愛される学校づくり研究会

桜梅桃李を愛す

★今回から寄稿させていただくことになりました新城市教育委員会教育長の和田守功と言います。「桜梅桃李(おうばいとうり)」とは、ありのままの個々「子供の姿」です。作為的なはたらきかけによってつくられた姿ではなく、無作(むさ)の、もともと一人ひとりの子供のもつオンリーワンの命の輝きが表出された姿です。そんな姿をこよなく愛し続けていきたいというのが私の思いです。そうした考えから、タイトルを「桜梅桃李を愛す」としました。私の教育に対する拙い思いの一端を皆様方にお伝えすることができればとの思いでペンをとらせていただきます。1年間、よろしくお願いします。

【 第8回 】思春期に政治・経済を考えること

もっとも多感な時期に地元の政治・経済を考えたい。新城市は、英語に訳すと「ニューキャッスル」となります。そこで同じ名前という縁で、世界のニューキャッスル市と交流しています。そのなかに若者同士の交流である「ユース会議」があります。そこでの議論の主なものは、「若者の声を市政にいかに反映させるか」「若者が起業するために何が必要か」といった地元の街の政治・経済についての話題です。
 日本の若者は、環境問題については、学校でも学んでおり、意見を述べることはできます。しかし、日々動いている政治・経済の問題となると、耳にすることはあっても、自分の問題として深く考えた経験がないというのが実情です。丁々発止の意見を英語で述べる外国の若者の姿に圧倒され、頭の中が真っ白になります。その上、考えた経験もない分野の議論ですので、英単語の意味もわからず、ますますあせってしまいます。
 議題にかかわる材料の蓄積がない、意思疎通のツールである英語がわからないという二重のハンディのなかで、日本の若者だけがガラパゴス状態になってしまいます。会議を終えて戻ってきた新城の若者たちは、大変に悔しがっていました。そして、帰国後は、「市民会議」の司会・運営をするなど積極的に市の行事に参画したり、留学生を市内観光ガイドするなど英語学習の機会を作ったりしています。
 政治・経済に無関心で英語コミュニケーション能力の乏しい多くの若者を育ててきたのは、日本の大人たちであり、学校・家庭の教育です。申し訳ないことと思います。

政治家を選ぶ選挙の投票率の低さに顕れる日本国民の意識。10月・11月は、県や市の首長や議員選挙が各地で行われています。ニュースで当選の喜びの映像が放映されますが、その際、当選者の得票数が市の人口や有権者数に比してきわめて少ないことに違和感を覚えます。投票率を見ると、30から40数パーセントが大半です。となると、例えば、投票率40パーセントの選挙で60パーセントを獲得して当選したとしても、全有権者数のわずか24パーセントの支持で、100パーセントの政治を付託されることになります。このことを是とするか非とするか、民意の反映とするか否かは、微妙な問題です。国政選挙で問題となる「1票の格差」も、「投票者数」を基準に考えると、また違う風景が見えてきそうです。
 ともあれ、日本の中高等教育のなかで地方自治や国政の動向について学んだり、友人・家族や地域の人と地方自治について議論したことがあるかを振り返ってみると、肌寒い実情ではないでしょうか。教育が「政治・宗教の中立」を錦の御旗にするあまり、タブー視して取扱いを避け、子供たちの思考を停止させていないでしょうか。一党一派に偏る議論は避けなくてはなりませんが、理想とする「市町の姿」「国の形」を論じ合うことは、「愛郷心」「愛国心」を育むうえでも大切なことと思いますがいかがでしょうか。
 少なくとも、ニューキャッスルのユース会議において明らかになったことは、世界の若者は、母国語と異なる英語を駆使して、地方政治について問題意識をもって議論し合っているということです。人間生活と直結する「政治の具体」について、なかば思考停止のまま大人になったとしたら、世界を相手に議論することなど、とてもできません。日本の選挙における投票率の低さは、学校教育における政治学習に起因するのかもしれません。生徒会の自治の在り方を含め、教師の意識を高めることが必要です。いずれにしても、日本の若者が世界の若者を相手にするとき、政治についての自分なりアイデンティティーが必要です。

では、経済大国である日本の若者の経済に対する見識はどうでしょうか。ユース会議では、「若者の起業」がテーマでした。若者が起業しやすい環境を構築するために政治がいかに支援すべきかと、政治と経済を一体化して、自分自身の問題としてとらえています。日本の小中学校でもキャリア教育は盛んですが、職業紹介や就業体験が主で、そこに「起業の発想」はないように思います。その結果、資格をとって大きな会社に就職とか、収入が安定している公務員を志望するといったところに落ち着きがちです。昨今では、ITやバイオでのベンチャー企業も多くなってはいますが、「ものづくり日本」のフロンティアとして「起業をめざす」といった声は、聞いたことがありません。

一人前になる」気構えを培っているでしょうか。子供が大人になって社会で「独り立ち」できるようになることが「一人前」です。それぞれの職業や分野において自分の判断で物事を進め、自分の力で生活でき、家庭をもてるようになることが「一人前」の定義でした。時代とともに意味合いの変化はありますが、そこに欠かせないのが「経済」であり、「経済力」です。「勤労の対価」などと難しい言い方でなく「賃金」であり「金儲け」です。
 一次産業が中心だったころは、親が汗水流して働いた対価としての現金収入は、子供にもわかりやすく、身近なところに経済があり、「お金の大切さ」を肌身で感じることができました。「働かざるもの食うべからず」といった言葉も当然のこととして受け入れていました。
 高度成長ののち、会社や工場で働く親の後ろ姿は子供の目の届かないところになり、給料振込生活者となって家庭で家計や経済の話題が少なくなりました。少子化で子供の小遣いや玩具は、常に子供の欲求以上のものになりました。学校教育現場にあった「子供貯金」や「集金」の活動も姿を消しました。勤労による子供の小遣い稼ぎも必要なくなりました。十円玉を握りしめて駄菓子屋の前に立つ子供はいません。菓子も食糧も多くの家庭に余るほどあります。

子供たちが「不足感」や「渇望感」を抱くことがなくなりました。「衣食足りて礼節を知る」は、もはや時代錯誤の言葉となってしまいました。しかし、食糧資源やエネルギー資源の実情からしても、いつまでも飽食・消費の時代は続きません。地球規模で持続可能な社会を考えなくてはならない時代です。その意味合いでESD(持続発展教育)ユネスコスクールの発想も重要です。思春期に政治・経済をいかに考えさせるかは、グローバルな人材を育てる上でも、教育に欠かせない事柄だと思います。

「夢をもつ教育」が盛んですが、「夢を現実にする教育」はより重要です。これこそが「生きる力」につながります。学校現場の先生方は、「お金」や「経済」について考える機会は比較的少ないと思います。また、子供に「夢をもつ」ことは多く語りますが、「夢を現実にする術」を教育することは、少ないと思います。子供たちが青年になって海外の若者と、「自治」や「起業」、「政治」や「経済」を対等に英語で議論しあえるよう、小中学校のころから備える必要があります。学校・教職員の未来にかける展望次第です。

(2013年11月4日)

準備中

●和田 守功
(わだ・もりのり)

人間・日本文化・日本酒(やまとごころ)をこよなく愛し、肴を求めて、しばしば太平洋に。朝一番に煎茶を飲み、毎朝、自分で味噌汁をつくる。山野草を愛でる自然派アナログ人間。現在、東三河ジオパークを構想中。自称、新城市観光広報マン。見どころ・秘所を語らせたら尽きない。
教育では、新城教育で「共育(ともいく)」を提唱し、自然・人・歴史文化の「新城の三宝」や、読書・作文・弁論の「三多活動」を推奨している。
新城市教育長をはじめ、愛知県教育委員会など教育行政に16年間携わっている。また、中学校長をはじめとして、小学校で13年間、中学校で11年間、学校現場で教職を務めてきた。