愛される学校づくり研究会

黙さず語らん

★このコラムは、「小牧市教育委員だより」での副島孝先生(前小牧市教育長)の発信を楽しみにしておられた皆さんからの要望で実現しました。「これまでのように学校教育や現場への思いを語り続けてください」という願いをこめて「黙さず語らん」というタイトルにしました。

【 第40回 】鳥肌の立つような発言に出会う

授業中の子どもの発言に、ハッとすることがあります。いい発言だなあとか、よく考えたなあと、参観している私まで嬉しくなります。しかし、鳥肌が立つようなことは稀です。先日ある小学校の理科の授業で、そんな経験をしました。

4年生の空気でっぽうの授業でした。閉じ込めた空気の圧力を考える授業です。授業で使ったのは、最近多くの小学校で見られる「実験セット」の空気でっぽうでした。透明なプラスチックの筒に、ぴったりはまる押し棒、そして弾力性がありこれもぴったりはまる鉄砲玉の組み合わせです。私の子どもの頃は、太さの違う2本の竹と布と消しゴムを削って作った玉という、できるだけ空気を漏らさないという工作的要素が強い単元でした。

この実験セットで子どもたちに「学びが生まれる」ことは、かなり難しいなと思いながら、授業を見ていました。まず最初の10分間ほど、空気でっぽうで玉を遠くや高く飛ばしながら、子どもたちはできるだけたくさん気づいたことを書きました。次にグループで気づいたことを出し合い、その後全体にグループごとに1つずつ発表します。発表は順番で決められた子がしているようです。

やけに機械的な展開だなと感じながら見ていました。グループの順に、玉の飛び方や音などに関する発表が進みます。すると、5番目のグループの子が「いったん棒を引くと、玉が手元の方に動く」と発言したのです。鳥肌が立つような瞬間というのは、この発言のことです。たぶん担任をしていても、1年に1度あるかどうかという発言に出会ったと直感しました。

よくできた実験セットを使ったからこそ見つかった現象だ、とも言えます。この授業は空気の圧縮をねらいにしていますし、4年生では空気の膨張は加熱によるものとして扱うことになっているので、授業者が想定していなかったのは当然のことです。しかし、目の前の子どもから、こんな素敵なプレゼントを貰ったのですから、当然(一回り発言が終わった後ででも)全員に試してみるように指示するべきだと思いました。

こういう発想をした子は一人だったかもしれませんが、全員が試せばさまざまな考えが出てくることでしょう。圧縮による玉の発射と正反対のことを試すことによって、圧縮の意味がより鮮明になります。棒を引くことによって、空気の体積が膨張しているのではないかと考える子もおそらく出てくることでしょう。そうなれば、圧縮や膨張をどう測定するのかも問題になります。透明なプラスチック製という実験セットが、ここでは効果的に働くはずです。ところが授業では、この素晴らしい発言は聞き流され、計画どおりにどうして玉が飛ぶかを考えさせ、空気が関係しているで終わってしまいました。

たぶん教師生活で一生の思い出となる可能性のあった発言は、なぜ聞き流され、学びのない授業で終ってしまったのでしょう。これには、いくつかのことが関係しているはずです。私が感じた最大の原因は、「計画したように進む授業が良い授業だ」とする授業者の授業観ではないかというものです。これは、「子どもにとって学びのある授業こそ良い授業だ」という授業観とは対極にある考え方です。

この授業で子どもたちが何かを発見したり、なるほどと腑に落ちたり、新たな疑問が湧いたりする、そんな学びを実現したいという思いがあれば、考えあぐねて結局ありきたりの授業展開を計画してしまったとしても、子どもたちの発言には敏感になるのではないでしょうか。素晴らしい学びのある授業を実現できる機会は、そんなに何度も訪れるものではありません。それはそれで仕方のないことだ、と私は考えています。しかし、ふだんからその意識がないと、せっかくの機会も失ってしまうのです。

理科に関しては、かつて中学校の「慣性」の授業記録で読んだ「電車の中で飛んだらどこに下りるかは、ものすごいスピードで自転している地上で自分が飛ぶのと同じではないか」という発言に感動したことがあります。今回はライブで経験できたのですから、授業を見ることは本当におもしろくてやめられないなあと思います。

こんな素晴らしい発言を生んだのは、実はこういう子どもたちを育てた、そして授業者の想定を超える発言も許される雰囲気を作った授業者の力でもあります。そういうクラスなら、小さな学びを生み出すきっかけとなるような発言は、これからもきっと何度も生まれることでしょう。それをもとに充実感のある学びの経験を一つひとつ積み重ねていくことでしか、子どもたちの、そして教師の成長などあり得ないのではないでしょうか。

(2011年11月21日)

副島 孝

●副島 孝
(そえじま・たかし)

1969年から教員生活をスタート。小学校教諭11年、中学校教諭(社会科)10年、小牧市教育委員会指導主事、小学校の教頭校長や愛知県教育委員会勤務を経て、小牧市教育委員会の教育長を2001年から2009年まで8年9か月務めた。小牧市教育委員会のホ−ムページで「教育委員だより」、郷土文芸誌「駒来」に「乱読日録」を連載するなど、原稿に追われる毎日であった。2009年4月から2年間、名古屋大学教育学部大学院で、教育方法学を学んだ。授業実践と研究の両方の楽しさ厳しさを知る立場から、現在は愛知文教大学客員教授を務めるかたわら、小中高等学校での現職教育の支援をしている。