雑……。
 こういった「指導」をすることが作文指導だと受け止めている教師がいるのなら、コペルニクス的な発想転換が必要だと思います。不十分なことには目をつぶってでも、ほめることを探します。そして、「ほめてもらった。作文て意外におもしろいなあ。難しくないなあ。また次も書いてみようかな。先生がほめてくれるかな」という気持ちを子どもたちに持たせます。このモチベーションを高めることが、作文指導における指導者の腕の見せ所です。
(5)作文をみんなに紹介する
 子どもの作文をほめるためには多少の労力が必要です。でも、それは赤ペンでコメントを書くことではありません。それは「労多くして功少なし」の指導です。「労少なくして功多し」という指導が現実的であり、継続することができます。
 私も、子どもの作文にコメントを入れることはあまりしませんでした。その代わりに学級通信に作文を引用し、そこにコメントを加えるという方法を取りました。作文にコメントするだけなら、担任と児童(その保護者を含むこともある)の1対1です。でも、学級通信でコメントすると、すべての児童と保護者が目にすることになります。個別にほめるよりも、学級通信の紙上でほめるほうがはるかに子どもも保護者も喜びます。
 作文を学級通信に載せることは躊躇するむきもあるかもしれないけど、私の場合は書く内容が多くは授業についてです。家庭生活のプライバシーが載ることはほとんどありません。授業通信のメリットの一つです。
 でも、学校によっては学級通信を発行しにくい事情もあります。また、通信は担任の負担を増やします。だから、学級通信に作文を掲載してコメントを入れるという方法は初任者にはあまりすすめていません(とはいうものの、昨年度担当した4人の初任者の中の1人は学級通信でこの手法を使いました。そしたら、保護者から圧倒的な支持を受けていました。努力が正当に報われることを実感したと思います)。

 学級通信を使わないほめ方として、今、初任者にすすめている方法は子どもの作文をみんなの前で紹介することです。作文の全文を読むことはしません。おもしろいところ、観点が新鮮なところ、表現がいいところなどの部分を抜き出して読み上げます。そのあと、良いところを簡単にコメントします。取り上げられた児童は照れることもあります。にこにこと聞いていることもあります。作文を紹介することをいやがる児童はいません。
 少し慣れてきたら、作文を読み上げた後、「今の作文でよかったところはどこですか」と発問することができます。間違いなく良い意見がたくさん出てきます。授業という共通体験をしていることを書いた作文です。なのに一人一人観点が異なった作文ができあがります。そういった作文を聞くことで、「こんなことを書けば先生がほめてくれるのだな」ということを学びます。つまり作文を書く観点が広がるのです。授業作文の大きなメリットです。
(6)慣れてきたことを意識させる
 こういった日常的な作文指導は最初のうちは子どもたちはいやがります。「また作文か」と。そこを克服するためには「長文を課さない」ということです。せいぜい200字。時間にして10分以内(できれば5分前後)。これなら子どもたちはなんとかやりきります。そして、みんなの前で紹介するという(5)の項目で書いたことを確実に実践します。
 そして、3カ月ほど経ち、子どもたちの鉛筆がスラスラと動くようになってきたら、「慣れてきた作文」というテーマで作文を書かせます。これは少し気合いを入れて400字程度を目指します。作文の「はじめ」には、作文が苦手でいやだったことを書き、「中」では作文に慣れてたくさん書けるようになったことを取り上げます。そして「終わり」には作文をほめてもらったことや今後の目標を書くように事前指導します。400字を超えた作文を書く児童が続出することでしょう。
 この「慣れてきた作文」はできれば学級通信で何回かに分けて全員のを掲載したいものです。その場合、全文を載せることはしません。一部を抜き出して載せます。

ここまで実践が進めば、私が目指す作文、つまり「分かりやすい作文をスムーズに書ける」という目標を少しは達成したことになります。名文ではなく、「達意の文章」が目標なのです。

こういった作文の自力を高めた上で、教科書の作文教材に取り組むと、大きな成果がでることでしょう。

このコラムを読んでくださった担任の皆さん。今年の4月、新しいクラスになったら実践してみようと思われたなら、4月まで待たないで、今から取りくむことをおすすめします。ここに書いた私の実践はスタート時期はいつでも可能です。1カ月以上の取り組みがあれば必ず成果が現れると確信しています。1週間作戦を練ってからスタートさせてみるといいですね。
 何かの縁で今年クラスを受け持っているのです。子どもたちにとってはとりかえしのつかない「今」なのです。来年の担任が作文指導をしっかりしてくれるという保証はありません。ならば、このコラムを読んでくださっている皆さんが作文指導をスタートさせることが子どもたちには大きなプラスになります。
 私のこのつたない実践以上の作文指導をされている方がいらっしゃればそのことに自信を持っていただき、何かの機会にぜひとも発信していただくことをお願いします。

学習指導要領の総則の第一の項には「基礎的・基本的な知識及び技能を確実に習得させ、それらを活用して……」と記されています。今日、活用型の指導方法が脚光を浴びています。ここに書くまでもありません。
 しかし、「基本を確実に習得させ、それらを活用して」こその活用型なのです。基本を確実に習得させることがどれほどたいへんなことなのか、現場では痛切に感じています。その基本の指導が不十分なままアクティブ・ラーニングや反転授業などに取り組んでも、所詮絵に描いた餅に終わってしまうのではないでしょうか。あるいは一部の実践家がレポートを書いたり、研究会で発表するだけに終わってしまうのではないかという危惧を持っています。流行を追うのは一部の実践家でいいのです。「不易の実践」はすべてのクラスで、すべての指導者が必要です。
 「辛口コラム」なので最後に少し辛口コメントを入れさせていただきました。

長文に目を通してくださり、ありがとうございました。

(2015年1月13日)

準備中

●中林 則孝
(なかばやし・のりたか)

1951年生まれ。初任者研修指導員。一輪車が小学校に普及し始めた頃、練習を継続すれば大半の児童が一輪車に乗れるようになることを知り、「練習量が、ある時、質に転化すること」を実感する。初任者研修では、スローガンや方向性だけではなく、子どもを念頭に置いた具体的な指導を心がけている。