愛される学校づくり研究会

★このコラムは、ベテランの先生方によるリレー方式のコラムです。先輩教師として若い先生方に、「こんなことをしたらうまくいかなかった」といった失敗談を語っていただきます。

【第8回】稲垣 いく子 先生
「保護者との距離を感じた忘れられない一言」

教職25年目にして初めての転勤を経験しました。ちなみに、24年間勤務した前任校は、私が新任で赴任した年に開校した学校でした。ですから、すでに出来上がった組織の中に入るのは初めての経験で、自分なりにプレッシャーを感じていました。
 担任したのは、小学部3年生の重度・重複学級です。「寝たきり」の子ども2名の担任となりました。理解できる言語は、いくらかあるものの表出言語はみられません。前任校は、知的障害がある子どもが通う学校で、とくに最後の5年間は「企業への就職」や「福祉的就労」と言われる作業所等への入所が可能な子どもたちと共に過ごしてきましたので、正直なところ、転勤先で担当した学級で受けたカルチャーショックはとても大きなものでした。

 「引き継ぎは、なかったのですか!」
 担任した子どもの母親からの一言です。もちろん児童の記録を一通り読み、前担任より支援の方法や健康面での配慮事項を聞いていました。しかし、実際に子どもを目の前にすると「頭の中が真っ白」という状況でした。どんなミスをして叱責を受けたのか正確なことは忘れてしまいましたが、たしか車いすへの乗り換え支援や体温調節に関することだったように記憶しています。
 発達障害児の学校生活を円滑にするには、保護者の協力が不可欠なことは言うまでもありません。「引き継ぎは、なかったのですか!」という一言は、私自身と保護者との距離が、かなりあることを象徴するような言葉だと理解しました。
 「ここで保護者と距離をおいてはいけない!」という思いで、まずはその子どもを観察することにしました。その子どもは、私の話しかけに笑顔で応えてくれました。そこで、母親に「○君が、ニコッと笑ってくれました。この笑顔が私の支えになります」と伝えると、私の思い込みかもしれませんが、私への警戒レベルがやや下がったような気がしました。その後は、職員間で話し合いを重ねながら、母親の願いをできるだけ授業の中に取り入れることに心がけました。
 3月の終了式の日です。「この1年間は○君が元気に学校生活を送れることに重点をおいて指導しました」と母親に伝えました。母親からは「昨年と比べると欠席が減り、立つ指導を受けたおかげで足の裏の状態もよくなってきました」という言葉が返ってきました。

 「親は最大の教師」と言われます。分からないことがあれば素直に「教えてください」と言える自分でありたいものだと痛感した忘れられない思い出です。

(2008年1月7日)

失敗から学ぶ

●稲垣 いく子
(いながき・いくこ)

「知的障害児を教育する養護学校」に24年間、そして「肢体不自由者を教育する養護学校」に赴任5年目です。
保護者と一緒に、あるいはリフト付きのスクールバスで登校してくる子どもたちと「おはよう!」のひと言から、一日が始まります。小1から高3まで、自分の足で歩く子どもや車いすや杖、歩行器などで学校内を移動する子どもなど、年齢や障害の種類、程度は様々ですが、どの子どもも、精一杯生きています。そして友達が大好きです。子どもの視線やしぐさなど、「言葉にならない教師への語らい」を汲みあげることができる教師でありたいと思っています。また、「友達はスーパーに売ってないでしょ。命も愛も売ってない。お金で買えないものが一番大切だと先生は信じているよ。」と、日頃から子どもたちに語りかけています。