愛される学校づくり研究会

★このコラムは、ベテランの先生方によるリレー方式のコラムです。先輩教師として若い先生方に、「こんなことをしたらうまくいかなかった」といった失敗談を語っていただきます。

【第20回】笠原 晶子 先生
「健康が一番 〜自分だけの体ではない〜」

今から20年以上も前、教員2年目の忘れられない出来事です。

 大学を卒業してすぐ、県の東部の学校に赴任しました。自宅からの距離は32km。どこかアパートを探そうと思いながらも日々の仕事に追われ、それもままならぬ毎日。毎日往復2時間の通勤も、慣れてしまえばかえって気分転換になるし、家事一切をやる必要もないと割り切り、自宅からの通勤を続けていました。
 無我夢中で過ごした採用1年目を終え、2年目の4月。スポーツ少年団のミニバレーボール部を指導してくれないかとの先輩教師からの依頼。元々体を動かすのは大好きだったので、二つ返事で引き受けたのです。

 バレーの指導は、毎日4時半過ぎから7時頃まであります。バレーの指導が終わってから職員室に戻って残った仕事をしたり、翌日の授業準備をする日々が続きました。家まで帰るのに1時間かかりますから、帰宅時間は毎日9時過ぎ。時には日曜に試合で出かけることもあります。でも、そんな毎日が、辛いと感じることはありませんでした。バレーの指導が終わった遅い時間に、年の近い先生方と日中にはできないような本音の話をし合ったり、他愛のないおしゃべりに興じたりするのも楽しみでした。
 当時担任していたのは2年生。授業もだんだん自分の考えるとおりに進むようになってきたし、子どもたちは「先生、先生」となついてくれる。毎日充実した日々を過ごしていました。学校に行って子ども達と会うのが本当に楽しみでした。

 そんなある日のことです。2、3日前から風邪気味でしたが、その日はいつもと少し違う体のだるさを感じました。熱でもあるのかな、と思いましたが、バレーの指導を休むとせっかくきた子どもにがっかりさせてしまいます。このくらいなら大丈夫だろうといつものように仕事を済ませ、我慢してバレーの指導を終えました。帰る道すがら、自宅までの距離がいつもよりいっそう遠く感じました。
 その夜、夜中に寝苦しさで何度も目を覚ましました。ひどく汗をかいています。しかも寒気もひどくなっていきます。仕方なく、翌日は休むことにしました。いくらなんでも一日寝れば、よくなるだろうとたかをくくっていましたが、その翌日になっても体のだるさはとれません。医者に行ったところ、診断は肺炎でした。しかも、かなり悪化していて入院の必要があるとの診断でした。お医者さんの話を聞きながら、学校のこと、子ども達のことが頭を巡りました。結局、はじめに2週間の病休をとりましたが回復せず、1ヶ月お休みしてしまったのです。

 もう少し自分の体調に気を配り早めに休んでおけば、このように長く病休を取ることはなかったと思います。目の前のことにとらわれ、自分の体力を過信していたため健康管理ができませんでした。休んでいる間、子ども達がたくさんのお手紙をくれました。それを見て、自分で情けなくて、子ども達に申し訳なくて、涙が出ました。そのときの気持ちは20年たった今でもはっきり覚えています。

 子どもたちの前に立つとき大切なのは、何よりも健康だと思います。もちろんそれは体だけでなく心も含めてのものです。このことがあって、私は自分の生活を節制して、よりよい体調を保つことの大切さを思い知りました。また、病休の間に職場の多くの仲間に助けてもらったことも痛感し、「自分のことだけしか考えられなかった自分」にも気がつくことができました。苦い思い出ですが、今ではよい勉強だったと思っています。

(2008年7月14日)

失敗から学ぶ

●笠原晶子
(かさはら・あきこ)

教員になって23年目。現在は、群馬県前橋市立桂萱東小学校6年生の担任。この仕事についてよかったと思うことの一つは、ものすごく多くの人たちと出会えること。出会った方からたくさんの刺激を受け、常に好奇心を持って新しいことにチャレンジしていきたいと思っています。