愛される学校づくり研究会

★このコラムは、ベテランの先生方によるリレー方式のコラムです。先輩教師として若い先生方に、「こんなことをしたらうまくいかなかった」といった失敗談を語っていただきます。

【第30回】木全 孝 先生
「突っ走ってしまった合唱コンクール」

新任から中学校で7年目、3年生の担任のとき、「合唱コンクール」の企画について、音楽の先生と対立をし、他の先生方との雰囲気を悪くした苦い失敗談です。

 「合唱コンクール」では、学級のまとまりがはっきり表れます。当時「合唱コンクール」の取組こそ、学級経営の真価が問われると思っていました。それまでの自分の学級は、本当によく練習をし、過去6年間ずっと優勝してきました。今年度も、もちろん「優勝!」と生徒たちとも話をしていました。
 そのような中で、音楽の先生から「合唱コンクール」の提案がありました。
 「今年から、課題曲だけでなく自由曲の両方でコンクールを行います。」
 自分としては、自由曲が入ることに大賛成。正直、課題曲はこういってはなんですが、とっつきにくい面があり、自由曲は生徒たちで決めることができると思ったからです。しかし、その後の音楽の先生のことばに驚きました。
 「自由曲は、この5曲の中から選択をしてください。」
 そのときの自分は、「自由曲といいながら、なぜこの中から選ばなければいけないのだ。もっと、子どもの発想を大切に自由に選ばせてほしい」と強く思いました。
 結局、音楽の授業の一環として、合唱に最低限、必要な難度を取り入れた5曲の中から選ぶことになりました。

 しかし、若さ故、また6年間連続優勝してきたという慢心と生徒たちの思いを一番感じているという気持ちがあったのでしょう。学年主任から強引に了解を得て、自由曲は自分たちで決めることにしました。
 そして、決定したわが学級の自由曲は、カ−ペンタ−ズの「イエスタディワンスモア」。
 生徒たちは、自分たちで決めた自由曲という意識もあり、本当に一生懸命に練習をしました。我が学級の取組をうらやましがっている生徒がほとんどでしたが、学年教師集団の雰囲気は、逆にぎくしゃくしていました。今から思えば、恥ずかしい話ですが、そういったことも何も感じていませんでした。「自分は正しい。絶対優勝!」だと。

 そして当日の結果は、なんと6クラス中、「最下位!!」。
「自由曲の難度が著しく低い」というコメントがありました。
 なぜ、決められたル−ルの中で全力をあげなかったのか・・・。なぜもっと話し合いを持たなかったのか・・・。周囲を無視して突っ走ってしまい、生徒たちにとって残念な結果になってしまったこと、また先生方にいやな思いをさせたことに気付いたのは、それから何年もたってからでした。
 救いは、クラス会を行うたびに当時の話が出て、「イエスタディワンスモア」を合唱し、生徒たち自身、カ−ペンタ−ズの「イエスタディワンスモア」を聞くたびに、あの頃を思い出すと言ってくれることですが、よくあそこまで、わがままがやれたと反省しきりです。

(2010年10月11日)

失敗から学ぶ

●木全孝
(きまた・たかし)

昭和56年、中学校教諭としてスタ−ト。現在、海部教育事務所勤務。子どもたちには、日頃からお互いにかかわりを持つことで成長できることを呼びかけました。またドラマチックなことが好きで、学級づくりに際して「一生懸命が一番かっこいい!」「あつい涙を流そう。感動がすべてだ!」など、子どもたちの心情に熱く訴えるタイプです。