愛される学校づくり研究会

【第2回】私の授業スタイル


1 栗木先生の授業は変わっている!? 

私の授業を受けた生徒からよく聞かれることばである。確かに、一般的によくある、いわゆる「一斉授業」ではない。だから、生徒にとっては「変わっている」と感じるのであろう。私としては「変わっている」のではなく、「特徴がある」とか「決まった形がある」という表現をしてもらえるとありがたいのだが、語彙力の豊富な生徒に育てられなかった私の責任だろうと思って、そのことばを受け止めている。

 では、どこが「変わっている」のか。思いつく点をまとめてみる。

(1) 授業の流れ(パターン)が決まっており、1時間完結型である。
(2) 個人で考える時間だけでなく、小グループや全体での学習の時間が必ずある。
(3) コの字隊形で始まり、途中で2人組や4人班隊形に移動し、コの字隊形に戻る。
(4) 一時間の中に「読む(考える)」「書く」「話す」「聞く」が必ずある。
(5) 教師の説明がほとんどない。
(6) ワークシートを使用し、毎時間回収。次時の初めに返して個人ファイルに蓄積。
(7) 半具体物をよく使う。時には教師がコスプレで登場する。

とまあ、こんな感じであろうか。上記のような方法での授業スタイルは、ここ10年ほど続けているものである。(6)(7)についてはまたの機会にお伝えするものとして、(1)〜(5)に関する具体的なスタイルを以下に示す。
 

2 基本は「関わり高め合う授業システム」


(1)〜(5)のような特徴が表れるのは、授業に「関わり高め合う授業システム」を取り入れているからである。

 このシステムで授業を始めたのは、今から約10年前。前々任校の小牧市立篠岡中学校で「生徒指導」の研究をさせていただいたときである。生徒にとって学校生活時間の約7割を占める授業がおもしろくなければ、学校そのものをおもしろいと感じるはずはない。「自ら学び、自ら追究しようする生徒」を育てるためには、「授業改善」が必要だと考え、生徒同士が関わり合う授業システムを作り、実践した。その後、現任校である小牧市立応時中学校に赴任し、「学習指導」の研究に携わらせていただいた。そこでの全職員による研究や佐藤雅彰先生(静岡県富士市立岳陽中学校元校長先生)のご指導のもと、次のような授業システムを作り上げた。

応時中学校における生徒同士の関わりを通して主体的に学ぶための授業システム

column11_02_table1.gif

※ 学習段階に要する時間配分について
 授業内容によって、そのつど教師が考える。「つかむ」「ふりかえる」はだいたい5分から10分。基礎の定着を図る内容なら「つくる」が長くなるし、発展・習熟を図る内容なら「関わり高める」が長くなると思われる。
 

学校だからできること=集団だからできることは何か。
 そもそも学校という場における学びの特徴は、それぞれの生徒の学びの交流による発展にあると考える。様々なレベル、様々な考えの生徒がいて、それらが絡み合うことで思わぬ力を生み、ともに解決していける…そういう集団としての機能を授業の中で活用していくのが、「関わり高め合う学習」である。生徒は無限の可能性を秘めている。授業の中で、個々の生徒のもつ力を他の生徒に働きかけさせれば、可能性はどんどん広がりをもつ。新たな発見もふえるはずだ。低学力の生徒を生徒同士で教え合わせて救うこともできる。学習の身に付いている生徒が他の仲間の新しい考えを聞き、さらに伸びることもできる。
 さらに、このシステムには、生徒が対象(テキストや学習内容など)、仲間(友達や教師)、自分(自身)としっかり向き合い、関わり、高めていこうとする時間が設けられている。これによって、互いに学び合い、学ぶ力を身につけることができると考え、実践中なのである。


3 実際の授業をどうぞ

では、私の授業がどのように進むのかを指導案の指導過程と、授業記録で示してみる。

■3年生 「古典を味わう」での授業■

【指導案 本時の指導】
(1)指導の力点

 「おくの細道」の冒頭部分(現代語訳文)を読み、芭蕉の、旅への思いの言葉に注目する。それを皆で話し合う活動を通して、芭蕉の並々ならぬ決意や芸術を求める心に気づかせ、「松尾芭蕉」という人物像を描かせる。  

(2)目 標

  • 「おくの細道」の冒頭文を通してそこに表れた作者の思いを考え、すすんで古典作品を味わおうとする。(関心・意欲・態度)
  • 冒頭文に書かれている言葉に注目して、根拠をもって作者の思いや旅の目的・真意を感じ取ることができる。(読む)
  • 班や学級で、すすんで他の考えを聞き、自分の考えに役立てることができる。(話す・聞く)


(3)指導過程

column11_02_table2.gif


【授業記録 ― 指導案 6 関わり高める段階の全体での話し合いのみ抜粋 ―】

「芭蕉の旅の目的は何か、どんなふうに考えたか聞きあいましょう。」
C1 「わたしは、無目的だと思います。ただ単に芭蕉の好奇心とも思えましたが、『あてのない旅』とあるから、行き先もいつ終わるともわからない、自分が思うままにただ純粋に旅に出たいんだと思ったんだと思います。」  
「ただ純粋に旅に出たかったんだ。なるほどねえ。」
C2 「ぼくは思い出作りだと思います。」
「ということはC1さんとは違うのね。じゃあ、そのことも言ってね。」
C2 「C1さんとは違って、思い出作りの旅に出たと思います。理由は、『毎日毎日が旅であって、昔の人も旅で死んだ人も多い』とあるから、自分もそういう人生にしたいと思ったんだろうからです。」
「昔の人にあこがれてっていうところがあったものね。」
C3 「ぼくは、自分探しの旅に出たと思います。『あてのない旅』とか『白河の関を超えたい』とあるから、無目的なような気もするけど、『股引の破れを直して傘の緒を付け替えて三里にお灸をすえた』ってあるから、無目的ならこんなにも用意はしないし住んでいた家も売っているから観光が目的ならここまではしないと思います。」
「すごいねえ。今とっても大切なところをいっぱい指摘していたね。無目的な気もするけど、旅支度三つもしてて、家まで売っているからそんな簡単な物じゃないでしょって思ったんだよね。ほかには?」
(全)シーンとした空気
T  「質問でもいいよ 」
C4 「観光が目的っていう人に聞きたいんだけど。」
「誰に聞こう?」
C4 「C5さん。」
C5 「俺かい。えー、観光って思った理由は、『松島の月の美しさは…』ってあるから、松島を見たいのかなと思ったからで、それなら家を売ってまでもいかないだろうって言ってたけど、この人(芭蕉)は全国に弟子がいるんだから、そこで世話になればいいからいっそ売っていこうと思って、観光の旅に出たんだと思う。」
「そうだ、弟子がいたんだよね。そこに世話になれって旅をしたんだ。」
C6 「えーっとですねー、最近は義経ブームで」
(はー?)(笑い)など反応多数
C6 「平泉に行こうかなって。義経は時代を超えて人気があるんでー。 」
「よく知っているねえ、平泉を見に行きたいのね。 ほかには?」
C7 「引っ越しだと思います。杉風の別荘に移ったとあるから旅が終わったら引っ越したんだと思う。」
「どこに引っ越したの?」
C7 「杉風。」
小さなどよめき(杉風は弟子の名前で旅の前にいったん身を置いただけだから。)
C6 「(小声で)弟子だぞ。」
C7 「えっ。弟子か、これ。まちがえたー。却下。」
(笑い)
「でも今、C6君の言葉で、間違いに気づけたね。 もっと聞きたいなーという人はいない?」
(しーんとする)
「思い出作りっていう人にもっと聞いてみたいなあ。C8さん。」
C8 「自分も昔の人みたいに死ぬ前に思い出が作りたかったんだと思う。」
「死ぬ前にねー。C9君はどう? 」
C9 「ぼくもC8さんと同じで、思い出作りなんだけど、最初無目的ではなく、観光以上だと思ったんだけど、観光は家を売っちゃったんだから違うかなと思って、だから、まあ、冥土のみやげみたいに思い出を作ろうとしたのかなーって。」
(何人かが「冥土のみやげ?」とささやく)
「冥土はあの世ってことね。(Cが静まったのを見て)無目的という人が多かった割には、聞かせてくれた人が一人なんだけど…。大丈夫?」
C3 「先生、質問って言うか、聞いてみたいんだけど。」
「はい、なんだった?」
C3 「その他って答えた人に何でか聞きたい。」
「二人ともに聞けばいい?」
C10 「ぼくは、白河の関を越えることだと思います。」
「ほー、どういうことかな?」
C10 「白河の関を越えたいってあるから、無目的ではないと思います。」
「うーん、観光に近いのかなあ。」
C6 「チャレンジ精神みたいな?」
「ああそうか、チャレンジ精神ね。白河の関越えってことかな。 」
C11 「ぼくは、俳句作りの旅だと思います。『松島の月』とか『白河の関』とかあるから、見たい物がいっぱいあって、そこで俳句を作りたかったんだと思います。」
「いろんな所に行っていろんな世界を知って俳句を作りたいんだね。」


 指導案学習活動6はここで終わり、もう一度自分に戻って芭蕉の旅の目的を考えさせた後、そのことから芭蕉がどんな人物であるかを自分の感覚でとらえさせた。さらには、ふり返りで、おくの細道や松尾芭蕉という人物への感想を書かせた。

  • 芭蕉は、自由人で、なんだかうらやましい。
  • 自分の道を信じて究めようとした人だ。
  • あこがれを求めて生きるような人でかっこいい。

などという感想が寄せられた。中には、「おくの細道」という作品に奥深さを感じ、もっとほかの部分を読んでみようという気持ちをもち、夏休みに読んで読書感想文を書いてきた生徒もいた。


4 まだまだ自己満足

前述のように、私個人ではこのようなスタイルで授業をし続けて10年になる。その成果を数字で確かめるとなると難しいが、生徒たちの変容は次のように表れていると受け止めている。

  1. 生徒にとっては授業の形が決まっているので、何をどうすればよいかがわかりやすい。従って、途中で投げ出す生徒が少なくなる。
  2. みんなで話したり、隊形が変わったりして変化があるので、居眠りやよそ見がなくなる。(眠りに落ちそうになっても目が覚める。)
  3. 自分一人で考えたり、先生の話を一方的に聞かされたりすることがないので、多様な考え方や見方ができるようになる。
  4. 個人の考えを求められるので、最初は難しいと感じるが、それに慣れてくるともっと頑張ってハードルを越えようとくらいついてくる。
  5. 「できた・できなかった」 「わかった・わからなかった」を自己評価するので、次への意欲や課題を自分で確かめることができるようになる。


 生徒にアンケートをとったり、感想を書いてもらったりすると上記のようなことが返ってくるし、私自身の感触でもある。しかし、中三ともなると生徒も「お世辞」や「気遣い」ができるようになるため、実際のところどうなのか、真実ははかりにくい。あくまでも「自己満足」の段階と受け止め、修業を続けなければ…と思う今日この頃である。

kuriki_2-1.jpg

教室はいつもコの字隊形

kuriki_2-2.jpg

kuriki_2-3.jpg

コの字にしていると
関わり合いが深まる

kuriki_2-4.jpg

タイミングを見計らって
小グループの話し合いにする

kuriki_2-5.jpg

小グループでの関わり合い

column11_02_table3.gif

(2006年3月13日)

11_person.giftitle.gif

●栗木 智美
(くりき・ともみ)

愛知県小牧市立応時中学校教諭。国語科担当。「授業は真剣勝負」をモットーに、グループ活動のある学び、仲間との協同的な学びの授業を追究中。すべての生徒の表情が輝き、集中して学び合うエネルギッシュな授業づくりには定評がある。その授業力は岳陽中の前校長佐藤雅彰氏や「東海国語教育を学ぶ会」の石井順治氏も絶讃している国語教師である。