愛される学校づくり研究会

黙さず語らん

★このコラムは、「小牧市教育委員だより」での副島孝先生(前小牧市教育長)の発信を楽しみにしておられた皆さんからの要望で実現しました。「これまでのように学校教育や現場への思いを語り続けてください」という願いをこめて「黙さず語らん」というタイトルにしました。

【 第70回 】フォーラムで考えたこと

16日(土)に、このコラムの発表の場である「愛される学校づくり研究会」のフォーラムに、パネリストとして参加しました。授業名人の技と授業でのICT活用がテーマです。有田和正先生と佐藤正寿先生の社会科授業対決ということで呼ばれたのでしょうが、私自身はICTに関しては特別扱いする必要などない、ここは使った方が効果的と思ったときに普通に使えばよいと考えている人間です。また、授業名人には若い時から憧れてそれなりに努力もしてきましたが、現在はそれよりも子どもがどう学んだか、どう育ったかの方に興味があります。一人ひとりの子どもの学びを統率できると考えて教師の技術を磨くよりも、子どもの学び自体に関心をもった方が、教師の成長や授業の改善にはよほど効果的だと考えるようになったからです。

お二人の模擬授業は「小学校最後の社会科授業」を条件としたもので、奇しくも両方とも日本が戦後68年戦争をしてこなかったという、世界でも希な事実とその意味を考えさせることをねらいとしたものでした。いかにも条件にふさわしい教材ですが、小学生どころか親の世代にも戦後という感覚自体があるのかも不明な概念です。佐藤先生は日本の領土面積の変化のグラフから地図資料を裏付けに、有田先生は第二次世界大戦での中立国の地図や犠牲者数の表から戦後68年間を考えさせました。お二人とも、さすがに子ども(役)への対応は見事でした。

それでも、この68年の長さを小学生が実感できるだろうかといえば、かなり難しいだろうなと感じました。私自身も山本五十六の伝記で、初陣での日本海海戦(1905年)で左手の指2本を失ったことを知り、第二次世界大戦と日露戦争との間が36年しかないことに気づいて驚いた経験があります。明治、大正、昭和という区切りで歴史を見ていて、戦後の長さを実感できていなかったのです。指導の難しさを含めて、本時の内容はこれからの社会科教育にとってますます重要なテーマとなることでしょう。

一方で私には、最近多いこういう形の模擬授業への違和感が消えませんでした。授業を構想する段階で、仲間や同僚と模擬授業をする、そして実際の授業後に検討し合うという授業づくり経験には大賛成なのですが。たとえば、この日の参加者は、戦後68年の(戦争をしなかった)平和の理由を出し合って終わるという授業の終わりをどう感じたでしょうか。

「教師がまとめろ」などと言っているのではありません。最後の5分間(程度)で振り返り(具体的には150字〜200字程度で自分の考えや疑問などを書く等)をする必要はなかったのでしょうか。有田先生が育てた追究する子どもたちは、毎時間の「鉛筆から煙の出るような」振り返りで育った側面も大きいのではないでしょうか。しかし、この日も含め、模擬授業では凝った教材と華麗な対応(受けの)技術が披露されるのが普通です。本当は見ていて退屈に感じる人もいるでしょうが、毎時間継続的に行っていることを実演することも必要です。そして、その後に半日くらい検討し合ってはじめて一場面ごとの意味が共有されるのではないでしょうか。でも、そのような日程では開催することは、このようなオープンな会では難しいのが現実です。結果として、勉強好きの授業下手、人真似の薄っぺらい授業の横行、というような悲しい現実をよく見ることになります。

もう一つ、シンポジウムに参加しながら考えたことがあります。それは実践者と研究者の考え方の違いということです。実践者(だけの立場)の時は、私も「私はこう思う」という言い方に疑問を感じたことはありませんでした。しかし、研究者の世界を垣間見た今は、「こういう根拠からこう言える」と言わ(書か)なければと心がけるようになりました。つまり、データなり、先行研究なり、説得的な論理がなければ、実践報告ではあっても研究とは言われない世界を知ってしまったのです(実践報告がダメだということでありません。それでは価値観を共にする仲間内にしか伝わりにくいということです)。

前の年に教えていた子どもが「今年になったら授業がつまらない」とか「去年まで好きだった社会科が嫌いになった」などと言ってくるのを聞いて、悦に入っていた自分をいつの間にか恥じるようになった自分がいました。子どもの成長を支えるという教師の役割を、自分は本当に果たしているのかと反省するようになったのです。直接授業をする機会がなくなってきたことや、先生方を通じて子どもを育てざるを得ない立場になって、教師の成長を助けることに自分自身の取り組みの中心が移ったことも影響しています。実際には、未だに実践者として発想から抜けきれず、論文などを書くときにも実践報告になりがちなのが現状なのですが。

これからも学生を育てる実践者であると同時に、研究者も含めてさまざまな立場の方にも伝わる活動に努めていきたいと考えています。またどこかの研究会や授業研究の場でお会いできたら幸いです。連載もこれが最終回となりました。長らくご愛読いただきありがとうございました。

(2013年2月18日)

副島 孝

●副島 孝
(そえじま・たかし)

1969年から教員生活をスタート。小学校教諭11年、中学校教諭(社会科)10年、小牧市教育委員会指導主事、小学校の教頭校長や愛知県教育委員会勤務を経て、小牧市教育委員会の教育長を2001年から2009年まで8年9か月務めた。小牧市教育委員会のホ−ムページで「教育委員だより」、郷土文芸誌「駒来」に「乱読日録」を連載するなど、原稿に追われる毎日であった。2009年4月から2年間、名古屋大学教育学部大学院で、教育方法学を学んだ。授業実践と研究の両方の楽しさ厳しさを知る立場から、現在は愛知文教大学教授を務めるかたわら、小中高等学校での現職教育の支援をしている。