愛される学校づくり研究会

★新教育コラム「出会いこそが教師をつくる」開始にあたって

 だれしも、教師人生に変化をもたらした、心に残る出会い(人、物、出来事など)があるといいます。このコラムでは、その出会いについてリレー方式で語っていただきます。

【第4回】『雑賀』『孫一郎』との出会い
〜あま市教育委員会 浅井厚視〜

教師力とは何か。私は「人とかかわる能力、人への関心・意欲(その前提となる学問・道徳・生き方への関心)」だと考えます。今年で教職について32年目を迎えます。その間に多くの素晴らしい教師(先輩も後輩も含めて)との出会いがありました。多くのことを具体的な場面で教えていただきました。私は教育書を読むことが好きな方だと思いますが、本で学んだことと同様に、人との出会いの中で多くのことを学ばせていただきました。「この出会いが教師力を高めた」というテーマを頂いて、あの先生との出会い、この先生との出会いとどの先生との出会いがこのテーマにぴったりするかを考えました。頭に浮かんだどの先生でも書くことができそうです。「貴方と私の出逢い、貴方と私との学び」であったと思います。しかし、今日はあえて、まったく別の出会い。人ではなく『モノ』との出会い(正しくは出合い)。学問への関心・意欲が高まり、ひいては人への関心・意欲が高まっていったことを書くことにします。

私は平成8年〜10年までの3年間、教師をやめて愛知県埋蔵文化財センターで県内の発掘調査の仕事をしました。正直言って、喜んでこの職に就いたわけではありませんでした。中学校の教師として充実した毎日を送っていましたので、はじめ学校以外の場所へ転勤と聞いた時は、「なぜ自分が」と思いました。発掘現場の説明会にも時々参加していました。歴史、特に考古学は好きでしたが、あくまでも趣味で、仕事にしたいとは思いませんでした。

それは平成10年1月のことでした。私は清須市にある清洲城下町遺跡の発掘を担当していました。ちょうど五条川をはさんで現在の清洲城の対岸、清洲古城公園の東側の堤防の発掘を行っていました。この調査区は織田信雄(信長の次男)の時代の城の本丸付近で、金箔瓦・石垣・土どめなどが見つかりました。金箔瓦の美しさと量の多さに驚かされました。黒壁に金箔瓦、夕日に照らされ、五条川に浮かんだ城の姿はどれほど美しかったろうかと心が驚きました。発掘調査の最後に石垣を写真や図面に落とし、石を一つ一つ取り上げて、ビニルシートの上に移動させました。発掘の休日に季節外れの大雨が降りました。風も強く、石をおおっていたビニルシートが川に飛ばされていました。土にまみれていた石垣の石。大雨はその土をきれいに洗い流してくれました。石垣石に近づいた時、大きな衝撃が走りました。なんと石垣の石に墨で字が書いてあるではありませんか。『雑賀孫一郎』と書かれたものが1つ、『雑賀』と書かれたものが4つ、『雑』と書かれたものが2つ、『賀』と書かれたものが1つ、『六十五』と書かれたものが1つ見つかりました。これは紛れもなく、戦国時代末期(織豊期)の墨書で、かつて安土城の発掘現場から見つかり、なくなってしまった石垣に書かれた墨書。全国で2例目。発掘現場から初めて見つかった墨書ということが分かってきました。この日から、私は時の人となり、名古屋にある新聞各社から取材を受けました。またテレビ愛知が制作した『解明される清須城』という番組にも出演することになりました。全国から織豊期の研究者や戦国時代の城マニアがたくさん見学に訪れました。私はやっと発掘調査の面白さを感じるようになりました。

「浅井君、清須城の墨書について論文をまとめてから、学校へ戻ってくださいね」

埋蔵文化財センターの上司から言われた一言で、出向3年目は現場の発掘と共に、論文執筆の1年となりました。「雑賀」を調査するために、大阪と和歌山に行きました。

見つかった石垣の墨書と文献から分かっている歴史的事実をつなぐ、推理小説のようなパズルとなりました。『教育愛知』にも論文の概要を掲載していただき、7月までに原稿用紙30枚程度にまとめました。この原稿を全国的に有名な石垣・『雑賀』・織田家の研究者に送付して、意見や感想を聞きました。こうして『清須城本丸付近石垣の墨書―『雑賀』『孫一郎』について考える―』という原稿用紙120枚程度の論文に仕上げることができました。

この論文執筆をきっかけにして、私は色々な方と出会い、たくさんの歴史を発表する機会をいただくことになりました。考古学から郷土史へ、そして併行して歴史の教え方へ研究を展開しました。大学・博物館・歴史民俗資料館・その他多くの市民大学講座・・・現在でも『津島藤祭り歴史文化講座』『弥富市高齢者大学』『弥富市文化協会史料部』など10年を超えて講師を続けているものもあります。又、先輩郷土史家の指導により、何冊かの郷土の歴史に関する本を出版することができました。人として、教師として、真理を追究し、教材を研究することに、大きな自信と意欲をもつことができました。人生の中で大きな課題と直面した時、誠実に、全力を出し切って対応することができるかどうかで、その後の自分の運命を切り拓くことができると思うようになりました。

課題は突然目の前にあらわれましたが、逃げるのでなく正対し、自分の問題とじっくり考え、その上で多くの方の意見を聞くことの大切さを教えられました。『この出会いが私の教師力を高めた』どのようなモノ・人との出会いでも、自分に与えられた仕事や出会いを運命と受け止め、誠実に地道に努力を続けること。どのような状況となっても、その状況を幸せと思える力が人生の実力と思います。教師力を高めるのは、この人生の実力を身につけることと思っています。

(2012年6月11日)

出会いこそが教師をつくる

●浅井 厚視
(あさい・あつし)

今年で教職32年目。この春より、津島市立蛭間小校長から、あま市教育委員会教育部次長。『尾張津島見聞録』(津島の達人 公式テキスト)は増刷を重ねている。『津島の達人 ジュニアテキスト』『あま市ものしり読本』など郷土の歴史読本を多数執筆。また津島市・あま市の『ふるさと検定』の問題を作成。趣味は相撲。現在、愛知県相撲連盟理事。相撲3段。