愛される学校づくり研究会

黙さず語らん

★このコラムは、「小牧市教育委員だより」での副島孝先生(前小牧市教育長)の発信を楽しみにしておられた皆さんからの要望で実現しました。「これまでのように学校教育や現場への思いを語り続けてください」という願いをこめて「黙さず語らん」というタイトルにしました。

【 第48回 】またまたハプニング

先回、ハプニングで対応に追われた話を書いたのに、今年度の最後になる今回もまたハプニングの話です。実は、先週末から10日間の海外旅行に出かけています。羨ましいと言われそうですが、4月から少し忙しくなりそうなので、可能なうちにという考えから決めたものです。その間に必要なことは済ませておいたはずだったのですが、出発してからこの48号の原稿がまだだったことを思い出しました。すっかり送った気持ちになっていたのです(こんなことは初めて、と言いたいところですが2回目です)。

メインの目的地はクロアチアなのですが、安いツアーを探したため北京経由で出かけることになりました。中部国際空港から午前9時過ぎに出発するため、2時間前までに集合となり、早朝から出かけました。ところが飛行機には乗り込んだのに、出発する雰囲気がありません。結局3時間遅れて離陸したのですが、北京の天気が悪いためと聞かされました。

Webで天気予報を調べた時にはそうでもなかったのに、と思いながら北京空港に着陸して分かりました。午後3時なのに薄暗くて、視界が非常に悪いのです。黄砂かとも思いましたが、ちょっと早すぎます。霧だそうです。この季節にはよくある現象で、寒暖の差の大きいことが原因だと聞きました。

本当に暗くなった頃から、冷たい雨が降り出しました。昨年の末から一度も雨がなく、今年初めてだと言われました。その日の夜中2時にミュンヘンに向けてのフライトです。5時間近く待合室で過ごしました(パソコンを持参していたので、いくつか原稿は書けましたが)。やっと搭乗する頃には、雨はみぞれに変わっていました。ところが、出発の時間になっても、飛行機は一向動く気配がありません。

窓から外を見ると、雪が白く積もっています。止まっている飛行機を見ると、そこにも雪が積もっています。この雪がやまないと無理なのかなとも思いましたが、雪は上がったようです。5時頃になって、たぶん機体に放水したのでしょう。窓の外が、まるで嵐のような状態でした。それも収まり、やっと動き始めました。ところが、広い空港を移動してようやく滑走路まで来たというのに、ちっとも離陸を始めません。

そのうち、また最初の場所まで戻ってしまいました。どうもエンジンが不調なようです。何度も出力を上げたり下げたりしますが、一向に解決しません。そのうち、タラップを引いた車が機体の近くに来て止まります、とうとう諦めたのだなと、こちらも諦めます。この飛行機でのフライトは中止になるか、あるいは他の飛行機が用意されるのか、忙しく検討しているのだろうな、と想像していました。

そのうち、タラップを引いた車が帰ります。おや出発なのかと思うと、次に大型のタラップを引いた車が来て、今度は機体に取り付けまでします。手荷物などを運ぶためだと思われる車も到着します。もう決まりだな、どちらにしても一旦降りなければならないと覚悟しました。ところが、それからがまた長いのです。結局すっかり明るくなった午前6時半過ぎに、飛行機は離陸したのです。5時間近くの遅れです。前の晩から延々と待ち続けたというわけです。

我々のような暇人の日本人グループは乗客の中では少数で、中国やヨーロッパの方などがほとんどで満席でした。日本語のアナウンスはなく、最終的には機長の短いコメントがあっただけで出発という、ドライなものでした。この時思ったことは、中止するという決断は、かなり大変なものだろうなということです。飛行機には、食事その他多くのものが積み込まれています。また、深夜には最小限のスタッフはいるものの、フライトを中止した場合に対応できる数のスタッフはいないのでしょう。それらを考え合わせて、なんとか決行する方向で努力した、というところでしょう。

乗客にとっては良い決断だったのか、という疑問は残ります。もうグッタリですから。しかし、こういう場合、たいていは実施者側の事情が優先されます。誰にも覚えのあることではないでしょうか。でも、お蔭でこの原稿を思い出し、なんとか書けたのですから、これも私を支える言葉の一つ「どっちに転んでもシメタ」(どんな状況が起こっても、前向きに考えるの意味)のお陰ですね。

シメタのもう一つの例としては、旅行中に読むつもりで買ってきた『暇と退屈の倫理学』(國分功一郎、朝日出版社)が、暇を持て余さずに済んだどころではなく、『中国化する日本』(與那覇潤、文藝春秋)と並んで、今年私が読んだ本のベストスリーに入るものであることが分かったことです。この2冊の本については、機会があればまた紹介します(もうこれ以上は、ハプニングのない旅が続くことを願いながら)。

(2012年3月19日)

副島 孝

●副島 孝
(そえじま・たかし)

1969年から教員生活をスタート。小学校教諭11年、中学校教諭(社会科)10年、小牧市教育委員会指導主事、小学校の教頭校長や愛知県教育委員会勤務を経て、小牧市教育委員会の教育長を2001年から2009年まで8年9か月務めた。小牧市教育委員会のホ−ムページで「教育委員だより」、郷土文芸誌「駒来」に「乱読日録」を連載するなど、原稿に追われる毎日であった。2009年4月から2年間、名古屋大学教育学部大学院で、教育方法学を学んだ。授業実践と研究の両方の楽しさ厳しさを知る立場から、現在は愛知文教大学客員教授を務めるかたわら、小中高等学校での現職教育の支援をしている。