愛される学校づくり研究会

黙さず語らん

★このコラムは、「小牧市教育委員だより」での副島孝先生(前小牧市教育長)の発信を楽しみにしておられた皆さんからの要望で実現しました。「これまでのように学校教育や現場への思いを語り続けてください」という願いをこめて「黙さず語らん」というタイトルにしました。

【 第3回 】研究協議会で語られること

日本の授業研究(授業研究をもとに教師が学び合うこと、同時に、そういうことのできる学校文化)を、いま世界が学んでいます。Lesson Studyとウェブ上で検索してみれば、その一端を知ることができるでしょう。特にアメリカや東南アジアでは、過熱気味とも思われる勢いで授業研究の波が広がっています。
 それに対して、日本の現状はどうでしょうか。形式的に行われているだけで、なんの意義も実感されてない学校もあります。「かつては熱心に行っていたのだが」と、過去形で語られるような学校さえあります。一方で、長年継続している学校、ここ数年でまた熱心に取り組み始め、子どもの学びが変わったと成果を実感している学校もあります。その違いは授業研究の方法にある、と私は感じています。
 授業者の負担を少なくする工夫もなされていますが、それでも授業研究の実施は大変です。にもかかわらず継続できている学校には、貴重な学びの機会となっているという実感があるからでしょう。授業研究の方法の中で、個人的には授業後に行われる研究協議会(呼び方も各地で様々で、事後検討会・授業協議会と呼んでいる地域もあります)に注目しています。

 それでは、教師にとって学びの機会となるような協議会とは、どういうものでしょうか。授業研究を継続している学校の協議会に参加したり、観察したりした経験から、共通するいくつかの特長があるように感じています。もちろん、それらは関連しています(関連しているからこそ、長続きしているのですが)。
 まず、子どもが固有名詞で語られるということです。一人ひとりの子どもは、少年Aでもないし、少女Bでもありません。ましてや単なるクラスの一員でもありません。みな名前を持った子どもなのです。固有名詞で語られるためには、参加する同僚が子どもに注目して授業を見る必要があります。一人ひとりの子どもを見ることで、同僚教師はたくさんのことを学びます。
 自分は子どもを見ながら授業をしていると考えている教師もいますが、「協議会で語られる一人ひとりの子どもたちの姿が、自分には見えてなかった」と多くの教師は語ります。当然のことです。だからこそ、授業者だけでなく参加する同僚にとっても、授業研究は学びの場となるのです。授業をしながらでは見ることのできない、子どもの感じ方、受け取り方、学び方を知るからです。
 次に、実際の授業に寄り添って指導の手だてが語られるということです。一人ひとりの子どもの学びの姿が語られるのですから、その時の発問や指示、説明は、教材や資料などを含めて、具体的に語られます。当然、「私だったらこうする」という発言は、協議の末に出ることはあっても、唐突に語られることはなくなります。
 代わりに、難しさを共有しながら、「自分はこういうやり方をしている」と、悩みながらの実践が語られます。実践の語りには、自分のクラスの子どもたちの反応が伴います。頭ごなしな授業者の否定の出る余地はありません。だからこそ「この学校では、研究授業をすることが苦痛でない(もちろん大変だけど、とは付け加えられますが)」と、授業者が語るようになります。

 そういう段階に達した学校でも、年度初めには、子どもも教師も毎年物理的に変わります。4月になると、新しいメンバーでまた新しい営みが始まるのです。ある意味、ゼロからのスタートという側面があります。そういう学校では、4月に第1回目の授業研究を行うのが通例です。学校のめざすもの、子どもたちの学びの姿、それを語り合う教師たち。それらを新しい同僚に、具体的に知ってもらう機会になるからです。
 学校には、それぞれ固有の学校文化があり、伝統と称されるものも少なくありません。日々の地道な営みの中で、いつの間にか作り上げられていくのです。面白いものだと思います。
 そのような学校の具体的な姿の一端を、次回に。

(2010年5月3日)

副島 孝

●副島 孝
(そえじま・たかし)

1969年から教員生活をスタート。小学校教諭11年、中学校教諭(社会科)10年、小牧市教育委員会指導主事、小学校の教頭校長や愛知県教育委員会勤務を経て、小牧市教育委員会の教育長を2001年から2009年まで8年9か月務めた。小牧市教育委員会のホ−ムページで「教育委員だより」、郷土文芸誌「駒来」に「乱読日録」を連載するなど、原稿に追われる毎日であった。2009年4月からは名古屋大学教育学部大学院で、教育方法学を学んでいる。授業実践と研究の両方の楽しさ厳しさを知る立場から、学校の現職教育などに貢献したいと考えている。