愛される学校づくり研究会

黙さず語らん

★このコラムは、「小牧市教育委員だより」での副島孝先生(前小牧市教育長)の発信を楽しみにしておられた皆さんからの要望で実現しました。「これまでのように学校教育や現場への思いを語り続けてください」という願いをこめて「黙さず語らん」というタイトルにしました。

【 第6回 】今はまだ人生を語らず

昔の仲間と会う機会が、時々あります。楽しい時間です。それにアルコールでも加われば、なおさらです。そこで交わされる会話の定番は、当時の思い出と現在の体調です。一定以上の年齢の者が集まる会合なら、どこででも見られる光景です。
 病気自慢という言葉があるそうです。「俺はここが悪い。こういう薬を飲んでいる。この前、医者にこう言われた」などが代表ですが、なかには「この前、こういう手術で入院した」などという話の出ることもあります。しかし、会合に出て来られるわけですから、それほど深刻な表情ではありません。だからこそ、病気自慢と呼ぶのでしょう。

 もう一つの思い出話も楽しいものです。過去には、苦しいことも、辛いこともあったのですが、今の時点から見れば、みんな楽しい思い出となります。悪戦苦闘した時期に一緒だった仲間ですから、その当時は意見の合わないことも多かったはずですが、それも含めて楽しい思い出なのです。
 ただ、私はへそ曲がりなのでしょう。思い出話が苦手です。若い頃、学校が荒れて苦労していたときに、先輩教師から「俺の若い頃はもっと大変だった。それに比べたら、こんなのは問題じゃない」などと言われると、「そんな経験があるのなら、今どうしたら良いのか具体的に提案してくれ」と、心の中で毒づいていました。
 だから、単なる昔話で現実逃避するのではなく、具体的な提案をして一緒に取り組むことのできる先輩になりたいと、若い頃から考えていました。現在も悪あがきのように学んでいる裏には、こんな「思い出」もあるのです。本当は、一緒に授業に取り組む方が、ずっと楽しいことが多いからですが。

 しかし、人間は誰でも年を取りますし、嫌でも過去が積み重なって来ます。ゼミで研究史を検討する際など、自分の足跡と重なり合います。自分も参加していたり学んだりしていた組織が、論文や学会発表で研究対象となっている場合も少なくありません。そんなときには、自分自身が郷土史でいう古老になったような気がします。
 個人的には、思い出話をすることは嫌いどころか好きな方です。それでも抵抗がある理由の一つに、私と同年の吉田拓郎(彼は、とても病気自慢をする状況ではないようですが)の70年代のアルバムに、「今はまだ人生を語らず」があり、その曲(ちなみに、正確には曲名の方は「人を語らず」)を昔から好きだったことがあります。過去に好きだった曲名や歌詞に現在でもこだわっているのは、人間として成長のない証拠かもしれませんね。

 そう言えば最近、教師の学びとしてリフレクションが重要だとよく言われます。reflectionは、省察とか反省的思考などとも訳されますが、いま一つピンと来ない概念です。ある方(指導を受けている的場正美教授のことですが)から、「reflectの本来の意味は、雪道にふと振り返って自分の足跡を見ることだそうだ」とお聞きし、やっと腑に落ちました。
 年を取るとリフレクションの機会は多くなるはずですが、思い出話で終わっていてはリフレクションにはつながらないようです。振り返って今につなげるところまで行って、初めてリフレクションになるのかと実感します。学校の現職教育(一般的には教員研修でしょうが、授業研究の世界では外国でも通じるそうです)に参加する身としては、自分自身でもリフレクションを当分の間は心がけようと思っています。

(2010年6月21日)

副島 孝

●副島 孝
(そえじま・たかし)

1969年から教員生活をスタート。小学校教諭11年、中学校教諭(社会科)10年、小牧市教育委員会指導主事、小学校の教頭校長や愛知県教育委員会勤務を経て、小牧市教育委員会の教育長を2001年から2009年まで8年9か月務めた。小牧市教育委員会のホ−ムページで「教育委員だより」、郷土文芸誌「駒来」に「乱読日録」を連載するなど、原稿に追われる毎日であった。2009年4月からは名古屋大学教育学部大学院で、教育方法学を学んでいる。授業実践と研究の両方の楽しさ厳しさを知る立場から、学校の現職教育などに貢献したいと考えている。