愛される学校づくり研究会

★このコラムは、ベテランの先生方によるリレー方式のコラムです。先輩教師として若い先生方に、「こんなことをしたらうまくいかなかった」といった失敗談を語っていただきます。

【第30回】永田 春季 先生
「私の失敗談 〜事件は突然やってくる〜(学級経営編)」

教師生活31年間の中で、学級担任として大きな失敗は、後にも先にもこれ1回である。いかに大きな出来事であったかがわかると同時に、本当に苦しい半年間であった。

 大事件は私がちょうど30歳。学校を変わって2年目。10年目の9月に起きた。事件の発端は席替えである。
 それまでは常に自分が中心の学級経営であり、お山の大将であった。生徒指導が起こるといつも最前線に立ち、怒鳴り指導する毎日、まさに恐い物知らずで動き回っていたと思う。当時は生徒のことなんて・・・という感じであった。

 中学2年の担任をしていたときである。生徒会活動を前期と後期に分けているように、席替えも前期と後期の年2回行うというのが私の定番であった。子どもたちは不満があっても、決して何も言って来なかった。(言えなかったことが本音ですね)
 席替えは、当時は(今も)担任が決めることが常識であった。それを、私は前期の学級役員に任せたのである。一般の生徒には内緒に密かに進めていたことであった。ところが、それがどこからか洩れてしまい、ある日突然数名の女生徒に呼び出され、無茶苦茶文句を言われた。前期役員もみんなからつるし上げられ、自信をなくし、後期の役員にも立候補することなく、担任には不信感を抱き、後期の学級経営はぼろぼろであった。
 当時学年No.1の問題生徒を受け持っていたから、こうなると学級がどうなるかというと、まず教室の備品が壊される。ロッカーに穴があき、机に落書きされ、教卓は壊される。そして行事はズタズタ。特に文化祭の合唱は恥ずかしいばかりの歌声であった。さらに日記はほとんど出なくなり、課題の提出も悪くなる。ましてや授業中は落ち着かない。給食は班を順番に回って生徒と一緒に食べていたが、実はこれもやりたくなかった。しかし急にやめるわけにもいかず本当に苦しかった。(生徒指導もおとなしくなったかな〜)

 この事件を通してわかったこと。それはもっと民主的に生徒と共に学級を創っていかなければいけないということだ。民主的とは、自分の考えを(席替えも含め)しっかり話すということ。そして生徒の意見を聴きながら、納得した上で決めていくことである。
 翌年3年生の担任になったとき、1週間をかけて自分の経営方針を学級通信と共にしっかり話した。そして、一つ一つを学級会で決めていったことを覚えている。中でも失敗した席替えは、特に入念に行った。我々教師も職員室配置では楽しみもあるからこそ決めるには苦労する。(それで1年間が決まると言ってもいいのだから無理もないですよね。最近は、しょっちゅう席替えをする担任がいることが気になっています)
 お陰様で、3年生の学級は最高でした。あのNo.1の問題生徒とも今なお連絡をとりながら、10年毎にクラス会を開いている。

 ※席替えについての考え方=学校は学年のまとまり(各学年主任が親密であれば大きな崩れはない)、学年は学級のまとまり。学級は6つの班のまとまりで成り立っていると考えている。席替えによって、班が決まり、それに伴って当番活動・係活動が決まってくるため、子どもにとっては大きなウェイトを占めるものである。

(2010年9月13日)

失敗から学ぶ

●永田春季
(ながた・はるき)

1958年生まれ。広島県出身。鹿児島で学生生活を送り、愛知県に就職。住まいは岐阜。現在アパートにて単身赴任中。小牧市立北里中学校教頭・技術科・赴任して3年目。授業は「テンポよく」をモットーに、全クラスの授業を受け持っている。日々、子どもと接することができて幸せ者である。職員室はいつも明るく、会話が途絶えず、冗談が言える雰囲気に。さらに、職員会議は1時間半が限界(これ以上やっても思考力が・・・)。私の信念である。