愛される学校づくり研究会

黙さず語らん

★このコラムは、「小牧市教育委員だより」での副島孝先生(前小牧市教育長)の発信を楽しみにしておられた皆さんからの要望で実現しました。「これまでのように学校教育や現場への思いを語り続けてください」という願いをこめて「黙さず語らん」というタイトルにしました。

【 第68回 】真正の(オーセンティックな)学び

年末年始の冬休みや大学の2月以降の春休みには、各研究団体や学会が研究会を開きます。学校の公開研究会や研究発表会も、秋ほどではないにしても各地で多く開かれます。同じ日程の会も多く、どれかを選んで参加するしかありません。以前は参加しても他の人の発表や記念講演などを聞いてくるという形でしたが、最近はせっかく参加するなら自分も発表を、という形に変わってきました。中には運営の手伝いにかかわることもあります。

本年最初の参加は、先週末の「学びの共同体研究会」の冬季研究会でした。冬の研究会は夏以上に内輪の会という雰囲気があります。それはそれで居心地のよいものですが、気をつけないと価値観を共にする仲間との和気あいあいの話し合いに終わる恐れもあります。私自身は、これを非常に危険なことだと考えるタイプの人間です。現実の学校現場では、「勉強はもともと一人でやるものでしょう」とか「グループなどしないで、先生がきちんと教えたほうが子どもに力がつくでしょ」などと語る同僚がきっといるはずです。ひょっとすると、今は「学びって本来協同的なものですよね」なんて言っている人も、以前はそうではなかったかもしれません。

その意味では、今回最初の全体会が「なぜ協同的な学びなのか」という講演から始まったのは良い構成でした。ただWALS2012での発表を日本語に直した佐藤学先生の話は、かなり理論的な内容でした。シンガポールでは他のセッションに参加していて聞けなかったので私は興味深く聞きましたが、もともと世界各地の授業研究者に学びの共同体の「学び合い」の意味を理解してもらうためのものです。私には初耳の、ブルーナーのスキャッフォルディング(足場かけ)概念も含まれていました。

今回のもうひとつのテーマは、ここ数年言葉としては飛び交っていた「オーセンティックな学びをどうデザインするか」でした。一人ひとりに学びを保障するという平等の問題と同時に、学びの質の問題は授業研究では避けて通れない課題です。従来一般的だった教師の指導の評価のための授業研究に陥らないためもあって、現在の授業研究は、どこで学びが成立していたか、どこに学びの可能性があったかという省察(リフレクション)中心で進められるようになってきました。それがようやく、学びをデザインしていくことにも取り組む段階にまで来たということです。

しかし、真正の(オーセンティックな)学びの実現は、同じく学びの成立条件である聴き合う関係、ジャンプの課題と同様、容易なことではありません。「教科の本質に即した学び」という言葉だけでは前に進めません。また、あらかじめ考えていた意見を活発に出し合えたから良いというような「話し合い主義」ではない、という否定形だけでも進めません。具体的なイメージの共有が必要になります。

その意味では、1日目全体会や2日目の分科会での実践発表が重要です。特に初日の発表は、愛知県の数学の先生にはおなじみの作図ツールGC(Geometric Constructor)をiPad上で使うという実践でした。しかも授業者は、2年目の川崎市の先生です。ベテランの先生が生徒の意見をまとめるのを見て、「一番おいしいところを先生が取っちゃった」という感想をもち、自分が授業をやってみたいと言い出したそうです。もちろん技術的には未熟な点はあるにしても、紙やのりやハサミを使うグループも出てくるなど、これは面白いなと感じられる実践でした。

教科の本質に即した真正の学びを実現するためには、まず教材研究が重要だと誰もが考えます。しかしその際、教材そのものを詳しく知るだけではなく、学びの観点から教材を検討することが重要になります。以前から教材研究が重要だとよく言われてきましたが、具体的に何をすることが教材研究なのかについては、教科はもとより人によって随分異なっていました。今後は、教科の本質や子どもたちの学びという視点から、もっと具体的に論じていくことが必要になるでしょう。

会場では、「ああいう教材があったからできたのではないか」「教科の知識を披瀝するような実践が横行する心配はないか」などの声も聞こえました。子どもたちが落ち着き、授業に参加できない子がいなくなった状態から、次の段階へ進みたいというのが、何年か実践してきた学校の状況です。これから後の段階は、これまで以上に容易ではないかもしれませんが、これからが本物の授業研究の段階だということでもあります。子どもたちが落ち着いて授業に参加する環境の中で、学びの質の問題に取り組めることは恵まれたことでもあります。

これから3月末まで、何箇所かでお話をしたり、発表をする機会が続きます。なるほどこういうことだったのかとか、こう考えれば納得できるなという私にとっての学びが、昨年だけでも数多くありました。そんな学びを少しでも共有できればと考えています。

(2013年1月21日)

副島 孝

●副島 孝
(そえじま・たかし)

1969年から教員生活をスタート。小学校教諭11年、中学校教諭(社会科)10年、小牧市教育委員会指導主事、小学校の教頭校長や愛知県教育委員会勤務を経て、小牧市教育委員会の教育長を2001年から2009年まで8年9か月務めた。小牧市教育委員会のホ−ムページで「教育委員だより」、郷土文芸誌「駒来」に「乱読日録」を連載するなど、原稿に追われる毎日であった。2009年4月から2年間、名古屋大学教育学部大学院で、教育方法学を学んだ。授業実践と研究の両方の楽しさ厳しさを知る立場から、現在は愛知文教大学教授を務めるかたわら、小中高等学校での現職教育の支援をしている。