愛される学校づくり研究会

黙さず語らん

★このコラムは、「小牧市教育委員だより」での副島孝先生(前小牧市教育長)の発信を楽しみにしておられた皆さんからの要望で実現しました。「これまでのように学校教育や現場への思いを語り続けてください」という願いをこめて「黙さず語らん」というタイトルにしました。

【 第32回 】でっちあげ

大学での授業も前期が大詰めに来ています。やっとペースがつかめてきたところで終りになるのは、世の常かもしれません。特にねらっていたことは、自分自身が判断したと思っていることでも、実際にはマスコミの報道などからそう思い込まされているだけではないかと振り返ってみることです。
 授業では毎回、ある事柄に対するあなたの判断の根拠はどこから来ているのかを問うようにしてきました。私たちはいつも自分で考えたり、根拠を確かめたりしているわけではないのに、かなり確信に近いような考えを持つものです。90分の授業を使って、こんな例もあると出した事例が次です。皆さんは平成15年の40代男性教師による担任児童への「いじめ事件」報道を記憶しているでしょうか。発端となったのは、「小4の母『曾祖父は米国人』 教諭、直後からいじめ」という見出しの、平成15年6月27日付のある全国紙による報道です。

福岡市立小学校で、40代の男性教諭が4年生のある男子児童に、「ミッキーマウス」や「ピノキオ」と称して鼻や耳を引っ張るなどの行為を繰り返し、学級担任から外されていたことがわかった。児童の親は、家庭訪問の際、教諭に、母親の曾祖父が米国人であることを話したのを境に態度が変わったとしており、差別意識が背景にあると主張。学校側は「家庭訪問で『血が混じっている』など不適切な発言があった。問題になった行為との因果関係ははっきりしないが、人権意識が欠けていた」としている。
 学校側によると、問題が表面化したのは5月中旬。下校前、この児童にだけ10秒で荷物を片づけるよう命じ、できないと、耳を引っ張る「ミッキーマウス」、鼻をつかんで振り回す「ピノキオ」、ほおを引っ張る「アンパンマン」など五つの「刑」から一つを選ばせ、実行していた。いじめは約半月続き、児童は耳が切れて膿むなどしたという。(以下略)

その後、他の全国紙や地元地方紙、テレビ局の報道が続きます。特に地元の「スクープ」を抜かれた地方紙は報道を継続します。主な報道内容は、「この教師は家庭訪問の際、児童の母親の曾祖父が米国人であることにふれたところ、教諭が『日本は島国で昔は純粋な血しかなかったのに、汚らわしい血が混ざった』と発言し、それを聞いていた児童はショックを受けた」「その後、教諭は停職6カ月の懲戒処分を受けたが、その後も児童につきまとった」「児童は医師により、PTSD(心的外傷後ストレス障害)と診断され、自殺未遂まではかった」などです。そしてある週刊誌による実名報道「『死に方教えたろうか』と教え子たちを恫喝した史上最悪の『殺人教師』」で、世論の見方は決定的になります。

当然、損害賠償を求める民事裁判が起こされました。503人の人権派弁護士による大弁護士団も結成されました。ところが、裁判が始まると、訴えの事実が次から次へと否定されていきます。外国人の尊属がいることや、PTSD診断の信用性まで否定されます。判決では、市への請求が一部認められただけで、教師への賠償請求は棄却されました(控訴審では、原告側は教師への請求を取り下げ、体罰を争わない戦術に出て確定)。実質的な敗訴です。

報道後現地に入ったフリーのジャーナリストがその他の保護者など関係者に取材をするなかで、報道と全く違った空気を感じ、これはむしろ、教師へのいじめではないかと疑ってまとめた記録が『でっちあげ』(福田まゆみ、新潮文庫)です。著者は「子供は善、教師は悪という単純な二元論的思考に凝り固まった人権派弁護士、保護者の無理難題を拒否できない学校現場や教育委員会、軽い体罰でもすぐに騒いで教師を悪者にするマスコミ、弁護士の話を鵜呑みにして、かわいそうな被害者を救うヒロイズムに酔った精神科医。そして、クレーマーと化した保護者。結局、彼らが寄ってたかって“史上最悪の殺人教師”にでっちあげた」のが真相だとまとめます。

これが事実なら、完全に捏造や冤罪です。優しく真面目だが、やや優柔不断な面もある教師と、体罰防止を当然とする学校側に、保護者が大変な剣幕で乗り込んできて恫喝する。片づけができず他の子に乱暴を働くこともあったその児童に、注意したとき手が当たったこともあるかもしれないと体罰を消極的に認め謝ったことから、保護者は次から次へとあり得ないような虚言を繰り返す。それを裏も取らずに競って報道するマスコミ。そして世論が形成されていく。この事例はまれなことだとは思いますが、不確かな報道からの判断を自分自身の判断だと錯覚する、現在の私たちの危険性を指摘しているかのようです。

(2011年7月18日)

副島 孝

●副島 孝
(そえじま・たかし)

1969年から教員生活をスタート。小学校教諭11年、中学校教諭(社会科)10年、小牧市教育委員会指導主事、小学校の教頭校長や愛知県教育委員会勤務を経て、小牧市教育委員会の教育長を2001年から2009年まで8年9か月務めた。小牧市教育委員会のホ−ムページで「教育委員だより」、郷土文芸誌「駒来」に「乱読日録」を連載するなど、原稿に追われる毎日であった。2009年4月から2年間、名古屋大学教育学部大学院で、教育方法学を学んだ。授業実践と研究の両方の楽しさ厳しさを知る立場から、現在は愛知文教大学客員教授を務めるかたわら、小中高等学校での現職教育の支援をしている。