愛される学校づくり研究会

黙さず語らん

★このコラムは、「小牧市教育委員だより」での副島孝先生(前小牧市教育長)の発信を楽しみにしておられた皆さんからの要望で実現しました。「これまでのように学校教育や現場への思いを語り続けてください」という願いをこめて「黙さず語らん」というタイトルにしました。

【 第14回 】『(英語)授業改革論』を読む

学び合いの授業を始めると、頭を抱える教科の先生がいます。その代表が英語科の先生です。各方面から批判を受けながらも、英語の授業には、誰もが思い浮かべるイメージがあります。それと学び合いとは相いれないと考える英語の先生が多いのです(実は今、英語は、授業について参考になる本が、最もたくさん出版されている教科なのですが)。

 『(英語)授業改革論』(2009年、田尻悟郎著、教育出版)という本があります。書名に( )がついているのは変だと思いますが、実際にそうなのですから仕方ありません。ひょっとして、英語だけに限らない授業改革論だという主張の表れかもしれません。本書に書かれていることは英語授業に関することのみですが、他教科や小学校の先生が読んでも刺激的だと思います。
 私は田尻さんの授業を実際に見たことはありませんが、DVD『中学英語教師 田尻悟郎の仕事』(NHKエンタープライズ)を観たことがあります。「プロフェッショナル 仕事の流儀」という番組を再構成したもののようです。田尻さんが勤務していた島根県の公立中学校での密着取材を通して、生徒たちが実に熱心に学習に取り組む姿が印象的でした。
 関西大学に移った田尻さんは、現在でも「私は大学という教育現場でもがきながら授業しています」と語りながら、これまでの自分の実践の歩みと到達点を整理します。それは、?到達目標とテストを早めに明らかにし、?その到達目標にたどり着くためにやるべき学習法を提示し、?授業でそれを体験させ、?家庭で続きをするように仕向け、?生徒が家庭で行った自学をチェックし、?その結果、生徒ができるようになったことを目の前で証明させる、という授業の流れです。

 驚異的な学力を付けることで有名になった田尻さんですが、0限や7限の授業を増やしたり、長期休暇中に生徒を学校に出して補習をしたりすることには批判的です。「授業の質を高めずして授業数を増やすと、生徒はつまらない授業の増加にうんざりして、家庭に帰ってからは絶対にその教科の勉強をやりたいとは思わない」と書きます。「授業でやっていることが面白い。もっと勉強したい」と生徒が感じる教え合いの授業をするために、ティーチャー制度、ペア作り・グループ作りに取り組みます。
 「教え合い」という言葉は「学び合い」では嫌われる言葉です。教え合う関係は一方的で、お節介の関係であると。田尻さんはこのタームにそこまで気を使ってはいないようですが、学習集団を通しての生徒の人間関係は重視しています。それは、この方式ではトラブルが起こる可能性があることを自覚しているからのようです。しかし、そのトラブルを生徒たちの成長の糧としようとするしたたかさがあります。
 また、当然のことですが、教え合い活動では「答を教えてはいけない」という約束事があります。「教え合いのポイントは、双方の生徒がどれだけ脳を使うかである。ストレートに答を教えてしまったら、お互い頭も心も全く動かない。教えるほうがヒントを工夫して相手を正解に導こうと努力すると、教わるほうも知っている知識を総動員してそのヒントから答を探ろうとする。その末に答が分かったら、抱き合ったりガッツポーズをしたりする。『よっしゃ、できた!』と叫ぶときの喜びは、教わるほうより教えるほうが大きいかもしれない」と記述するように、学習者心理には敏感です。

 第1章の「固定概念をリセットする」にも、なかなか興味深い記述があります。教科書って必要? 板書って必要? 教師の説明は必要? 説明は全員に聞かせないといけないの? 先生って何のためにいるの? 予習って必要? の6つです。当然のことと思っていたことが、実は生徒の学びを邪魔しているのではないかと気づかせてくれます。
 先生って何のためにいるの? で、教師の授業中の仕事は、「間違いを見つけること、ヒントやアドバイスを与えること、待つこと」の3つだと指摘します。そして、3つの中で一番難しく、一番大切なのは最後の「待つ」ことだと。限られた時間内で教えようとして、教師は往々にして説明に頼ります。しかし、田尻さんはこう書きます。「教えられたことは残らない。気がついたことはなかなか忘れない。だからこそ、生徒が気がつくように見えないレールを敷いてやるのが教師の務めだと思う。これは、生徒会の運営の仕方と全く同じである。そして、待つうちに、教師が思いもよらなかった解決法を思いつく生徒がでてくる。それも、教員という仕事の醍醐味である」と。
 読んだ本の内容に、すべて賛同する必要などありません。しかし、どうせ読むなら、自分の概念に揺さぶりをかけてくれるような本を読みたいものです。本書がそういう一冊であることは保証できます。

(2010年10月18日)

副島 孝

●副島 孝
(そえじま・たかし)

1969年から教員生活をスタート。小学校教諭11年、中学校教諭(社会科)10年、小牧市教育委員会指導主事、小学校の教頭校長や愛知県教育委員会勤務を経て、小牧市教育委員会の教育長を2001年から2009年まで8年9か月務めた。小牧市教育委員会のホ−ムページで「教育委員だより」、郷土文芸誌「駒来」に「乱読日録」を連載するなど、原稿に追われる毎日であった。2009年4月からは名古屋大学教育学部大学院で、教育方法学を学んでいる。授業実践と研究の両方の楽しさ厳しさを知る立場から、学校の現職教育などに貢献したいと考えている。