愛される学校づくり研究会

★このコラムでは、教育コンサルタントの大西貞憲氏がユニークな取り組みで学校の活性化に成功している私立学校を取材し、その取り組みやノウハウを紹介しながら、学校を活性化させた原動力を明らかにします。

【第1回】学校法人興譲館 興譲館高等学校(岡山県)

学校法人興譲館 興譲館高等学校は、創立1853年、150年の歴史を誇る伝統校である。高い夢と志をもたせ、子どもたちの内面を育てるため、生き方考え方の道標となる「論語」、人と人の関わりの中で感性を磨く「創造」、先哲から学ぶ「人間学」など、他校にない独自の学びで心の教育、品格教育を進めている。2008年には野球部が選抜高等学校野球大会(春の甲子園)に岡山県代表として出場した。

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新しい歴史と伝統づくりへの挑戦 
 〜底辺校から“選ばれる”学校へ〜

OBでもある小谷彰吾校長が小学校教員をやめて興譲館高校へ赴任したのは13年前の1998年。当時の興譲館高校は伝統校とはいえ、世間の評判はあまりよくなかったという。4つの学科(普通科、商業科、電気科、機械科)の壁が高く、それぞれが独立した学校のようであり、「教育で子どもを育てる」というよりは、「公立にいけない子どもの面倒をみればいい」という感覚が支配的だった。生徒指導も、生徒を捕まえて取り調べるというまるで警察のような状態だったという。

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校長の小谷彰吾先生

「これは教育ではないと思っても、私の考えに賛同してくれる仲間は誰もいない状態でした」と、小谷校長は当時を振り返る。
 その学校が、いまや年間の生徒指導問題発生件数3件。しかも自転車の2人乗りを注意するといった程度のもの。十年足らずで、ぜひ興譲館で学びたいという第一志望の生徒で募集定員が埋まる学校へと生まれ変わった。

◆総合的な学習をきっかけに

では、どのようにして興譲館高校は“選ばれる学校”へと生まれ変わることができたのだろうか。
 小谷校長はいう。
 「学校をよくしたいという思いで、当時数人の仲間と改革員会を立ち上げました。口先だけでは仲間は増えません。実際に動いて、学校が変わることを理解してもらうしかありませんでした。そのきっかけとしたのが総合的な学習です」
 当時、総合的な学習は誰も経験のないことだったので、若い教師も意見が言いやすく、とにかくやりたいと思ったことをどんどん実践していったという。施設体験に行かせるとこれは確かにおもしろい。生徒も外へ出ると教室とは違った顔を見せる。何を言っても、やっても変わらないという閉塞感がしだいに薄れ、仲間の輪が広がっていった。

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学校が停滞しているときには、何をやっても駄目だというあきらめが先に立つことが多い。具体的な結果を見せないと人はついてこない。新しい試みを成功させるにはとにかく行動することが大切である。失敗しても、そこから学んで何度も挑戦することで結果はついてくる。そのためには、今までスポットの当たっていなかった者に場を与えることが一つの方策となる。失敗を恐れる必要のない者に場を与えることで、積極的な行動が引き出せるのである。興譲館では、総合的な学習を進めた若い教師たちが改革の核となっていったのである。

◆地域連携で子どもが育つ

総合的な学習への取り組みをきっかけに、地域との連携が始まった。興譲館高校では部活動規約で、年に一度は地域と連携を図った活動をすることを義務付けているという。小谷校長はいう。
 「例えば、地域の溝掃除に野球部が出かけていきます。夏の盆踊りにはチアリーディング部が参加します。これらの活動は単なるボランティアではなく、地域に対してよい影響を与えるとともに、生徒も地域の方々に育ててもらっているのです」
 2003年から始まった学校主催の地域セミナーでも、「夏休みの習字教室」、「チアリーダーになろう」、「おもしろ理科実験」など、7講座のほとんどで生徒が活躍しているという。地域と互いによい影響を与え合うことで、生徒が育つ。その生徒の姿が学校のよさを伝え、「これは本物だ」と地域から絶大な信頼を得るようになる。
 そうした変化にともなって、小中学校からは興譲館高校の生徒の姿を子どもたちに見せたいという要望が上がってくるようになったという。小学校の先生が生徒の様子をビデオ撮影に来る。中学校の生徒会の役員が見学に来る。また、地域セミナーのチアリーディングに参加した子どもが、「野球部のお兄ちゃんたちへ」という励ましの手紙とともに、新聞紙に小銭をくるみ、「これで中国大会頑張ってね」と応援してくれたこともあったという。
 「生徒は地域からよい手本として認められ、応援されるわけですから、ますます頑張るんです」
 このときの大会で好成績を残した野球部は、翌年の春の選抜で初の甲子園出場を果たした。

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子どもが育つためには自己有用感を持つことが大切である。意欲のない子どもは例外なく自己有用感を持っていない。子どもをポジティブに評価することが自己有用感を待たせることにつながる。そのための場を興譲館は地域に求めたのだ。「挨拶」「靴をそろえる」「自転車をきちんと止める」といった当たり前のことが当り前にできるようになることから始めた興譲館にとっては、地域の子どもの手本になるという評価は、何よりも子どもたちにとってリアリティのある評価だったに違いない。

◆発信し続ける

総合的な学習への取り組みと並行して、小谷校長は職員に自分の思いを発信し続けたという。
 「公立全入時代が到来するこれからは、公立からこぼれた生徒の受け皿では学校がつぶれる。公立を突き抜けたところで特色ある学校づくりをして、『この学校に行きたい』と言わせなければ、学校が存続できない。学校をよくし、生き残るための手段として、教師による経営目標の達成度評価、子どもたちや第三者による授業評価を含む学校評価を実施し、改善につなげる。このような考え方や取り組みを職員に理解してもらうのは大変なことでした。とにかく発信し続けるしかなかったのです」
 200%発信しても届くのは70%だ。話はなかなか聞いてもらえないが、書いたものはとりあえず読んでもらえる。職員に向けて研修紙を月2回発行するなど、事あるごとに学校改革への思いを発信し続けた。改革が進んでいくことで、子どもの姿が変わってくると、教師の意識も次第に変化が見えてきたという。思いが届くようになったのだ。
 「思いを伝えるだけでなく、一人ひとりの職員に思いを持ってもらわなければいっそうの活性化は望めません。そのために思いを表現できる場をつくることに腐心しました。新しい部活をつくりたいという教師がいれば、実現する方向で検討します。女子のソフトボール部をはじめ、新しい部活をどんどん立ち上げている状態です」

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リーダーの発信力の大切さはどこでも強く言われているが、それだけで思いが伝わるわけではない。発信力は受信力と一体となって意味を持つ。発信したと同じだけ、いやそれ以上に現場の人間の思いを受け止める必要がある。そうすることで初めて伝えたいことを聞いてもらえるのだ。興譲館では教師個人の思いを実現できるよう前向きに受け止めることが、やる気を引き出している。また、寮の建て替え、奨学金の設立など、節目節目でOBの援助が学校改革を支えてくれた。これも思いを発信してきたからこそ、それを受け止めてくれたOBが動いてくれたからに他ならない。

◆新しい歴史と伝統

改革を始めて十数年、「我が町の興譲館」として地域に認められ、選ばれる学校へと変革を遂げた興譲館であるが、「これで学校改革が終わったわけではない」と小谷校長はいう。成功体験に安住せず、常に新しい挑戦を繰り返す。その結果が興譲館の歴史と伝統をつくるという信念のもと、今でも次々と新しい試みが続いている。

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校長の思い、教師の思い、生徒の思い、保護者・地域の思い、OBの思い。そしてその思いを伝え合い、実現する場をつくることが、興譲館高校の新しい歴史と伝統をつくっていく。

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生徒指導、心の教育、学習指導すべて同時に進めてきた興譲館ではあるが、「学習指導は永遠の課題」と小谷校長はいう。生徒が落ち着いてくればより高い質の授業が求められる。教師もよほど意識して努力しなければ次のステップには進めない。生徒指導の困難を克服した学校が必ずといっていいほどぶつかる次の壁である。興譲館もこの壁を乗り越えることで、さらなる発展を遂げることだろう。

(2010年10月18日)

私学から学ぶ

●大西貞憲
(おおにし・さだのり)

東京大学卒業後、愛知県公立中学校・高等学校教諭として約10年間教壇に立つ。その後約11年間、ベネッセコーポレーションにて教育ソフト開発と活用研究を行う。2000年より小中高等学校のアドバイザーとして活動する。学校教育現場で、授業評価・改善、管理職のための学校の活性化、学校のIT活用、保護者向けの子育てへのアドバイス等、指導・講演を年50回以上行う。現場に出掛けてのアドバイスは「明日からの元気が出る」との定評がある。 教育コンサルタント/有限会社フォー・ネクスト代表/NPO法人元気な学校を支援し創る会理事