愛される学校づくり研究会

★このコラムは、ベテランの先生方によるリレー方式のコラムです。先輩教師として若い先生方に、「こんなことをしたらうまくいかなかった」といった失敗談を語っていただきます。

【第21回】梅本 幸平 先生
「部活顧問としての、にが〜い思い出」

今から10年ほど前、中学校で校務主任をしながら、サッカー部の顧問をしていたときのことです。

 その年の我がサッカー部は、キャプテンを中心によくまとまり、なかなかの仕上がり具合でした。「県大会出場」を目標に迎えた夏の大会。春日井市内の大会では、他を寄せ付けず、順調に愛日大会へ駒を進めました。しかし、その初戦で、思わぬ苦戦。圧倒的にボールを支配したものの、勝敗はPK戦に持ち込まれました。結果、愛日大会は、初戦敗退という残念な結果となってしまい、私と同様、「県大会までは、何としても…」と思っていた生徒たちは、涙を流して悔しがりました。

 例年なら、3年生は、この大会を最後に引退し、ほとんどの生徒が受験勉強一本に打ち込んでいくことになるはずでした。ところが、2〜3日して、キャプテンが私のところへ来て、「秋の大会までやらせてください。」と言うのでした。この「秋の大会」というのは、中学校のチームだけではなく、グランパスや愛知FCといった有名なクラブチームも参加する大きな大会。本校は、毎年この大会には、新チーム(2年生中心)で参加していたのでした。

 私は大いに悩みました。というのも、この中学校は、市内でも、生徒もよく勉強し、保護者も教育熱心な方が多いとして有名な学校だったのです。「このまま秋まで、部活を引っ張れば、必ず保護者から苦情がくる。」最後に私の下した決断は、条件付き参加。「3年生は例年通り引退。しかし、希望者は、保護者とよく相談した上で、秋の大会まで参加可能。ただし、塾優先・学業優先で、成績不振の者は参加不可。」というものでした。それでも、多くの3年生たちは、この趣旨をよく理解してくれ、勉強と部活を両立させ、何とか秋の大会を迎えることができました。

 その第1回戦。試合前に審判に両チームの監督が呼ばれ、「選手証の提出をお願いします」と言われたのでした。実は、この大会は県のサッカー連盟の主催であったため、選手一人一人が県に登録をし、登録証を持参して大会に臨まなければならなかったのでした。私は、選手登録は済ませたものの、キャプテンが「これは、先生がまとめて持っていてもらった方がいいと思います。」という申し出を振り切り、「選手証は個人の管理」と一人一人に返してしまったのでした。連日の忙しさのため、選手証のことなど、頭からコロッと抜けていた私は、子どもたちに持ってくるように言うのを忘れていたため、ほとんどの選手が家に置いたままでした。おまけに、事前の監督会議にも出席できなかった私は、「今大会から選手証の提出は厳正に行うという」通達が出されていたのも知りませんでした。

 そして、無情にも、「選手証がなければ参加できません。この試合は不戦敗となります。」と審判から告げられたのでした。私は、「子どもたちに申し訳ない。」という気持ちでいっぱいでした。何度も本部に掛け合いましたが、不戦敗は覆りません。結局「試合だけは行いましょう」ということになり、子どもたちは気持ちを切り替え、のびのびとプレーしてくれました。「負け」が決まった試合にもかかわらず、結果は大量点を取っての圧勝でした。
 私は、子どもたちが、1点、また1点と、見事なゴールを決めていく度に、ますますいたたまれない気持ちになっていきました。私の不注意と連日の忙しさのため、子どもたちに本当に辛い思いをさせてしまったのでした。

 その後、ほとんどの子どもたちは、自分の志望校に見事に合格し、卒業式の日にキャプテンのユニフォームに寄せ書きをして、私に送ってくれました。今も、このときのことを思い出すと、胸がチクチクと痛みます。

(追伸)
 私は今、この中学校の校長を務め、時々サッカー部の活動に参加させてもらっています。

(2008年8月4日)

失敗から学ぶ

●梅本幸平
(うめもと・こうへい)

平成3年4月〜平成9年3月まで、愛知教育大学附属名古屋中学校に勤務。平成8年度には、研究主任を務める。平成11年4月〜平成13年9月まで、愛知県総合教育センターで、特別支援教育の研究及び相談活動に従事。平成17年4月〜平成19年3月まで、尾張教育事務所の指導主事を務め、平成20年4月より、春日井市立石尾台中学校の校長として活躍中。趣味は、スポーツと音楽。現在、オーバー40のサッカーチームに在籍し、メタボと闘いながら、リフティング記録1100回を更新中!