愛される学校づくり研究会

★このコラムは、ベテランの先生方によるリレー方式のコラムです。先輩教師として若い先生方に、「こんなことをしたらうまくいかなかった」といった失敗談を語っていただきます。

【第36回】永井 直美 先生
「衝撃的な変身」

「せんせ〜い!」「こんにちは〜!久しぶり!Y子ちゃんだよね〜!」どんな娘に成長しているのだろうと、どきどきしながら金山の駅前で待っていた私は、20年ぶりの教え子との再会に驚きました。予想以上に大きく変身していたからです。

一緒に食事をしながら、名刺交換をしました。ある大手企業の「西日本エリア・中部ブロックマネージャー」。まだ、30歳の若さで名古屋と大阪を行き来しながら、たくさんの人の上に立つリーダーとして、ばりばり働いているのです。一緒に食事をしている間も、2台の携帯電話がときどき、Y子の指示を仰ぐために鳴ります。「今日、本当はちゃんと休みを取っておいたんだけど、すみません。」と申し訳なさそうに私に言いながら、電話に出ると、かわいいY子の顔がさっと営業用の顔に変わり、「さすがだな。」と私は感じました。

20年前、Y子がまだ小学校4年生だったころ、私は担任でした。Y子は、一人っ子で大事に両親に育てられ、とてもおとなしい児童でした。強い態度の級友から意地悪されると泣きそうな顔で訴えに来るので、いつも私は担任としてY子を守っていました。私もまた、目立つことが苦手で、強いリーダーシップで子どもたちをぐいぐい引っ張っていくタイプではないので、自分と似ているなあと感じ、親近感を覚えたものでした。後期になり、なんとY子は、学級委員に立候補しました。決戦投票で、私も含めて大方の予想は、もう一人の活発な子が当選すると思われていた中で、Y子に決定しました。私はY子に務まるのかなと内心は心配でしたが、Y子はそれがきっかけで、「少し、自信がついた」と言っていました。

そして、次の年、私は低学年の担任となり、Y子は、5年生になり初めて担任はベテランの厳しい男の先生になりました。いつも優しく話を聞いてあげる担任から急に厳しい担任に代わり、Y子は戸惑い、不登校になりかけました。Y子の母親も大変心配し、学校にも相談に来ました。私は、Y子をほっておけないと勇気を出して、5年生の担任の先生に抗議しました。「先生、Y子ちゃんには、優しくしてあげてください。厳しくしたら学校に来れなくなってしまいます。」ところが、5年の担任の先生は「俺は俺のやり方でやるから。」と私は突っぱねられました。仕方がないので私はY子の母親に、「5年生の男の先生は考えがあってしっかり指導される先生だから、よく話をしてください。」とお願いしました。Y子の母親が5年の担任とコミュニケーションをしっかりとり、Y子も少しずつ慣れて笑顔が見えるようになっていきました。

それから、20年、Y子はいろいろと苦労をしたようですが、今は、昔のおとなしかったY子からは信じられないくらい、自分に自信をもち、信念をもって立派な仕事をしています。

人はそれぞれ持ち味があるから、それを大切にしていけばよい、と私は思ってきました。20年ぶりのY子との再会は、そんな私の考えが、大きく変わった瞬間でした。

「ああ、私は何もしてあげられなかったんだな。」と自信をなくしかけた私にもY子は、優しい言葉をかけてくれました。「4年生のとき、先生に優しくしてもらって、私はずいぶん変わりました。学級委員に立候補できたのも先生が勇気を出して、と背中を押してくれたからです。」その他にも、授業中や給食中に、私が自分の子育てで悩んでいることなど話した雑談もずいぶんたくさん覚えていてくれました。私は小学生の子はこんなにも担任の言葉に影響を受けるものだと、再認識しました。

今、私は中学校に勤務しています。小学生以上に感受性が豊かな中学生に対して、慎重に言葉をかけ、責任をもって接していかなければいけないと、20年後のY子を見て感じました。そして、生徒を固定観念で見るのではなく、可能性を信じ、良さを伸ばしていけるように心がけていこうと強く思いました。

(2011年1月10日)

失敗から学ぶ

●永井直美
(ながい・なおみ)

小学校教諭13年間(産休育休中以外すべて担任)、中学校教諭14年間(11年間担任、3年間学年主任)。現在、教務主任。専門は数学教育。
 大学時代は、弓道部に所属。二男出産後、自分は長男と地域の剣道教室で剣道を習い始めた。中学校に転勤してからは、剣道部の顧問をし、長男・長女・二男が中学生のときは自分の勤務校の生徒と我が子が試合で戦うことも多く、複雑な心境でありながら、うれしい気持ちであった。一番成績のよかったときは、団体で生徒とともに県大会・東海大会まで進むことができた。「こころを込めて!」がモットー。