愛される学校づくり研究会

黙さず語らん

★このコラムは、「小牧市教育委員だより」での副島孝先生(前小牧市教育長)の発信を楽しみにしておられた皆さんからの要望で実現しました。「これまでのように学校教育や現場への思いを語り続けてください」という願いをこめて「黙さず語らん」というタイトルにしました。

【 第63回 】忙しい時ほど本が

11月に入って、がぜん忙しくなって来ました(とは言っても、現役の頃とは比較になりません。年齢の割にはという程度ですが)。普段からいつも原稿に追われているような気のする毎日を送っているのですが、今月は余計そんな気がします。ここ数年発表を続けているWALSも、今月末に迫ってきました。これには、英語に訳すという作業があるので大変です。その他にも、いろんな学校の授業研究会が目白押しです。同じ日に各地で行われているという状況で、私も何校かには参加します。

忙しい時には、予想していなかった原稿依頼や講師や雑用(失礼!)の依頼が来るものです。一応本業は学生の指導ですので、授業も手を抜くどころか資料作りに追われます。どれもこれも、頭の中から絞り出せるというものではなく、資料にあたったり、データを加工・分析したりする作業が必要です。

と言うと、よっぽど夜中まで机にかじりついていると思われるかもしれませんが、そんなことはありません。実は、9月に初めて偏頭痛を経験しました。2日間ほど、ズキンズキンという痛みに苦しめられました。収まってから行ったかかりつけのお医者さんからは、「ストレスか仕事のし過ぎでしょう」と言われました。それをよいことに、できるだけ夜遅くまでは仕事をしないように心がけています。

では夜は何をしているのと言えば、寝転んで本を読んでいるというのが通常の生活パターンです。面白い本やまだ読んでない本もたくさんあって、いつも枕元には数冊の本があります。眠くなったらそのまま寝てしまうという、もっとも気楽なスタイルです。ジャンルを問わず何でも読むタイプなのですが、社会科関係の話を頼まれる機会もたまにあるので、今回はその方面にからむ本のお話を。

先先回に書いた古代の米食についても、樋口清之の『食べる日本史』(朝日文庫)から始まって、『日本食物史』という書名の本を何冊も読みました(家政学の単位として「日本食物史」があるということまで知りました)。弥生時代には土器に炭化米の付着が見られることや米が十分供給されなかったことから、水で増量した粥や雑炊が食べられていたことが定説となっていること。古墳時代には山上憶良の「貧窮問答歌」に「甑には、蜘蛛の巣かきて飯炊くことも忘れて」とあるように、甑による蒸す調理法が普及したこと。しかし、蒸した飯は硬く、姫飯(ひめいい)といわれる柔らかく炊いた飯が常食となっていったことなどの知識が得られました(江原絢子ら『日本食物史』吉川弘文館などから)。

ところで、面白くて参考になりそうと思ったのは、小熊英二の『社会を変える』(講談社現代新書)です。彼の愛読者は、「小熊が新書?」と思ったはずです(私は勝手に「評論界の京極夏彦」と呼んでいます)。そのとおり新書でも500ページを超えています。閉塞した日本社会の中で個人のできること、という視点で書かれています。例によって彼は、日本の社会の位置づけや、そもそも民主主義とは何かということから丹念に論じます。みんながなんとなくわかったつもりでいることを、もう一度おさらいするスタイルは彼ならではのものです(だから厚くなるのですが)。その中で、「ああ、こういう説明の仕方もあるんだ」と参考になるところが少なくありません。

もう1冊は、池田信夫と與那覇潤の『「日本史」の終わり』(PHP研究所)です。『中国化する日本』で、「中国化(≒グローバル化)」と「江戸時代化」という、いささか乱暴な観点から日本の歴史をぶった切った与那覇と、経済ブロクで有名な池田との対談本です。対談というのは、あまり細部にこだわらないのが特徴ですから、著者の考え方がはっきり出ます。ですから、本書は『中国化する日本』の解説書の役割を果たしています。また、池田は独自の立場から、歯に衣着せぬ言論で有名です。カーネマンの直感的なシステム1と合理的なシステム2という理論を使って、日本(人)の意思決定の方法が歴史に与えた影響を論じます。少し高みからの視点は気になりますが、かなり刺激的な議論になっています。

最後にもう1冊。このところ矢継ぎ早に本を出している堀裕嗣氏の『10の原理・100の原則』シリーズの最新作『一斉授業』(学事出版)に、ドキッとする一節がありました。「長く教育界に君臨してきた超有名講師の講演会……。残念ながら、学べるものはほとんどありません。(中略)すでに授業をしなくなった管理職や指導主事の助言、現場を離れて何年も経った現場上がりの研究者の提言にも同様の傾向があります」

うーん、的を射ているだけに堪えますね。私自身はこの指摘の対象者にはなり得ない程度の存在で、授業を見せていただいて一緒に語り合うことぐらいしかできません。でも、それが我々の世代のせめてもの誠実な態度なのかもしれませんし、少しはお役に立てる面もあるのかなと考えています。

(2012年11月5日)

副島 孝

●副島 孝
(そえじま・たかし)

1969年から教員生活をスタート。小学校教諭11年、中学校教諭(社会科)10年、小牧市教育委員会指導主事、小学校の教頭校長や愛知県教育委員会勤務を経て、小牧市教育委員会の教育長を2001年から2009年まで8年9か月務めた。小牧市教育委員会のホ−ムページで「教育委員だより」、郷土文芸誌「駒来」に「乱読日録」を連載するなど、原稿に追われる毎日であった。2009年4月から2年間、名古屋大学教育学部大学院で、教育方法学を学んだ。授業実践と研究の両方の楽しさ厳しさを知る立場から、現在は愛知文教大学教授を務めるかたわら、小中高等学校での現職教育の支援をしている。