愛される学校づくり研究会

★このコラムは、ベテランの先生方によるリレー方式のコラムです。先輩教師として若い先生方に、「こんなことをしたらうまくいかなかった」といった失敗談を語っていただきます。

【第47回】名倉誠也 先生
 「その意図は?……『最後の一句』での苦い記憶」

新任時、中3担任を任されました。当時は全国的に校内暴力の嵐が吹き荒れており、悪戦苦闘でした。ドラマチックな日々でしたが、先輩方に助けられて、なんとか卒業式までやり切りました。体力のみで乗り切ったに過ぎません。すると、2年目もまた中3担任となり、学校訪問の特研授業者になりました。2年目だから、ちょっぴり余裕を見せたかった、そんなときの話です。

国語「最後の一句」(森鴎外)の授業でした。役人に確約を迫る主人公の言葉「お上のことには間違いはございますまいから」に込められた気持ちを考えさせました。父を助けようと捨て身の主人公に恐れるものはなく、献身に潜む反抗が態度に出ます。
 ほぼ予定通りに授業は進んでいました。生徒に助けられていたと言えるでしょう。何かと目立つ生徒も普段よりは服装もある程度正して、割といい感じのまま授業終末まできました。そのとき私は、ちょっと満足気に、ほんの少しの余裕すら見せながら、予定外の発問「なんとか父を助けるために、自分ならどんな態度をとりそうかな」と問いかけました。
 「大好きな父のためなら必死に耐える」「父のために死ぬ覚悟までしているからもう恐れない」などの発言の後、挙手していない一人の生徒を指名してしまいました。普段は服装・頭髪が乱れがちな彼ですが、その日はよく頑張って授業を受けていました。目が合ったので、せっかくだからあててやろうというぐらいな気持ちで、「どうかな。自分ならどうするか想像してごらん」と問いかけました。変形学生服と派手な髪型をしているがいつもはよくしゃべる彼が、腕組みをして沈黙しました。

研究協議会での先輩の一言「あのとき彼を指名したその意図は?」が忘れられません。私は、よく頑張って授業に出ていたから発言させたくてと答えましたが、先輩の「なるほど……でも確か彼は……」の言葉を聞いたときに、はたと気づきました。彼は母子家庭で2人暮らしでした。
 当然、私は知っていましたが、そのときには、すっかり意識の外にありました。母子家庭の彼は、父親を助ける子供の気持ちを突然問われ、参観者が見守るなかで戸惑ったことでしょう。

翌朝、サッカー部の練習時に彼と二人でパス練習をしながら謝りました。彼は快活に笑いながら「何も気にしとらんよ、先生」と言いました。生意気も言うが、一方では真っ直ぐな彼の優しさが分かるだけに、私には重い一言です。言葉の重み(命にかえて言った言葉)を追究する授業の中で主人公の最後の一句に感動し、ひるがえって、なんとも自分の言葉の軽さよ。生徒にいつも「人の気持ちが分かるようになろう」なんて話していながら……。主人公の言葉に胸を刺された役人と同様に恥ずかしい思いです。

(2011年8月22日)

失敗から学ぶ

●名倉誠也
(なぐら・せいや)

昭和57年4月より春日井市の中学校勤務を皮切りに教員生活をスタート。その後、愛知教育大学附属名古屋小学校、春日井市の小中学校勤務を経て現在に至る。新任時から中3の担任を経験し、悪戦苦闘。16年度に文科省指定エイズ教育(性教育)研究の発表をしてエイズ撲滅を訴える。