愛される学校づくり研究会

桜梅桃李を愛す

★今回から寄稿させていただくことになりました新城市教育委員会教育長の和田守功と言います。「桜梅桃李(おうばいとうり)」とは、ありのままの個々「子供の姿」です。作為的なはたらきかけによってつくられた姿ではなく、無作(むさ)の、もともと一人ひとりの子供のもつオンリーワンの命の輝きが表出された姿です。そんな姿をこよなく愛し続けていきたいというのが私の思いです。そうした考えから、タイトルを「桜梅桃李を愛す」としました。私の教育に対する拙い思いの一端を皆様方にお伝えすることができればとの思いでペンをとらせていただきます。1年間、よろしくお願いします。

【 第23回 】時代や社会を「正視」して

教育改革の激流を見すえているだろうか。平成27年4月1日がどういう日か知っていますか。改正された「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」が施行される日です。これにより、戦後教育制度の要であった教育委員会制度が大きく変わります。ある意味、日本の教育の大きな転換点になるかもしれません。学校現場では、目の前の子供のことで精いっぱいで、法律改正などに構っていられないという人もみえるかもしれません。でも、とても大切なことです。昨今の教育ニュースでも、知事や市長と教育委員会との関係がうまくいかず、学校現場に影響を及ぼしている例が報道されています。教育の政治的中立性・継続性・安定性を堅持するためは、この法律改正のプロセスや概要を知っておくことは、教職員として大切なことです。

あまりにも多い改革課題を前にどうすればいいのか。大学入試のあり方や高大連携などが最近の話題ですが、小中学校においては、ご案内のように、道徳の特別な教科化、小学校英語教育の早期化、アクティブラーニングの導入など、担任が直面する課題が数多くあります。教育再生実行会議や中央教育審議会から次々と提案される教育課題は、確かにそのとおりかと思います。とはいえ、学校現場の教師集団が、現状のなかでどの程度受け入れて実行に移すことができるかは、なかなか難しい問題です。次の学習指導要領の改訂に向けて、さまざまな議論がこれから交わされることでしょうが、2020年に導入されるとしても、あと5年しかありません。小学校の英語教育一つとっても、文部科学省のめざす教育の実現には、かなりの距離を感じます。

学校はまちづくりの拠点としての役割を果たすことが求められている。これは、教育再生実行会議の第6次提言のなかに書かれている文言の抜粋です。もう少し丁寧に提言の言葉を拾うならば、「学び続ける全員参加型社会、地方創生を実現する教育の在り方」について、「教育の力で地域を動かす」ことが述べられ、「学校は、人と人をつなぎ、さまざまな課題に対応し、まちづくりの拠点としての役割を果たす」ことが求められています。ここで大切なことは、「学び続ける全員参加型社会」という言葉です。「学校」という場所を拠点として、子供をはじめ教職員や保護者・地域の人々が「全員参加」して集い、共に過ごし共に学び共に育つ活動を行い、顔と名前のわかる人間関係が育ち、共感できる「人と人のつながり」のなかで「さまざまな課題に対応」していくことで、人々のやりがい・生きがいが増大し活力が生まれ、「まちづくり」のパワーアップが図れるということです。公民館や市民文化会館でなく、「学校を拠点」としていることに、21世紀の展望があるように感じます。

学校だけでかかえこまない方向を模索する必要があるのではないか。国の方針として教員定数の改善がいっこうに実現しないなかで、学校に求められる教育内容は肥大化するばかりです。校務システムなどICTの活用による事務の合理化や少人数指導や学級改善対応教員の加配、スクールカウンセラーの充実などの対策は講じられていますが、子供や家庭の環境や、時代や社会の情勢の大きな変化に対応しきれていないのが現実ではないでしょうか。授業や生活のなかで子供と正対する時間は、教師にとって最も大切な時間の一つですが、実態はどうでしょうか。「授業で勝負」「楽しい授業」「アクティブラーニング」といっても、指導者の充実した教材研究があってのことですが、いかがでしょうか。教師といっても生身の人間です。得意不得意があり、向き不向きがあるわけです。能力にも限界があります。そうなると、教職員集団の限られた教育資源だけでは、課題解決に応じきれないのが実際ではないでしょうか。

教師だけが教育にかかわるという妄想を捨てることができるか。子供にとって「最大の教育環境は教師」であることは、今も昔も変わりありません。それゆえ、「子どもたちの志を育むことのできる教師」をめざして自己研鑽に励むことが不可欠です。しかし、少子高齢化、人口減少社会にあって、子供の教育だけが教育というわけではありません。ピラミット型の人口構成時代、右肩上がりの高度経済成長社会にあっては、学校と社会の教育的役割をはっきりさせることで、その使命を果たすことができました。しかし、現在の日本に、そんな時代や社会はすでに存在しません。また、子供も大人も同様に、SNSをとおして、膨大な情報を入手できるようになり、無限大の人々とのネットワークを構築できる環境になったことも、学校教育と社会教育の境界を取り除きつつあります。提言では、「全ての学校のコミュニティースクール化と学校と地域をつなぐコーディネーターの設置」が地域の課題解決や地域振興につながるとしていますが、そのためには、学校の教職員も地域の方々も、過去の妄想を捨て、「自分自身が教育の担い手」との自覚が必要になります。

教職員も保護者も地域住民もTOMONI教育にかかわる体制づくりに取り組まなくては始まりません。文部科学省で出される文書でも「総ぐるみ」という言葉がよく使われていますが、まさに、地域の人々が老若男女総ぐるみで共に教育活動に取り組むことができたら、結果として、地域に活気が生まれてくると思います。過去の「開かれた学校」ではなく、学校を開き、「開いている学校」で「共に育つ活動」を「地域総ぐるみ」で実践することです。「学校はまちづくりの拠点」との考えは、地域の将来、日本の未来を変える力になるものと考えます。「TOMONI」のTは、together(共に)のTです。Tがなくなると「OMONI(重荷)」になります。今、学校と地域に必要な考え方は「TOMONI」です。時代や社会の潮流を正視して、「TOMONI」の歩みを進めたいものです。

(2015年3月30日)

準備中

●和田 守功
(わだ・もりのり)

人間・日本文化・日本酒(やまとごころ)をこよなく愛し、肴を求めて、しばしば太平洋に。朝一番に煎茶を飲み、毎朝、自分で味噌汁をつくる。山野草を愛でる自然派アナログ人間。現在、東三河ジオパークを構想中。自称、新城市観光広報マン。見どころ・秘所を語らせたら尽きない。
教育では、新城教育で「共育(ともいく)」を提唱し、自然・人・歴史文化の「新城の三宝」や、読書・作文・弁論の「三多活動」を推奨している。
新城市教育長をはじめ、愛知県教育委員会など教育行政に16年間携わっている。また、中学校長をはじめとして、小学校で13年間、中学校で11年間、学校現場で教職を務めてきた。