愛される学校づくり研究会

★このコラムは、ベテランの先生方によるリレー方式のコラムです。先輩教師として若い先生方に、「こんなことをしたらうまくいかなかった」といった失敗談を語っていただきます。

【第22回】玉置 崇 先生
「去年の2年4組のように」

今思うと、どうしてあのようなことを言ってしまったのかと思う教員5年目の学級経営の大失敗です。

 前年度に中学校に異動し、2年4組の学級担任をしました。赴任したときの学校は、市内でも荒れた学校として有名で、校長も一時期不登校となるような状態でした。
 はたしてこのような学校で自分は勤まるだろうかと不安でしたが、生徒にも恵まれて、自分が願うような学級となりました。集会などで全学級が集合すると、整然としている我が学級はひときわ目立ちました。また教科担任の方々から「あなたの学級はとても授業がやりやすい」と褒めてもいただきました。「よし、中学校でも十分やれるぞ!」という自信をもちました。その翌年の今でも忘れられない辛い思い出です。

 昨年度はとても楽しい締まりのある学級ができたので、自分の力を過信したと思います。また、昨年度の学級リーダーが、今年度も学級にいたのでうまくいくぞと思いこんだと思います。

 「人から羨まれる良い学級をいち早く作ろう」と張り切って学級経営を始めたのですが、どういうわけか昨年度のようにうまくいきません。生徒と自分とは離れていると思うことがしばしばでした。こうした中で唯一の救いは、昨年度の学級リーダーがよく動いてくれていたことです。

 ある時、ざわざわした帰りの短学活に腹が立ち、学級がまとまらず焦っていたことやリーダーの頑張りを認めてやりたいという気持ちが重なって、絶対に言ってはいけない一言を発してしまったのです。
 「去年の2年4組を知っているだろう。○○さんは、あのクラスのリーダーだった。同じように今年も頑張っている。もっとリーダーの気持ちを汲んでやったらどうだ、去年の2年4組のように」と。

 なぜこの言葉はよくないのかといった説明は必要ないでしょう。この後、さらにまとまりがなくなった学級の様子を思い出すことは、とても辛いことです。苦しい毎日が続きました。「ようやく卒業式になった」と思ったことは、教員生活の中でも、あのときだけでした。

 それから十数年後、そのころの生徒と会う機会がありました。「あの時は本当に申し訳なかった。面白くない学級だったでしょ」と頭を下げました。「いや先生、楽しい学級だったよ。先生、燃えとったじゃん」という言葉が返ってきて、びっくりしました。後ろ向きにならず、なんとかしようという気持ちだけは持ち続けていたことは、分かっていてくれたようです。再び頭を下げました。

(2008年8月25日)

失敗から学ぶ

●玉置崇
(たまおき・たかし)

昭和54年、教員生活スタート。小学校教諭3年、中学校教諭16年、教頭6年、校長3年、平成19年度より愛知県教育委員会義務教育課指導主事。専門は数学。大学時代には落語研究会に所属。今でも高座に上がりご機嫌をうかがっている。「やってみなきゃ分からない」をモットーに、「思いついたら、すぐ動き出す」ところもあって、失敗は数知れず。そのくせ、ちょっとしたミスで、いつまでもくよくよ悩むタイプ。眠れぬ夜も多い。
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