愛される学校づくり研究会

★新教育コラム「出会いこそが教師をつくる」開始にあたって

 だれしも、教師人生に変化をもたらした、心に残る出会い(人、物、出来事など)があるといいます。このコラムでは、その出会いについてリレー方式で語っていただきます。

【第17回】地域の力を実感した出会い
〜東三河教育事務所新城設楽支所 岡山 雅仁〜

今から12年前、初めての小学校勤務で6年生を担任したときのことである。
 総合的な学習の時間に、学年合同(2クラス60名)で「原始の衣・食・住を自分たちで体験」をテーマに活動を行い、「住」の活動として竪穴式住居の建設に取り組んだ。子どもたちが図面や模型を作製し、大きな穴を掘り、建築技術に長けたPTA会長さんの協力で、ヒノキの間伐材を使って骨組みが完成した。
 竹を割いて周囲を囲い、さて問題は茅葺きの茅集めである。かなり巨大な建物になったので、必要な茅の量も半端ではないと予想された。学区内の所々に目にするものの、大量に群生している所はない。どこに行けば茅が手に入るのか、子どもたちとともに探し回った。しかしそんな大量の茅が生えているところはなく、途方に暮れる日が続いた。このままでは、骨組みだけのままで冬が来てしまう。せっかくの子どもたちの活動を中途半端に終わらせたくない。とにかく少しずつでも行動を起こさなくてはと、比較的茅が群生している場所に、6年生全員で茅集めに出かけた。確かに茅は生えてはいるが雑草と混じって、実際の量はさほどでもない。しかしやらないよりはましだ。せっかく骨組みがあるのだから、形だけでも表面を被うぐらいの茅が手に入ればと思っていた。

子どもたちと作業をしていると、となりの畑で農作業をしていた牧野さんという方が「あんたら、何をしとるだん?」と声をかけてきた。茅集めをしている事情を話すと、牧野さんは農作業後に軽トラック一杯の茅を学校まで届けてくださった。そして竪穴式住居の骨組みを見てその巨大さに驚き、「こりゃあ、膨大な量の茅が必要だぞん。どうしたらいいかのん。」その時から牧野さんは、私たちと悩みを共有してくださるようになったのである。
 ある日、牧野さんが素晴らしい知らせを持ってきてくださった。学区に「望月家」という国の指定重要文化財の釜屋建の住居(茅葺きの家)があり、牧野さんと血縁にあたる。葺き替えを行うために御殿場の茅場から取り寄せてある望月家の葺き替え用の茅を、小学校のために提供してくれるように話をしてくださったのである。早速見に行くと、大きな納屋に大量の茅が保存されていた。これを全ていただけるということであり、飛び上がって喜んだ。2トントラックで数回にわたって運び込んだ。
 それからはトントン拍子である。学区に唯一ご存命であった、かつての『葺師(ふきじ:茅葺職人のこと)さん』が、講師として子どもたちに茅の葺き方を教えてくださることになった。さらに多くの地域の方々が応援に駆け付けていただけた。子どもたちに指導をしてくださるだけでなく、子どもたちが授業を受けている間もその方々が作業をしてくださり、学校は毎日が賑やかだった。全て牧野さんの呼びかけによるものである。
 11月下旬、ついに竪穴式住居は完成した。子どもたちは、完成した喜びと、多くの人に協力していただけ喜びを味わうことができたのである。協力してくださった方々をお招きして、盛大に感謝の会を行った。竪穴式住居はその後、子どもたちの活動拠点となり、レクレーションを行ったり、下級生に甘酒をふるまうおもてなしの会を開催したりした。毎年恒例の校長先生の卒業授業は、竪穴式住居に6年生全員が入って行われた。

この竪穴式住居つくりは、子ども以上に私自身にとって意義深いものであった。それは、この活動を通じて多くの方々と交流でき、地域の力を知ったからである。集まってくれた方々は、子どもたちの祖父母にあたる年代の方々ばかりである。この年代の方々は、知恵がある、時間がある、気持ちがある。子どもたちの親の世代だとそこまでの余裕はない。この方々は地域の大きな財産であり、協力を願わない手はないだろうと気づいたのである。
 この活動をきっかけにして、米つくり、山の枝打ち作業など様々な活動へと広がりを見せ、学校と地域とのつながりが深まったのである。それもすべてあの日、農作業をしている牧野さんと出会ったことから始まったのである。
 私はそれまで中学校勤務ばかりで、教科指導、生徒指導、進路指導、部活指導の毎日であり、正直言って地域との連携はあまり頭になかった。ところが、この体験を通して地域には多くの教育財産が存在すること、そして地域の方々が学校の応援者になることが、学校にとってどんなに力になるかを実感することができたのである。その後、校務主任、教務主任、教頭と務めさせていただく中で、この時の経験が私を支えてくれた。
 牧野さんとは、今でも交流をさせていただいている。話題になるのはいつも農作業場での出会いである。牧野さんにとっても、協力してくださった人たちにとっても、子どもたちとの交流は思い出に残り、楽しい時だったという話を聞くたびに、学校を拠点とした地域との連携の大切さが思い出されるのである。

(2014年1月27日)

出会いこそが教師をつくる

●岡山雅仁
(おかやま・まさひと)

初任地は豊田市、その後は故郷の新城市において、中学校勤務27年、小学校勤務3年、本年度は東三河教育事務所新城設楽支所に勤務している。「わかる・できる・おもしろい」をテーマとした数学指導と、生涯スポーツの楽しさを教えるためのソフトテニス指導に力を入れてきた。ソフトテニスは新城市の協会に所属して、現役としても活動中である。学校現場を離れた機会に、教員としての理論不足を少しでも解消したいと願い、本会に仲間入りさせていただいた。