T_学校沿革

聖ヨゼフ・カラサンス

Saint Calasanzエスコラピオス修道会創立者
聖ヨセフ・カラサンス Jose Calasanz (1557〜1648)

 スペインのアラゴン地方、ベラルタに生誕。1748年福者に、17467年聖人に列せられ、1948年教皇ピオ12世によて世界のカトリック学校の保護者として宣言されました。  1597年、カラサンスは、後にエスコラピオス修道会へと発展する学校をローマに設立。彼は、すべとの人々が幸福となり崇高で完全な社会を創り上げるために、全ての階層の人々に教育を与え、それぞれの能力を伸ばす必要性を力説していた。これは、ルネッサンス期の当時において革命的なことであり、教育・学問が貴族などの上流階級の独占物と信じていた人々から激しい反対を受けた。彼は、それらの困難をも乗り越え、一般庶民の子弟に人種や宗教などの差別なく教育を施すため、史上初の教育修道会を創立したのである。

 ※スペイン語の『エスコラピオス Escolapios 』は、ラテン語で『学校』を意味する『schola』と『無償・慈悲』を意味する『pia』に由来する。

聖ヨセフ・カラサンスの詳細

 エスコラピオス修道会の創立者である聖ヨセフ・カラサンスは、1557年9月、スペインのアラゴン地方のベラルタという町に、8人兄弟の末っ子として生まれました。 父親から後継者として育てられていたカラサンスは、様々な障害を乗り越え、1587年12月17日に叙階、司祭として約8年間種々の役割を果たし、神学博士号を取得した後、1592年ローマに赴きました。滞在期間中、社会の悲惨さを深く経験し、神と隣人への奉仕に心を奪われ、スペインでのセビリア教区の参事会員になることを断ったのです。 「神に仕える道が、やっと見つかった。その道とは、社会から追いやられている青少年のために全力を尽くすことである。私はその道から離れることができない」 カラサンスはローマの聖ドロテア教会に小部屋を借り、幾人かのボランティアと共に、近所の恵まれない子どもたちの教育に励んでいました。そして、1600年、教育を受けることの出来ない階級の子どもたちが、何とかして教育を受けられるようにと働きかけ、学校をローマの中心に移転しました。しかし、急激な生徒数の増加に、経済は逼迫し、危機に瀕しました。カラサンスは国会に援助を、ローマの教師達、修道会にも要請をしましたがことごとく断られました。 その時、カラサンスは、あらゆる困難にあっても、無償の教育事業を続けることが自分に与えられた使命と確信したのです。 新しい修道会の創立者となる事は不本意ではありましたが、教育に捧げる生涯を絆とし、多くの協力者とともに共同体をつくりました。 1602年には「スコラ・ピア」(Schola Pia)という修道団体の存在が知られてきました。 1617年3月25日、青少年、特に教育を受けられない子どもたちの初・中等教育を使命とする修道会(教会では最初)が、バチカンから正式認可されました。 カラサンスは50年間、青少年の教育を通して神に仕えました。「キリスト教社会の改善は、教育事業を熱心に実行することにあると断言する。もし、幼少時から畏れの念と学問の精神が教え込まれるなら、一生涯にわたる堅実な歩みが、疑いなく期待される」とカラサンスはその動機となった考えを会意に書き残しました。 「教育者とは、神(真理)の協力者である」と常に繰り返し主張していたカラサンスは、92歳で(1648年8月25日)ローマにて帰天、二度と故郷に帰ることは出来ませんでした。 彼の教育理念のいくつかの特色は、ヨーロッパにおける庶民を対象とする、無償で学校教育を受けるシステムをつくった最初の創立者であり、この学校制度は知的な教育に留まらず、人間形成の倫理的、宗教的な教育をも包含し、全ての子ども、特に恵まれない子どもたちに開かれたものでした。 又、教育は青少年のための義務であると主張し、こうした考え方によってなされた組織的・計画的な教育が実を結んだのです。 さらに、生徒の就職をも考慮し、文科系はもとより、理科系もまた重視しました。経済的理由で長く在校できない生徒のために、カラサンスは短期で簡単明白な教え方、固定化された教育法ではなく、最新かつ進歩的な教育研究とその取り入れを教師たちに要求しました。 現代社会において、教育ということは当たり前のように行われていますが、17世紀のローマでは特権階級のみ行われており、カラサンスの大胆ともいうべき思想と革命的計画、例えば授業料免除、教科書学用品の無料配布などは貴族や金持ちから激しく非難されました。 1748年8月18日列福、1767年7月16日列聖、1948年8月25日ピウス12世によって義務教育を行うすべてのカトリック学校の保護者として宣言されました。