愛される学校づくり研究会

★新教育コラム「出会いこそが教師をつくる」開始にあたって

 だれしも、教師人生に変化をもたらした、心に残る出会い(人、物、出来事など)があるといいます。このコラムでは、その出会いについてリレー方式で語っていただきます。

【第13回】定年を3年先に控えた時の偶然の出会い
〜津市立南が丘小学校 中林則孝〜

教員になって以来、いわゆる研修にはまじめに取り組んだ方だと自分では思っています。研究授業は年に2回から3回はしていたし、全国教研や県教研にも何度か正会員として参加しています。そういった研究会ではきっと学ぶことはたくさんあったはずなのですが、今、振り返って学びを実感できるのは、全国的に知られている有名な方からの間接的な学びばかりです。

30代のころ、向山先生、野口先生、有田先生の著書や雑誌論文を読みあさっていました。この3人の先生の著作集はすべて手に入れました。野口先生の分厚い著作集は今も、持ち歩いています。

しかし、あえてここではもう一人の師について書こうと思います。その方との出会いは私が定年退職を3年先に控えた時でした。パナソニック教育財団の助成金をいただくために、東京で行われた贈呈式に出席しました。そこでは小グループに分かれて情報交換会が行われました。私のグループの助言者は堀田龍也先生(玉川大学教職大学院教授)でした。堀田先生のお名前は存じてはいましたが、講演などを聞く機会はそれまではありませんでした。

私が勤めていた津市立太郎生小学校がその年で閉校になることや秋には自主的な公開研を予定していることを話しました。すると、堀田先生は手帳を開き、「公開研には行きます。何でもします」とおっしゃってくださいました。情報教育のトップリーダーが児童数三十数名の学校に来てくれるなんてと思いながらも、「よろしくお願いします」というのが精一杯でした。

太郎生小には公開研に先だって一度来ていただき、公開研と合わせて2回も足を運んでくださいました。11月の公開研は堀田先生、玉置崇先生、中村武弘先生を講師に迎え、大成功でした。感動的ですらありました。「小さな学校の幸せな研究会」でした。

堀田先生に強く触発された私は、その後、堀田先生の話を聞いたり、論文を読んだりするようになりました。堀田先生の話は「目から鱗が落ちる」ことばかりでした。堀田先生は情報教育の専門家ではありますが、それだけにとどまらない視野の広い考察に私は引き込まれました。「学習規律が大切」ということは学校に勤める職員はみんな分かっているはずです。堀田先生はそのことを、基礎学力や教師の根気とつなげて話をされます。30年も教師を続けてきた私以上に、教室や子どもの実態をよくご存じなのです。鉛筆の持ち方の指導をされるという話を聞いたときは信じられない思いでした。

ICTの活用についても、ありきたりな活用論ではありませんでした。私には他の教員の実践と差別化し、より先進的な使い方を模索していた時期がありました。でも、三重県の学力の低さを聞くにつけ、基礎基本とICT活用に関心を持ち始めていたころでした。堀田先生はまさにそのことを極めて分かりやすく、説得力を持って話をしてくださいました。「ICTは授業を下支えする」「日常的な活用こそが大切」「授業観を変える必要はない」「シンプルな活用を」「実物投影機の常設化」などのことは、まさに私が求めていたことでした。

堀田先生は学習指導要領や教科書の読み取りも大事にされています。「学習指導要領・解説編」の内容についても資料を見ることなく引用されることがあります。教科書読解の話を聞いた時、それまでの読み取りがいかに表面的だったか、思い知らされました。

堀田先生から強い感化を受けたのは私だけではありませんでした。太郎生小学校の職員数名も堀田先生から学び続けています。私だけではなく、私の周囲の者までをも引きつけるところがあるのです。

定年退職した今、私は初任者研修指導員として働いています。指導の柱は「堀田理論」であることはいうまでもありません。堀田先生から学びつつ、学習規律、教科書重視、そしてICTを活用した基礎基本の習得の指導を行っています。

(2013年10月3日)

出会いこそが教師をつくる

●中林則孝
(なかばやし・のりたか)

1951年生まれ。初任者研修指導員。一輪車が小学校に普及し始めた頃、練習を継続すれば大半の児童が一輪車に乗れるようになることを知り、「練習量が、ある時、質に転化すること」を実感する。初任者研修では、スローガンや方向性だけではなく、子どもを念頭に置いた具体的な指導を心がけている。