愛される学校づくり研究会

黙さず語らん

★このコラムは、「小牧市教育委員だより」での副島孝先生(前小牧市教育長)の発信を楽しみにしておられた皆さんからの要望で実現しました。「これまでのように学校教育や現場への思いを語り続けてください」という願いをこめて「黙さず語らん」というタイトルにしました。

【 第64回 】公開授業研究会ラッシュ

英語での発表原稿づくりに追われる一方で、各学校での公開授業研究会が連日のように続きます。講師に呼ばれることもありますし、ぜひ参加してくださいとお誘いを受けることもあります。先週は小牧市内の4中学校で、連日公開授業研究会が開かれました(その内の1校は、私自身が県外の高等学校へ出かけた日と重なっていたため、参加することができませんでした)。市内3校はそれぞれ外部から助言者として講師を招いていました。結果として、3人の講師の助言や講評をお聞きする機会となりました。講師はいずれも学びの共同体研究会のスーパーバイザーを務める方でした。

年に数回ずつ何年にもわたって同じ方に見ていただいていると、内部の者には判断できなくなっている視点を得ることができます。それが外部講師の意義の一つですが、公開ということで校外、市外、県外からも参加者があるため、学びの目的や授業のあり方についても触れることになります。今回は連続して聞く機会を得られたため、聞き比べる結果となり、新たに感じるところがありました。

3人は同じ研究会のメンバーですので、教師の指導技術ではなく子どもの学びを中心に据える、グループやコの字というような形式の目的化を避け質の高い学びをめざす、そのためには教科の学びの本質に迫る学びが必要だ、という趣旨では共通していました。しかし、細部になると微妙な差があり、それが私には非常に興味深かったのです。

具体的な例をあげましょう。課題が提示された後、すぐにグループ活動に移る場合と個人でまず自分で考えをまとめてからグループ活動に移る場合とがあります。もちろんグループの形になって個人で考える、いわゆる個人作業の協同化と呼ばれる方法をとる場合もあります。当然個人としての思考は必要だとする方と、いやむしろすぐにグループにするほうが望ましいとする方がいるように感じました。

学びは個人に始まり最後は個人に還るものだ、グループ活動はそれを助けるものであるとともに、その過程で育つものを大切にする、という考え方が一方にあります。他方で、グループ活動の中でこそ個人の学びも本物になる、という考え方があるようです。課題にしても、実はグループ活動の中ではじめて全員のものになるのだという考え方です。もちろんニュアンスの違いです。これでないといけない、と決めつけているわけではありません。どちらに重きを置いているかという程度の差です。

その学校の授業の状況によっても違うのでしょう。もうそのレベルはクリアしているという学校では、どちらでも良いことかもしれません。しかし、教師の異動や世代交代があり、学校は毎年繰り返し基本から見直す必要があるところです。また、参加者には初めてこういう授業を見る人もいるでしょう。同じ研究会のメンバーとはいえ、講師にもそれぞれ長い教師生活で培ってきた背景があります。同一になるものではありませんし、その必要もないはずです。

ひとくちに「学び合い」と言っても、課題を示したら後はすべて子どもに任せるというものから、様々な技法を駆使しながら協同の学びを組織するものまで、間口のとても広い領域です。その中で学びの共同体研究会は、グループやコの字の活用を説く程度であまり技法を強調しません。これには、小学校や中学校から取り組みが始まったことの影響もあるのかもしれません。高校や大学では、ある程度は技法の利用も含めたほうが取り組みやすい側面もあります。

実は私自身もこの研究会のスーパーバイザーのひとりですので、こういうことが特に気になるのかもしれません。木曜日には私自身が高校で、授業を見て話をしてきました。数多くいる講師の中から依頼を受けたのですから、できるだけお役に立てるようにというのが願いです。まして、各学校にはそれぞれ取り組みの過程があります。その時点その時点で、特に力を注いだり、留意したりしなければならない点があります。基本となることは常にどこでも共通しているから、いつも同じようなことを話せばよいという講師はいないはずです。

だからこそ、他校の公開授業研究会に参加する先生方も、その学校の授業を見た上で、特に子どもたちの学びの姿を判断した上で、講師の話を理解しようとしないと、「あの先生が、あの時こう言ったから」と固定的にとらえてしまう心配もあると感じました。それにしても、講師というものは難しいものだと改めて思いました。

(2012年11月19日)

副島 孝

●副島 孝
(そえじま・たかし)

1969年から教員生活をスタート。小学校教諭11年、中学校教諭(社会科)10年、小牧市教育委員会指導主事、小学校の教頭校長や愛知県教育委員会勤務を経て、小牧市教育委員会の教育長を2001年から2009年まで8年9か月務めた。小牧市教育委員会のホ−ムページで「教育委員だより」、郷土文芸誌「駒来」に「乱読日録」を連載するなど、原稿に追われる毎日であった。2009年4月から2年間、名古屋大学教育学部大学院で、教育方法学を学んだ。授業実践と研究の両方の楽しさ厳しさを知る立場から、現在は愛知文教大学教授を務めるかたわら、小中高等学校での現職教育の支援をしている。