★ありがたいことに再び「愛される学校づくり研究会」のコラムに連載させていただく機会を得た。教育学部の教員となったこともあって、36年間の公立校教諭と管理職の経験を踏まえて、自分なりの「教師論」を書かせていただくことにした。話題があちこちに飛ぶコラムとなるが、月1回おつきあいをいただければ幸いである。
【 第1回 】教師の影響力の大きさ
教師になっておられる方にお聞きしたい。どうして教師の道を選ばれたのか、と。教員免許を持っていても、教師になっておられない方は多い。都道府県の教員採用試験に見事合格し、教職に就くということは、容易なことではない。
自分がなぜ教員を目指したのかを振り返ってみると、小学校5・6年生の担任との出会いが大きい。あの先生に出会っていなかったら、教師になっていなかったと思う。それだけ自分にとっては、担任を通して教師という仕事に魅力を感じたのだ。
小学校5・6年生のときには。その学級にいることが楽しくてしかたがなかった。担任は新企画が大好きで、我が学級は、小さなものから大きなものまで独自イベントが目白押しだった。まさに集団の力を感じさせてもらったと言えばかっこいいが、みんなでバカをすることの楽しさを全身で味わわせてもらったといった方が的を射ている。
教師になってみて、つくづく思ったものである。小学校5・6年生の担任は、よくぞあのようなことをやらせてくれたものだ、と。おそらく職員室ではいろいろと言われたことだろう。もちろん、こうしたことは教師になってから思ったことで、その当時に担任がぼやいたわけではない。自分たちには、「みんなで一緒にやろう。一緒にやると楽しい。一緒にやると一人ではできないものすごいことができる!」といった担任の熱意しか記憶にない。
自分の良さを大いに引き出してくれたのも担任だった。人前で何かをすることが好きになったのは、自分に何かと舞台を与え褒めてくれたからだ。自分が担任になったときに、子どもたちに「舞台は主役を待っている」という言葉を吐くようになったのは、この担任の教えがあったからだ。教師、特に担任の力はとても大きい。
昨年4月から教育学部の大学人となり、学生が教員採用試験時に提出する「教員志望動機」を読むことが多い。素晴らしい教師、特に担任の先生との出会いが教師の道へ進むきっかけとなった学生がとても多い。8割以上といっても過言ではない。教師が子どもへ与える影響の大きさについて、あらためて感じている四月だ。
(2016年4月25日)