愛される学校づくり研究会

黙さず語らん

★このコラムは、「小牧市教育委員だより」での副島孝先生(前小牧市教育長)の発信を楽しみにしておられた皆さんからの要望で実現しました。「これまでのように学校教育や現場への思いを語り続けてください」という願いをこめて「黙さず語らん」というタイトルにしました。

【 第46回 】『学習する組織』を読む

聞いたことはあるが読んだことはない、そんな本を急に読んだのには、それなりの理由があります。いくつもきっかけはあったのですが、直接的には、ある研究者が使った「メンタル・モデル」という言葉が引っかかったことです。何となく意味はわかるけれど、使っている人の意味とは違うような気がしたのです。そこから少し調べると、どうもこれはピーター・センゲの『学習する組織』で使われている言葉らしいとわかりました。

すぐにそこへ行かずに回り道をするのが私らしいところで、まず読んだのは『学習する組織とは何か』(中村香、鳳書房、2009年)です。解説書のつもりでしたが、博士論文をもとに書かれた専門書でした。やっぱり原典を読もうと、『学習する組織』(枝廣淳子・小田理一郎・中小路佳代子訳、英治出版、2011年)にたどり着きました。これは、1990年の旧版を一部カットした翻訳『最強組織の法則』(徳間書店、1995年)に対して、2005年に出た改訂版の全訳です。

結論的に言うと、読んでよかったと思いました。翻訳がいいのか、読みやすいことにも驚きました。この本は分類すれば経営学やマネジメント論になるのでしょうが、学習論としても読みごたえがあります。もちろん読めば学習する組織をつくることができる、などというようなものではありません。しかし、自分の所属している組織を見直すことはできます(教師論や授業研究で重視されている、リフレクション《省察・内省・振り返り》を強調していることも発見でした)。

ところで、「学習する組織」では、7つの学習障害(これはこれで実に興味深い)の解毒剤として、5つのディシプリンを提示します。それは、1自己マスタリー、2メンタル・モデル、3共有ビジョン、4チーム思考、5システム思考の5つです。原著のペーパーバックス版の書名が『第5のディシプリンThe Fifth Discipline』であるように、5つのディシプリンを一つの集合体として展開するために、5番目のシステム思考を最も重視しています。

翻訳書や解説書では、ディシプリンDisciplineという言葉がそのまま使われています。辞書的には、訓練とか、規律、懲戒などと訳される言葉です。本書でも、以下のような説明が出てきます。例えば、ディシプリンは、「料理のレシピ」ではなく、一連の原則や基本理念だ。「ディシプリン」というのは、「強制的な命令」という意味でも「処罰の手段」という意味でもなく、実践するために勉強し、習得しなければならない理論と手法の体系である。ディシプリン(discipline:「学習する」という意味のラテン語「ディシプリナ[disciplina]」が語源)は、あるスキルや能力を手に入れるための発達上の経路である。

ところで、「メンタル・モデル」の方はどうでしょうか。メンタル・モデルとは、「私たちがどのように世界を理解し、どのように行動するかに影響を及ぼす、深く染み込んだ前提、一般概念であり、あるいは想像やイメージでもある」と説明されています。つまり、ある人が「こういう授業を実現しよう」と呼びかけたのに賛同しない人には、「授業とはこういうものだ」という、別のメンタル・モデルがあるのだろうというのです。

だから、組織を改革するためには、メンタル・モデル自体が変わらなければならないというわけです。また、「私たちは自分のメンタル・モデルや、それが自分の行動に及ぼす影響に意識的に気づいてはいない場合が非常に多い」とも指摘しています。自覚していないメンタル・モデルを明らかにしていく方法も示されています。

「学習する組織」と言えば、企業よりも学校を考える人が多いことでしょう。しかし、自分の学校が、ビジョンが共有され、効果的なリーダーシップ(トップダウンの命令による改革では「学習する組織」にはならないことを、センゲは何度も強調している)のもと、学び続ける学校になっている、と言い切れる教師は少ないのではないでしょうか。教師(と言っても、直接的には組織改革に取り組む推進者)について、次のように記述しています。

真の教師になるには、まず、学習者にならなくてはならない。実際に、教師自身の学習に対する情熱は、その専門家としての知識と同じくらい、生徒たちに刺激を与える。だからこそ、組織学習のツールや理念に真剣に取り組むマネジャーもまた、単なる「提唱者」や伝導者ではなく、実践者でなくてはならないのである。

学習する組織としての学校は、メンバーみんなが学習者でなければならないということは、当然のことですが印象的です。アドバイザーとして学校に関わることの多い私自身も、学習者であり続けなければ関わる意味や意義はないことを再確認しました。

(2012年2月20日)

副島 孝

●副島 孝
(そえじま・たかし)

1969年から教員生活をスタート。小学校教諭11年、中学校教諭(社会科)10年、小牧市教育委員会指導主事、小学校の教頭校長や愛知県教育委員会勤務を経て、小牧市教育委員会の教育長を2001年から2009年まで8年9か月務めた。小牧市教育委員会のホ−ムページで「教育委員だより」、郷土文芸誌「駒来」に「乱読日録」を連載するなど、原稿に追われる毎日であった。2009年4月から2年間、名古屋大学教育学部大学院で、教育方法学を学んだ。授業実践と研究の両方の楽しさ厳しさを知る立場から、現在は愛知文教大学客員教授を務めるかたわら、小中高等学校での現職教育の支援をしている。